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荘子は日本でこう読まれた——売茶翁・田能村竹田と荘子的構文

はじめに

前回まで、荘子における「基準の崩壊」を見てきた。

是非・善悪・自然と人為——これらの区別が揺らぐ。蝶の夢のように、どちらが本当かが決まらない。この「区別以前への遡行」が荘子の核心だった。

では荘子は中国思想の中だけで完結したのか。

そうではない。荘子の構文は日本に渡り、全く別の形で再生した。売茶翁と田能村竹田は、その最も鮮明な例だ。

三つの荘子受容

日本の文人たちが荘子を受け取った方法は、一様ではない。

思想として読んだ者もいる。しかしより興味深いのは、荘子を「内容として引用する」のではなく、「荘子的な状態を別の形で再現した」人たちだ。

売茶翁と竹田はその代表例だ。そしてその方法はそれぞれ違う。

売茶翁——生活の中で価値を解体する

売茶翁(1675〜1763)は、京の街角で茶を売った僧だ。寺を持たず、弟子を囲わず、松の下で通りすがりの客に一杯の茶を渡した。

彼が残した詩にこういうものがある。

松下点茶過客新
一銭売与一甌春
諸君莫笑生涯乏
貧不苦人人苦貧

「松の下で茶を点て、通りすがりの客に一杯の茶を売る。生活が乏しいと笑うな。貧しいことが苦なのではなく、人が貧を苦にするのだ。」

この「一銭売与一甌春」という句には出典がある。宋代の禅僧・白雲守端の残した以下の詩だ。

昔日趙州少一唇 (昔、趙州和尚は言葉が少なかった)
如今白雲多一口 (今の私、白雲はおしゃべりである)
一銭買与一甌春 (わずか一銭で、この一杯の春をあなたに買い与えよう)
点出趙州無価宝 (そこに趙州和尚の、値打ちのつけようがない宝を示そう)

中国では古くから、厳しい冬を越えて芽吹く極上の新茶を雅語で「春」と呼んだ。つまり「一甌春」とは「一杯の茶」のことである。売茶翁はこの白雲守端の句を引き、自らの路上での茶売りの生活に重ね合わせている。

その上で、売茶翁の詩の最後の一句が核心となる。「貧不苦人、人苦貧」——苦の原因を外部条件から認識作用へ移している。
貧そのものが苦なのではない。 自分の思考や世間との比較によって、人が貧を苦として 構築する。荘子の斉物論はこう言う。世界に苦があるの ではなく、世界をそう区別する認識が苦を生む。売茶翁 はその構文を、貧富という日常の問題に当てはめた。

荘子の斉物論はこう言う。世界に苦があるのではなく、世界をそう区別する認識が苦を生む。売茶翁はその構文を、貧富という日常の問題に当てはめた。

さらに「一銭で一甌の春(茶)を売る」という表現も見逃せない。売っているのは単なる茶葉ではなく、精神的な「春」だ。ここで商品価値の交換論理がずれている。有用・無用、価値・無価値の転倒——荘子が外物篇や山木篇でやっていることと同じ動きだ。

売茶翁は荘子を引用していない。しかし荘子的な価値の解体を、路上の茶売りという生活の形で実践した。

田能村竹田——視覚の文法を組み替える

田能村竹田(1777〜1835)は江戸後期の文人画家だ。竹田の画には独特の空間感覚がある。遠近が通常とは異なる。余白の使い方が規則を外れている。

これは単なる画風の問題ではない。

竹田は画の中で「見ること」の文法を組み替えていた。通常の視覚は主体と対象を分ける。見る者と見られるものがある。しかし竹田の画では、その境界が曖昧になる。どこが主役でどこが背景かが決まらない。

荘子の蝶の夢は「見る主体がどちらか決まらない」という話だった。竹田は同じ問題を、絵画の視覚文法の中で実現した。

売茶翁が行為で荘子を再現したとすれば、竹田は視覚で再現した。

「一楽」の讃——言語で未分化状態を起動する

田能村竹田が残したテキストがある。「是亦一楽」の讃だ。

有目而無所睹、有耳而無所聴、有鼻有舌而無所分五声香臭辨辛酸、五官備而無為、混然與天地参而無間隔、生于晩近之世而処於陰陽未判之初者、夫唯一睡眠之間為然也、是亦一楽

「目はあるが何も見ない。耳はあるが何も聞かない。鼻と舌はあるが五声・香臭・辛酸を分けない。五官はあるが機能しない。天地と混然として間隔がない。晩近の世に生まれながら、陰陽未判の初めにいる者——それはただ睡眠の一時だけだ。これもまた一つの楽しみだ。」

この文章は荘子を解説していない。荘子的な状態を言語で直接起動している。

構造を見ると三つの層がある。まず感覚の停止——目も耳も鼻も舌も機能しない。次に主客の消滅——天地と混然として間隔がない。そして時間の逆転——晩近の世に生まれながら陰陽未判の初めにいる。

荘子の斉物論が「区別以前」を概念として語ったとすれば、この讃は「区別以前」を言語の状態として再現している。読んでいる間に、読者の認識が区別以前へ引き戻される構造だ。

三つの表現の比較

この三つを並べると、荘子受容の層が見えてくる。

売茶翁の詩は生活の場で価値の区別を解体した。価値判断を外すという「価値論的荘子」だ。

竹田の「一楽」の讃は言語そのものを使って認識の区別を消した。認識以前へ遡行するという「認識論的荘子」だ。

竹田の画は視覚の文法を組み替えた。見ることの主客を曖昧にするという「視覚論的荘子」だ。

この三つは同じ思想を繰り返しているのではない。荘子という「区別を解体する構文」を、それぞれ異なるレイヤーで再生している。

荘子とは何だったのか

ここで前回までの流れが完成する。

荘子は思想として読まれただけではなかった。それは「意味の固定を避ける編集原理」として機能した。

老子が基準を提示し、荘子がその基準を崩した。崩れたものを淮南子が統合し、韓非が制度として固定し、朱子学が宇宙原理として再固定した。

しかしその一方で、荘子の「崩す構文」は制度にも固定にも回収されなかった。日本に渡り、茶を売る僧の詩になり、文人画家の筆になり、睡眠を讃える漢文になった。

荘子は思想の歴史の中で体系化されながら、同時に体系を外れ続けた。その「外れ続ける動き」こそが荘子の本質だったかもしれない。

売茶翁は松の下で茶を売った。竹田は余白で主客を消した。荘子は蝶の夢を見た。三つは別々の話ではない。

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浚源 転職2回・社名変更9回の荒波を渡りながら、知識では消えなかった問いを抱えてきた半導体設計者。投資本も哲学書も読み尽くして、たどり着いたのが東洋古典だった。詩経・老子・易経は、読むたびに違う答えを返してくる。その都度の気づきを書いています。