俺が異世界に生物化学兵器として転生した件
どうやらしばらく失神していたようだ。
俺は大きな木の根元に横たわっている。
目を開けると咲き誇る満開の花が目に入る。
少し冷たい夜風に小さな花弁が舞い散る。
言わずもがなの桜だ。
望月の月明かりを吸収して。
星月夜の暗がりの中で無数の花が白い光を放つ。
俺が根元で横たわる桜の木は新市街の少し小高い丘の上にある。
日中であればここからの眺めは旧市街を一望にできる。
旧市街を取り巻く堅牢な城壁だけではなく。
王城を始め街路に沿って整然と立ち並ぶ建物や神殿の伽藍。
が見渡せたはずだ。
常ならば夜中であっても賑やかな新旧市街に燈火の絶えることは無い。
王都は真に不夜城と言う言葉が似つかわしい街だった。
ここからは新旧市街の美しい夜景を見ることができたのだ。
王都にこれまでの様な街灯りがあればどうだろう。
こんなにも月の光を眩しく感じることはなかったろう。
今は街中にも王城にも。
燈火の下で悲喜こもごもの生活を営む人々の気配は全くない。
俺の傍らには長剣と兜が放り出してある。
俺にはもう立ち上がる気力はない。
先ほど失神する前の下血は今までで一番ひどいものだった。
もう戦うどころか下半身の汚れを自分で始末することもかなわない。
度続く下血で俺の身体からは大量の血液が失われている。
もう一度失神することがあれば、再び目覚めることはないだろう。
そんな気がする。
刀や矢による傷は痛そうだったし攻撃魔法による死に様もぞっとする。
先ほどの失神を思えば、無様ではあるが大量の下血による死はあまり苦痛がなさそうだ。
ふっと良い気持ちになって意識がなくなる。
失血死というのはどうやらそういうものらしい。
閉じた目蓋を開けると天井の高い大きな石造りの部屋に俺はいた。
俺が横たわる床からは紫色の眩い光が放射されている。
俺はインフルエンザに感染して自宅のベッドで青色吐息だったはずだ。
パジャマ代わりのよれたジャージを着ている。
額には乾きかけた除熱シートが引っ付いたままだ。
「よくぞ我らの召喚に応じて下さいました。
勇者殿」
インフルには意識障害が起きることがあると言うことは知っていた。
抗ウイルス剤の副作用で幻覚を見て窓から飛び降りた人もいると聞く。
『ああ、俺もか。ついてない』
そう思った。
「勇者様どうぞお立ち下さい。
そして我らの窮状をお聞き下さい。
我ら王国の民を救えるのは勇者様だけなのです」
インフルによる譫妄状態が生み出した悪夢にしては妙にリアルだった。
いつの間にか床から放射されていた紫色の光は消えている。
石作りだろうか。
硬い床の冷たさが熱のある身体に心地よいかと言うとそんなことは無い。
インフルの高熱による寒気が収まる気配はない。
明日から<大学入学共通テスト>が始まると言う大事な日。
俺はインフルエンザに罹患すると言う大失態をやらかした。
中学受験に失敗してから、俺の辞書には自由とか愉快とか幸福なんて言葉はない。
これまで大学入試に向けて脇目もふらず、俺はただひたすら勉学に励んできた。
元はと言えば親に強制された受験勉強なので反発を覚えることもあった。
だが修験者が取り組む千日回峰行じみた日々の予習復習の反復は俺を文字通り学習中毒患者に仕立て上げた。
問題を解いていないと落ち着かない。
英単語の暗記作業から離れると手が震える。
まるで話に聞く酒や薬による中毒の禁断症状だ。
禁断症状から逃れるためには仕方がない。
俺は睡眠時間以外は全ての時間を、受験勉強ならぬ学習作業に充てるようになった。
食事の時も。
入浴の時も。
単語帳などの暗記アイテムから目を離すことは無かった。
学校の休み時間も。
通学の途中でも。
俺は問題集に目を落としていた。
受験とは修験道とみつけたりなんてノリだ。
それはもうまともな人から見れば、狂気の沙汰というありさまだったろう。
中学を受験する前の数年間のこと。
両親は嫌がる俺に体罰まで加えて勉強を強いた。
元よりそんな鬼畜な両親だったが、高校を受験するあたりからは何も言わなくなった。
いや俺に今さら何も言えなくなったのだろう。
年端もいかない子供にあれだけ学習作業を強要したのだ。
学習中毒者となって受験勉強以外の一切に興味をなくした俺にかけるどんな言葉あると言うのだ。
その頃になると俺は両親と会話しようなどとは思わなくなっていた。
彼と彼女の放つ言葉は最早俺に取り、動物の鳴き声程度の意味しかもたなかった。
彼と彼女にとって俺の狂気が家庭内暴力に向かなかったことは幸いだったろう。
俺にとっては金属バットで両親の息の根を止めるより。
学習作業の方が性に合っていただけの話だ。
親子の愛憎でも倫理観でもない。
今思えば単に好みの問題でしかなかった。
狂気を動力源にして受験勉強を続けた俺だった。
将来の夢や希望どころか、禄でもない動機すらないまま学習作業をしていたからだろうか。
初年度と次年度の入試はものの見事に失敗した。
俺の学習中毒症状は二浪目の秋を迎えた頃にピークを迎えたろう。
何もかもがギリギリまできてしまった。
通販で金属バットを手に入れたのもこの頃だ。
硬く歪な心の器から俺の命が零れ落ちようとしていた。
そんな俺が三度目の大学入学共通テスト直前にインフルエンザに掛かって寝込んだのだ。
悲惨を通り越して滑稽の極みだと言わずして何と言うべきか。
インフルの熱が見せる妄想かと思った状況が、実は異世界召喚によるものだった。
その事実に納得するまで結構な時間がかかった。
俺はテレビも見ないし漫画も読まない。
そんなものは受験に関係がなかったからだ。
アニメやラノベなどは、現代風俗や社会現象の一側面として抑えている程度だった。
オタク案件は時事問題を扱う入試の設問に関連しそうな話題だけまとめてさらい知識だけはあった。
<受験のためのサブカルチャー概説>などと言う便利なサイトを利用したものだ。
「勇者様。
もうご加減はよろしゅうございますか?」
俺は異世界召喚など言う与太話の文脈の中にいきなり放り込まれたのだ。
学習中毒とは違うバイアスでちょっぴり発狂したに違いない。
思えば俺の脳は小学校の頃から狂気に染まりっぱなしだ。
幸か不幸かインフルの高熱で意識は混濁したままだった。
インフルも発狂も一週間ほどの時をおいて回復した。
ついでに学習中毒もきれいさっぱり治っていた。
大学受験のない異世界に転生したという現実を俺の意識が受け入れたと言うことだろう。
俺の脳はナチスドイツに占領されていたパリ解放以上の安堵と平安に満たされた。
回復の過程で俺を召喚した王国の係官や女官たちに徐々に事情の説明を受けた。
ちょっぴり発狂した俺は彼女や彼らに口さがない悪口雑言を吐き散らし続けた。
ただし蚊の鳴くような声で。
インフルの高熱下で元気がなかったのだ。
仕方がない。
だがそれは俺の最後の狂気だった。
意識の混濁が晴れ、物事を筋道立てて考えられるようになってからのことだ。
遅まきながら俺は自分の置かれた状況を理解したのだった。
そうして中学受験の準備にかかる前の朗らかな気分が戻っていることに気付く。
何年ぶりだろうか。
そこには受験勉強以外のことにも興味を覚える俺がいた。
どうやら異世界転生には学習中毒への解毒作用があるようだ。
異世界ならば回復魔法ぐらいはありそうなものだがどうやらインフルには効果がなかったらしい。
論理的に考えれば当然だろう。
これまで異世界には存在しなかったウイルスによる伝染病なのだ。
そもそも異世界に微生物や伝染病という概念があるかどうかも怪しいものだ。
なればインフルを治癒に導く魔法があるわけがない。
「王国に災厄が迫っております。
魔界と現世との間にある魔導防壁に綻びが生じました。
その綻びは今のところ王国の魔導士たちが何とか取り繕っております。
ですがこのままではやがて限界を迎えるでしょう。
そこであなた様にお願いしたいのです。
召喚された勇者様には現世の誰よりも強い攻撃魔力があります。
勇者様に置かれましては我が王国の魔導騎士団と共に戦っていただきたい。
そうして綻びから溢れかえるであろう魔物どもを撃退してもらいたいのです。
魔道障壁の綻びを閉じるため、いずれ他国からの魔導士も大勢駆け付けましょう。
それまでの時間稼ぎをお願いいたしたいのです」
冗談ではない。
俺は魔法の使い方なぞ知らんし武道は中学や高校の体育で剣道をやらされた程度だ。
段どころか級さえ怪しいものだ。
竹刀を構えることくらいはできるが授業の模擬戦で同級生相手に一本も取ったことが無い。
それが魔物と戦えだと。
「勇者様が勇者様であることは確認済みでございます。
こちらにございます王室秘蔵の退魔剣を手に騎士団を導いて下されば道は開けるのでございます。
退魔剣を振るう勇者様からは魔導騎士にアクセレートパワーが注ぎ込むのです。
勇者様には騎士団の先頭に立っていただくだけで良いのです。
さすれば騎士団の戦闘力は時間と共に指数関数的に増大するはずです。
勇者様に魔導騎士団を率いてさえ頂ければ。
魔道障壁の綻びを閉じる。
それをなすまでの時間を稼ぐことができるのでございます」
丁寧にお願いされたものだが嫌も応もない。
俺に断ると言う選択肢はなかった。
床上げをすると俺はすぐさま前哨砦に送り込まれた。
そうして初日からいきなり前線に立たされた。
魔物と対峙していない時には現場で剣術の訓練だ。
泥縄も良い所だった。
なるほど俺が騎士団の先頭に立って退魔剣を構える。
するとそれだけで劣勢だった騎士達はたちまちの内に勢力を盛り返した。
実際に俺が剣を振るう機会はほとんどなかった。
肉薄してくる魔物に剣を構える機会もあったが刃に触れもせず連中の身体は四散した。
勇者の魔力と退魔剣の威力は絶大だった。
俺一人が加勢することで、騎士団と魔物の軍勢の間にはどうだろう。
現代の機甲部隊と古代ギリシャの重装歩兵以上の戦力差ができたかもしれない。
魔物との戦闘が始まって二週間ほど経過した頃のことだったろうか。
俺と魔導騎士団は損害もなく魔物の軍勢を撃退し続けていた。
吶喊してくる魔物が気の毒になるくらいのほぼオートマティックな殲滅戦だ。
だが俺たちがどんなに優勢であっても寡兵である事実は変わらない。
後から後から間欠泉のように湧いて出る魔物の数に対して魔導騎士の絶対数が少なすぎる。
戦況を公平に評価すれば、かろうじて戦線を維持するだけで手いっぱいと言うところだったろう。
「どうやら王都で疫病がはやり始めて相当数の病人が出ているそうにございます。
何でも筆頭宮廷治癒魔法士ですらお手上げとか。
先ほど鳩が持ってきた知らせにございます。
人だけではなく犬や猫、馬にも疫病が蔓延し始めたらしゅうございます。
荷駄隊《にだたい》の馬に影響が出ますれば後方からの補給が懸念されまする」
騎士団の連絡官にそっと耳打ちされた。
疫病?
治癒魔法が効かない疫病だと?
それを聞いて俺の背中に嫌な汗が流れた。
もしや疫病ってのは俺が持ち込んだインフルエンザでは?
思い当たる節がありありだった。
疫病はどうやら王都を中心に他の地域へと瞬く間に広がっていったようだ。
連絡官に耳打ちされてからほんの数日後のこと。
次の鳩が前哨砦まで飛んで来るとどうだろう。
王都や王都周辺での事態はさらに悪化していることが分かった。
死者数が数千から数万の規模に拡大して王都は放棄された。
宮廷は山岳地帯にある旧都に移されたと言う。
早々に前線への補給も途絶えた。
補給が無ければ継戦は不可能だ。
騎士団は前哨砦から戦線を縮小しながら退却することになった。
退却の目的地は宮廷が移動した先である旧都だという。
撤退戦は効率よく行われた。
例え殿でも、これまでと同様。
俺が退魔剣を抜いて構えている限り。
戦闘で騎士団員に戦死者が出ることはなかった。
だが一時駐屯していた村に宮廷からの使者が訪れた時点で騎士団の命運も尽きた。
旧都からやって来た使者も疫病に罹患していたのだ。
騎士団にたどり着いた使者は口上を述べる間もなく倒れ込んだ。
使者は翌日、意識の戻らぬまま死んだ。
使者は激しい呼吸器症状と高熱に苦しんでいた。
どうみても俺が身をもって良く知るインフルエンザの症状だった。
異世界人の俺が持ち込んだインフルエンザウイルスによりこの世界にパンデミックが発生した。
それ以外にこの状況を説明できる合理的な解釈はない。
召喚士もよりによって俺みたいな病人を呼び寄せるなんて、どういう了見なのだろうか。
宮廷が召喚士のギャラでもケチったのか。
生き残っている人間にはこの疫病の出所がまったく不明なようだった。
俺の存在は厳重に秘匿されていた。
おそらく宮廷内でも俺の存在を知る者は少なかったろう。
召喚時に俺が病気だったことを知る人間が、すでに死に絶えている可能性も高い。
今更カミングアウトした所で無意味だと思った。
だから俺は誰にもこのことを告白しなかった。
俺が感染源である可能性に蓋をしたってことだ。
ビビってたってのが本当のところだけどね。
原因が分かったってどうせ有効な治療法なんかない。
不思議と自責の念はなかった。
俺は世界史の参考書に載っていたコラムのことを思い出した。
アフリカのザイールでアウトブレイクを起こしたエボラ出血熱のことだ。
ジャングルの奥地で発生した伝染病は道路沿いに感染域を広げていく。
奥地からの連絡が順に途絶え初め、徐々に疫病が広がっていく様は読むだけで恐ろしかった。
エボラウイルスは集団発生で致死率が90 %に達したとあった。
俺が異世界に持ち込んだインフルの致死率はどのくらいになるのだろう。
俺は寒々とした気持ちになった。
結局のところ俺と騎士団は旧都にたどり着くことができなかった。
魔物との戦闘では傷一つ付けられることのなかった騎士達もインフルの前には無力だった。
見る見るうちに騎士の数を減らし魔導騎士団は退却戦と言うよりは敗走状態に追い込まれた。
異世界にとりインフルエンザのパンデミックが、一筋縄ではいかない脅威なのは確かだ。
なんとなれば、魔物は人や家畜、野生動物以上にインフルに対する感受性が高いようなのだ。
人の側からすればそれは刹那の僥倖だったのだろうか?
騎士団が敗走を始めて二日としないうちに魔物の進撃が止まった。
偵察に出た騎士によるとこうだ。
俺たちが敗走してきた山野は魔物の死骸で埋め尽くされ。
文字通り死屍累々という有様らしい。
もしかすると魔道障壁の綻びを越えて魔界にまでパンデミックが広がって行ったかもしれない。
とすれば、俺の勇者としての魔力より。
俺が持ち込んだインフルの方が魔物に対して有効だった言うことになる。
だが如何せん、俺は味方まで滅ぼしてしまったのだ。
生物化学兵器は核兵器と一緒で敵を選ばないからね。
異世界人が期待した俺の魔力は全く無意味だったといえるだろう。
俺が持ち込んだインフルエンザウイルスは異世界にとり生物化学兵器や核兵器と同じだ。
いやワクチンの用意がないウイルス兵器が正しいか。
毒ガスや放射線が敵味方の区別をしないように、インフルも対象を選ばない大量殺戮兵器となったのだ。
澄み切った夜空に煌々と光る満月のせいで今夜は星が少ない。
世界史の参考書に載ってたゴッホの星月夜ってやつだな。
桜の大木からは月影が長く伸びる。
月の光がもたらす花灯りと白く舞い散る花弁が幻想的で美しい。
仲間の騎士は死に絶え、おそらくは生き残った魔物もいない。
魔物も人も。
家畜とか野生動物も。
生き物の姿が一切見当たらない山野を抜けて俺は王都に戻ってきた。
王都にたどり着くしばらく前から俺は腹痛と下血に悩まされていた。
次第に衰弱が進み月明りを頼りに桜の大木までたどり着いて俺は失神した。
大量に下血した直後のことだった。
因果応報ってやつか?
俺は元の世界にはなかった異世界の伝染病に罹患したのかもしれない。
そうであるなら異世界人にインフルの免疫がなかったのと同じことだ。
俺にも異世界の病原体に対する免疫がなかったと言うことだろう。
俺は漸くのことで起き直り桜の幹にもたれかかった。
青白い月明りに浮かび上がる王都はまるで停電で灯りの消えた街の様に見える。
月光の下、燈火のない街は色彩をもたない。
テラコッタの瓦屋根と漆喰の白い壁。
神殿の伽藍に乗る青銅のドームやステンドグラスの煌めきも灰白色の闇に沈む。
王城を中心に延々と広がる建造物がまるで昨日できたばかりのように行儀よく並んでいる。
けれどもどんなに目を凝らそうと街路には人っ子一人いない。
「王都に災厄がやってくる?」
災厄とは俺のことではなかったのか。
俺と言う一匹の元学習中毒者が、楽しいことなど何も知らぬまま異世界で下血にまみれて死んでいく。
俺は異世界と魔界を滅ぼす災厄として生まれたのだ。
それだけを使命とする人間が人並みの喜びを人生に見出す意味などなかろう。
だから俺は余計なことを考えず。
生につまらぬ未練なんぞを残さぬため。
狂気の学習中毒者となったに違いない。
今こうして時が満ち、俺は与えられた役目を果たして死んでいく。
見たまんま。
本当にクソッタレな最後ときたもんだ。
<願はくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ>
西行法師の辞世の句だ。
如月と言えば旧暦の2月だから現在の2月下旬から4月の頭の頃になるか。
満開の桜花。
少し肌寒い三月の宵。
きっぱりとした冷たい光を放つ満月。
どんぴしゃりだ。
だけどさ。
受験のため何度もさらった古文のテキストだけどこれってどうよ?
今になってみれば『大概にしろよ』なんて思うぜ。
前途洋々たる青少年に西行の辞世の句なんか教えて。
文部省は何がしたいってんだ。
西行と言やぁあれだ。
安定した職をほっぽり投げ。
妻子をポイ捨てして。
他人に散々迷惑かけながら、好き勝手に生きたごく潰しのオヤジだ。
しかし考えてみりゃ西行はただのクズではあるが、羨ましいくらいにお気楽なヤツとも言える。
カスはカスらしく、辞世を詠む時に来し方を振り返るなんてことは一切しなかったのだろう。
放り出した妻子や職責に対しての罪悪感とか後悔なぞ全くなかったに違いない。
西行にほんの少しでも自責の念や悔恨があったのならどうだろう。
あんなナルシーな辞世は詠めなかったんじゃないだろうか。
『月の照らす花灯りの下で死にてーな。
そんな了見で死を対象化する俺様はすげーイケてるじゃん』
なーんてさ。
ジジイにしちゃキモイにもほどがあるナルシストだぜ。
西行ってオヤジはな。
願わずに花の下にて糞まみれこの異世界のべらぼうな春
俺の辞世の句だ。
西行に悪態をついていたら、なんだかだんだん良い気持ちになってきた。
・・・それにしてもなんて美しい夜なんだろう。
月見で一杯。
花見で一杯。
俺は酒なんか飲んだことないけどね。
月影に桜花の宴席も良いだろうな。
だけどどうせ気持ち良くなるのなら。
大学の新歓コンパってやつで酔ってみたかった。
それだけが俺の心残り・・・だな。
