『DAO』って何だお?
ここ最近、やたら耳や目にする『DAO』。
読み方は「ダオ」で、正式名称は『Decentralized Autonomous Organization』…この頭文字を取ったものである。
ちなみに、日本語訳すると「分散型自律組織」というらしい。
……なんのこっちゃ!?(笑)
最近だと実業家の前澤友作さんがDAOのコミュニティ『MZDAO』を作り20万人近い会員を集めたことが話題になったよね。
ただ、未だに「DAOって…なんのことだお?」と言っている人も少なくはない。
俺もその1人で、一応は”こういう”のを読んだりして表面上は理解しているつもりだけど…現状、何かのDAOサービスに加入しているわけでもないし、何が出来るかなどディープなところまでは理解していない。
で!
「記事を読むのがめんどくさい!!」
そんな人には…だいぶ前にシニア向けの「Web3」の解説動画としてとても分かりやすいのがあったので共有!!
かなり丁寧に説明しているので…これを見て理解出来ないなら、多分一生関わることのない技術だと思うので『DAO』はスルーしてもいいと思う(笑)。
この『DAO』を…俺流に噛み砕いて言うと
「気の合う地元の飲み仲間の集まり」
「ファンサークル」
という感じだろうか?
P2Pの技術というか『ICQ』的なイメージというか…。
例えば、ある芸能人を応援する団体があったとして、「公式ファンクラブ」の他に「私設応援団」みたいなのがあるグループがいると思うが…そんな感じかも。
公式ファンクラブ
→ 企業が用意した受け皿
私設応援団
→ 勝手に応援する有志の集まり
DAOは後者に相当するもので、前者の公式ファンクラブは云わば「GAFA」が運営するサービスってイメージだ。
にしても…インフルエンサーがみんな「DAO!DAO!」言っているけど、個人的には「メタバースと同じ運命になるんじゃね?」と感じている。
一部の人には楽しいサービスだけど、社会にはその概念が(なかなか)広まらない技術
になるんじゃないかと…。
というのも、約1年前…『Facebook』が『Meta Platforms』に社名変更したことを受け
「これからはメタバースの時代だ!」
って叫んでいた人、結構いたよね…。
なんやら胡散臭い人たちが、やたら
「メタバース×SNS」
「メタバース×コミュニティー」
「メタバース×……」
〜等
と連呼していた覚えもある。
でも…1年経った今、「何かメタバースが日常生活を変えてきたのか?」って話。
いや、「変える」のは時間がかかるかもしれないが、何か「新しく導入された社会的なシステムはあるか?」ってことでもいいだろう。
ゴーグル(HMD)がバカ売れしているニュースも目にしたことはないし。
行政サービスが仮想空間になった話も聞かない。
一般企業がいくつか参入してきてはいるが、『Second Life』よろしく…
【THE 日本企業】が作りました!
なメタバース空間が糞ダサくて(苦笑)。
やる気にもなれない。
Meta社は何億、何十億…投資しているのか知らないが、その恩恵を1mmも感じられていないわけだ。
VHSのビデオデッキを普及させた【エロ】のVRコンテンツですら、やっぱり一部の人間の趣味趣向になっていると思うね…。
(下半身裸にゴーグルをつけた姿…他人に見られたら、一生の汚点になること間違いなしww)
おっと、話を戻して…。
そんな「メターバース」で何かすごいことが起きるんじゃないかと期待されていたのだが、結局ほぼ何も動いていないってことで…OK?
現金を使わない「電子マネー」が、ようやく社会に普及し始めたかな〜と感じる時代。
それでも…そこにたどり着くまでに、JRの『Suica』から始まりQRコード決済の『PayPay』に至るまで…(普及までには)結構な時が流れたと思う。
その中で、国際的通貨として注目された電子マネー「ビットコイン」も登場したが、もはや投機の対象になってしまい日常生活の中の決済手段としては使われないイメージがある。
それに使われている技術がウンタラカンタラ言われても…やっぱ「使う人だけが使うサービスだよなぁ…」としか言いようがない。
要は
「メタバースは一部のマニアにしか普及せず、電子マネーでもこれだけ普及に苦労したのを見ると、DAOの普及ってかなり無理ゲーじゃね?」
って話。
昔だったら「何かやってみようかな」とアクションを起こしたかもしれないが、今はそうした行動の限界を少し感じてしまっている。
20代の頃は(今よりもコードが「どシンプル」だったということを差し引いても)HTMLを覚えてみたりとか!
JavaScriptやPerlにチャレンジしたりとか!
『Namazu』で全文検索のCGIを作成しようとしたりとか!
(放送作家にしては)かなりアグレッシブにデジタルを攻めていたと思っている。
でも今は、動かざること山の如し。。
歳をとるというのは、「あ!こういうことをしたらこうなるんだな」という経験値を積んだ上での判断を下せるんだけど、この石橋を叩く行為が、往々にして新しいことへのチャレンジ精神が失われていく。
最初から
「これだと多分、骨折り損のくたびれもうけだな」
と(チャレンジせずに)諦めてしまうわけだ。
明確に「稼げる」とか見えてこないと動きにくい性格(体質)になりつつある。
いや…チャレンジ精神は持ち続けたいけど、気力が続かないのよね…。
これれが「オヤジ化」ってもんなんだな、きっと。
