平成から令和にかけての『桃太郎』観
先日の西野先生の【Voicy】。
「久しぶりに聞いたな…その話」と思い出して笑ってしまった。
西野先生曰く
*幼稚園や保育園においての『学芸会』やら『お遊戯会』で、先生方が脚本とか演出面での負担が大きい。
*それならば、わたくし西野がオリジナルの台本をプレゼントしようではないか!
ということで。
じゃあ、西野先生がなぜ「それ」を申し出たか…というと
桃太郎が桃太郎で無くなっているから
という現実を知ってらしい。
この話…今どきの若い人ならご存知かもしれないが。
今、幼稚園や保育園で演じられている『桃太郎』とか『白雪姫』的な話って、完全にストーリーが崩壊しているんだよね。
俺は幼稚園の先生をやっている弟の嫁さんから十数年前には聞いていた。
初めてその話を耳にした時には大爆笑したぐらいビックリ。
だって……。
「桃太郎が3人いて」
「犬・猿・キジも複数いて」
「鬼がいない」
という内容なんだもん。
「えっ!? なんそれ?」
「『桃太郎』でしょ? 鬼を退治しにいくお話だよね?」
って思うよね…。
でも、今は「それ」が当たり前になっているんだとか。
で、そもそものタイトルも『桃太郎』じゃなくて『ピーチマン』みたいなタイトルらしい。
(だいぶ昔のことなので正式名称は忘れた)
で、『白雪姫』とかも同じような状態らしく
「お姫様が5人ぐらい登場して…」
と(笑)。
なぜそんな世紀末のような状態になってしまったか?
ご想像の通り…
「親からのクレーム」
が原因だ。
自分の子を目立たせたいと願うモンスターペアレントが
「うちの子がお姫様じゃなきゃ嫌だと言っている」
「なぜ、うちの子が鬼をやらないといけないのか?」
などの言ったクレームをつけてくるのだとか…。
それで親の要望に合わせて脚本をいじっているうちに、複数人の桃太郎、複数人の白雪姫の話が爆誕してしまったわけで。
そもそも、『桃太郎』とか『白雪姫』のお話って
*勧善懲悪
*悪いことをしていれば懲らしめられる
*不幸な生い立ちでも、いつかきっと報われる
といったお勉強的な要素が含まれている物語のはず。
それを…いくら子供のためだからってストーリーを変えてしまっては、何のために演じるのかが全く分からない。
そんなわけの分からなくなった演劇をやるよりは、たしかにオリジナルの作品の方がいいかもね…。
西野先生はプペルをベースにした…みたいなことを言っていたが。
映画Verとかには「(親が)嫌悪感を持つポジション」の役柄も登場していたはずだが、その問題をどうやってクリアしたんだろう?
どこかの幼稚園とコラボして、その作品を見てみたいものだ。
桃太郎が
「ピーチマン」なら
白雪姫は
「ホワイトスノープリンセス」?
