1枚の重み〜「写真」の価値の変化

 1990年代後半からコンパクトデジタルカメラ(コンデジ)が普及し始め、その後、携帯電話に「カメラ(写メール)」が実装されたことで【写真】がよりいっそう生活の中で身近な存在になっていった。
 現代ではスマートフォンに内蔵されているカメラの画質の向上により、一眼レフはおろかコンデジすら買わない人も多いのではないだろうか?

 そんなカメラだが…昭和から平成初期にかけては、家族の記録媒体としてフィルムカメラが隆盛を極めていた。
 フィルムカメラは、まずフィルムを買わないといけなく1本で24枚撮りか36枚撮りが数百円で売られていた。
 それにプラス”現像”が必要で、現像料はだいたい500円前後。
 加えて写真へのプリント料が1枚10円〜30円ぐらいしたので、思い出を残すためにはだいたい最低で1500〜2000円程のお金がかかった。
 なので、今のように手軽に撮れる感じではなく、みんなで集まった時とかイベントごとがないとカメラは持ち出されないようなイメージがある。
 しかも、パシャパシャ無尽蔵に撮りまくるのではなく、友達と一緒の時や出し物などを見て「これは残しておきたい!」と感情が一定のラインが超えた時のみシャッターが切られるという感じ。

 ところが「失敗してもすぐに消せる」「数百〜数千枚撮影しても数千円ぐらいのメモリーカードで全て保存出来る」というデジタル媒体が登場してからは写真業界は激変!
 七五三やお宮参り、正月に夏祭り、学校の入学式や運動会・卒業式…といった【非日常】のイベントごとでしか出番の無かったカメラがどんどん【日常】生活へと入り込むようになっていった。
 今日食べた物の記録や会議のホワイトボードの議事録、他愛もないメモ用紙から晴れた空まで…とにかく毎日カメラで撮影しまくり! それにより

人類総カメラマン化

 していった。

 失敗すればフィルム代・現像代が無駄になり金銭的負担が発生する昭和に比べて、写真を残す行為に対しわずか金銭が発生しない現代では、どんなにくだらないモノでも少しでも心が動いた瞬間にシャッターを切れる。
 あと、金銭的負担による迷いが生じないからか、デジタルは撮ろうと思ってからの初動が早い。
 フィルムだと「この光景は残すべきか?残りのフィルムの枚数は?」を確認する間に「別に撮らなくてもいいや」との心のストッパーがかかるからだ。
 こうした社会の変化により、写真1枚の「重み」みたいなのが軽くなってるな〜と、ふと感じた。

 フィルム時代は、ネガと呼ばれる現像後のフィルムを見ながら「この写真が欲しい!」などの希望を募り、それを写真屋に持っていってプリントをしてもらい、皆に配る…という、思い出の共有のためには時間とお金というダブルの手間がかかった。
 ところが、デジタル時代はメールなりLINEなりで撮影後、料金も時間もかからずすぐに思い出の共有が可能なので、写真がものすごく手軽なものになっている。

 それはそれでいいことなのだと思うが…フィルム時代を知る者としてはいかんせん寂しさを覚える出来事があった。
 先日…古いアルバムがあったので開いてみたら、アルバムに貼られていない子供の頃の写真が封筒に入って出てきた。
 実家の庭で撮影された写真…。
 「あれ?こんな写真あったんだ。忘れてたなぁ〜」と思いながら、ふと裏をめくると父親の直筆で文字が書かれていた。

 これを見た瞬間、自然と涙が溢れ出てきた。
 俺が小学生になった姿を撮影し、現像・プリント、そして裏に自らの”思い”を文字で残す…。
 たったそれだけのことなのに、涙が止まらなくなった。

「どんな思いでこれを書いたのだろう?」
「我が子の成長だもん…きっと嬉しかったよね」
「そーいや手巻きのカメラあったけど、あれって家族のために買ったのかな?」

 など、次から次へと昔の家族の思い出が蘇ってきた。

 多分、これがデジタルになると…保存されている場面(シーン)は圧倒的に多いし、何なら動画で声まで残せている。
 が、それを10年後や20年後に見たところで、この写真1枚分の感動を覚えるかどうかと言ったら…何か違う気がする。
 もちろん「懐かしい!」とはなると思うが、あくまでパソコンやスマートフォンの中に残されている【記録】の1枚に過ぎず、24枚・36枚ずつしか撮影出来なかった頃の【記憶】に勝ててないよね、多分。

 もちろん、デジタルはデジタルで…例えば(自分の場合)20年前に日本中を「青春18きっぷ」で巡っていたころの写真がスマーフォトンで持ち歩けるので、すぐに見て思い出を確認できたりなど、「手軽さ」の良いところもたくさんある。

 10年前の2011年に発生した東日本大震災で、宮城や福島で多くの家屋が津波に飲み込まれてしまった。
 それにより家族の写真が流されてしまった人も多かったようだが…例えば事前に写真をスキャンしてクラウドで保存しておけば「思い出」を全て失うことも無かったろうに…など、デジタルに利便性を感じていたりもする。

 まぁ、結論として何が言いたいかと言うと、1年に1度はデジタルの写真を見返して、気になった写真はプリントアウトするなりして手元に残し、一筆添えておくと素晴らしい(家族の)思い出が完成するよ…ということ。
 坂本龍馬の写真のように「歴史的」な1枚にはならないけど、末代の子孫にとっては「こんな人が祖先にいたのね」という【かけがえのない1枚】になると思うので、ぜひスマホの中身の写真をチェックしてみてはどうだろうか?

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