岸谷蘭丸氏の活躍に想ふ
実業家でインフルエンサーの岸谷蘭丸さん。
先日、テレビ朝日の『しくじり先生』に出演し大きな反響を呼んだ。
色々なことが注目され、Z世代と呼ばれる若者たちの筆頭格に名乗りを上げることとなったわけだが…。
個人的には「この子が岸谷五朗さんの息子さんなんだ…」という思いが先行する。
以前に【note】で書いたこともあるが、自分は青春時代に『岸谷五朗の東京レディオクラブ』というTBSで放送されていたラジオ番組を聴いていた。
このラジオがあったからこそ、今の放送作家という職業を選ぶキッカケとなった。
貧しいながらも楽しい作家人生を送らせてもらったので、わりと感謝している。
通称『レディクラ』と呼ばれたこの番組。
月〜金の帯番組で22時から25時(のちに24時に短縮)までやっていたのだが、その後ろの番組が『スーパーギャング』という番組で…。
この枠の1つを担当していたのが、現在は奥様である奥居香さんだった。
(※のちに『パックインミュージック21』に改称)
少女漫画にありそうな古典的な話なのだが、2人の出会いはマジで最悪だったようで…。
初対面の時にトークのやりとりの中で、奥居さんのことを「このアマ!」と呼んでしまい、後に五朗さんが謝罪しにいくハメになった…というのをラジオで話していたことがある。
そんな状態からよく結婚へと進んだものだ(笑)。
2人の仲を親密にするキッカケとなったのは、五朗さんがCDを発売するとなった時。
その作曲を依頼したのが奥居香さんだった。
そのデモテープをやりとりする際に、パジャマ姿で五朗さんの前に出てきたという奥居さん。
それを受けて「どうだお前ら(=リスナー)、俺は姫のパジャマ姿を見たんだぞ! 羨ましいだろ!?」と自慢していたのを今でも覚えている。
で…完成したCDというのが『あの鐘をならせ』という作品。
特に大ヒットしたわけではないが、ごしまよしこさんの『ハックルベリー・ストロベリー・フレンド』同様、レディクラリスナーにとっては思い出の深い一曲となっている。
1994年に番組が終了して数年後…1996年6月。
まさか結婚することになるとは夢にも思わなかった。
“あの鐘”ってウェディングベルのことだったのか!?
今ではそんなことを思ったりもする。
そして、その2人の間に生まれたのが岸谷蘭丸さんという流れで。
最近になってちょこちょこと話題になり始めたが、一番最初に彼のキャラを知ることになったのはYouTubeの『街録チャンネル』かもしれない。
ずいぶんとクレバーな男の子だな…とも思ったし。
インタビューは端々に親との関係性が見え隠れして、とてもおもしろかった。
音楽やろうとしても(女性バンドで)日本一だった母親がいる。
父親の作品は見ない。
みたいなことを語る姿を見てクスクス。
どんな家庭環境だったんだろうねぇ。
父親である岸谷五朗さんには、映画『キラーバージンロード』の時に取材させてもらったことがある。
いつの日か、息子さんとも仕事をしてみたいものだ。
てか、蘭丸さんと出会えるまで放送作家を続けていられるかが問題だ(苦笑)。
