【海外渡航116回】経験を徹底分析🧐
日本人の中でも、商社の方やメーカーの方で海外に駐在されている方に比べると、私の116回渡航経験は大したことはありません。
でも、仕事で海外への出張がない方から見ると、この数字は大きいものだと思います。
私は、大学3年にアメリカ🇺🇸に2ヶ月過ごすチャンスに恵まれ、英語が好き・米国が好きになりました。
その影響で、外資系に就職し、海外出張を多く経験できました。
しかし、コロナで止まってしまい、それ以来海外にはいっていません。
今後の老後生活の中で海外出張のチャンスがあるのかなぁ? と思い、今までの海外渡航履歴を分析してみました、、、 😲
1✅ 116回の海外渡航歴分類
目的別内訳
104回 ビジネス出張
12回 プライベート旅行: 新婚旅行や家族旅行
地域別
北米: 3か国52回
アジアパシフィック: 12か国 23回
ヨーロッパ・中東: 12か国 67回
ビジネス出張の主な目的
IBM社員で69回:米国赴任が5回、コンサルタントとして日本企業のグローバルプロジェクト支援が60回など
Panasonic契約社員で27回: IBM早期退職後、Panasonicドイツに駐在しERPシステムを欧州・中東各国に展開
独立後、Omron社の情報システム関連プロジェクト支援で 9回
2✅ 初めての海外は21歳の時、米国ボーイスカウトの招待で初渡航🤩
6週間の郊外のキャンプ場でテント生活
国際キャンプスタッフプログラム、という米国ボーイスカウトが、海外のスカウトを招待するプログラムに応募し、Michigan州 Detroit近郊の、Charles Howell Scout Reservationという常設キャンプ場で6週間を過ごしました。
最初は、英語もしどろもどろでしたが、毎週小学生~中学生の子供たちがキャンプ場に入れ替わり、毎週同じプログラムが走る生活だったので、わずか2~3週間ですっかり慣れることができました。
毎週末は子供たちが「うちに泊まって!」と招待してくれ、アメリカの家庭生活にもなじむことができました。
大きかったのは、600名のキャンプ場で、日本人が私一人という環境だったことです。 日常の生活英語はすっかり自信がつきました。

3✅ ビジネス出張が104回の理由:IBMという米国企業に勤めた
21歳での米国生活経験ですっかり米国ファンになりました。就職は海外赴任を期待し、外資系の日本IBM社に入社しました。
しかし、勤務地の京都営業所では、15年間特定のお客様にべったり入ったSE(Systems Engineer)や営業職で、期待する海外出張はほとんどありませんでした。
唯一、Convensionと言う、年間優秀社員へのご褒美旅行などが8回ありました。
40歳になって、やっと海外赴任のチャンスが来ました🤩
当時の関西第2営業本部長だった、水田勝さんには本当に感謝していますが、彼の推挙で、米国赴任が実現しました。
4✅ 家族4人でHoustonに赴任しました💕
念願かなって、米国南西部、Texas州を中心にした6州にある、100余社の日系企業への営業支援の役割で、NASAジョンソン宇宙センターで有名なHoustonという人口、230万人、全米第4の都市に家族4人で赴任しました。
ここでも、IBM社の社員では日本人は私だけでした。
Dave Nelsonと言うSweden系のアメリカ人の上司は、全て私の裁量で活動を任せてくれました。
この環境は私を大きく成長させてくれました。
多くの日系企業社員は、昼は米国の仕事、夜から日本(本社)との電話会議などのやりとりで苦労されている中、私は土日はテニス、夏休みなど2-3週間有給休暇をいただき、家族旅行でいろんなところに行くことができました。 本当に最高! でした。

5✅ 日本IBMに帰任後はコンサルタント職になり、幸い海外プロジェクトに多く携わることになりました
私が米国赴任中に、IBM社は8000億円の赤字になり、世界38万人の社員を半分リストラするという危機を迎えました。
残念ながらコストがかかる、海外からの駐在社員は、帰任させられて、わずか2年半で日本に帰国しました。
帰任後幸い、希望する業務コンサルタント職になることができ幸運に恵まれました。
コンサルタント職になってからの海外渡航が急激に増加
■ 毎年1回は、海外主催の研修に参加できる
■ IBM社自身のリエンジニアリング(業務改革)プロジェクトに携わることができ、帰任後2年間は、ほぼ海外出張の生活
■ 京都に帰り、関西地区のコンサルティングを担当することになってからは、多くのグローバル企業のプロジェクトを担当し、お客様のグローバルニーズに応え、ほぼ毎月海外に出張
6✅ 独立してからの海外出張は情報システムの各国展開が主な目的
2007年に日本IBMを56才で退職し、2009年から松下電器産業(現 Panasonic)の情報システム社に契約社員で採用されました。
欧州各国にある家電販売会社の情報システムをSAPに刷新するプロジェクトの推進役で2012年まで、通算27回日本を往復しました。
毎年182日を超えない範囲で、ドイツのHamburgに単身アパートを借り、生活していました。
忘れることのできないのは、2011年3月11日の東日本大震災です。 その日は、Hamburgから日本に帰国する予定で、朝Hamburgのホテルで朝食をとっていたら、TVになにか暗~い海の映像(津波の映像)がずーーっと映っていて、ドイツ語はほとんどわからないので、なんのこっちゃ?と思っていました。
Frankfurt空港で、関空行の便に乗り換えるときに大地震を知りました。 成田行きなど、多くの日本行の便がキャンセルになる中、幸い関空行は飛んでいて、なんと初めての1st ClassにUpgradeしてくれたことは、忘れられない思い出となりました。
7✅ コロナ危機で行きたかった海外の友人との再会が止まってしまい、、70才を超えました
2018年4月にオランダに仕事で出張したのを最後に、コロナが起こりました。
2026年1月時点で、7年間海外渡航していません。とうとう、パスポートも2025年に切れてしまいます。
昔は、行きたいと思ったらすぐ行動に移していましたが、以下のような懸念があり、海外渡航が止まっています。
■ 2025年1月改訂
ためらう理由
円安で、最近は1ドル150~160円。 米国に住んでいたころは120円前後だったので、ホテル代・食事代などが圧倒的に高額に
航空運賃が倍以上に高騰
2016年以来米国に行っていない、9年ぶりで右ハンドルのレンタカーの運転が心もとない
2024年1月2日の羽田航空機衝突事件
コロナ以降、zoomやteamsなどのビデオ会議や、スマホの便利機能で、海外の方と、顔を合わせた会話がすぐできる
海外渡航したい
多くの国は英語でコミュニケーションができ、私自身も英語での会話は問題なくできる
パスポートが2025年5月に切れる
United航空のMileageが16万マイルたまっている
3月・9月は1-2週間海外に行く時間的余裕がある
世話になったアメリカの友人の中には年配でご病気の人もいる
1972年にお世話になったMichigan州、1991年~1993年生活したTexas州にはいつでも泊めてくれる友人がいる
欧州にも、ドイツ・Swedenなどいつでも会える友人がいる
まとめ
コロナ以降、仕事でも海外出張の機会がなくなり、私語とも日本内の案件が中心となりました。
116回の海外渡航を振り返ると、
■ わずか10%が家族旅行などプライベートな渡航。 しかもほとんどはマイルを使った旅行で、自己負担の旅行は3回
■ 90%は業務上の必要性で、海外のお客様拠点に行く必要があったことが、大きな渡航理由でした
したがって、以下のイベントを作っていくことが、今後の海外渡航のチャンスになる、というのが振り返った結果でした
■ 海外の友人が結婚式などのイベントで呼んでくれる、
■ 日本の企業からコンサルティングの案件で、海外出張を要請される
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