おいしい出会いも、一期一会。熊野で出会った「もうでそば」と「めはり寿司」
神仏が宿る場所に、どうしてこうも、抗いたい「味」が寄り添っているのだろう。 伊勢神宮の赤福、浅草寺の人形焼き、三嶋大社の福太郎。 祈りの余韻を噛みしめるように、私たちはその土地の味を口にする。それは単なる食欲ではなく、目に見えない御利益を自分の内側に取り込もうとする、本能に近い儀式なのかもしれない。
熊野本宮大社で自分を捕えたのは、「もうでそば」という力強い響きだった。
熊野本宮大社の鳥居をくぐる手前にある珍重庵は、もうで餅で有名なお店だが、そこに書いてあった「御用達」という言葉の引力に、身を預けてみる。これから先、何度ここを訪れる機会があるだろうかと考えれば、出会いはすべて「今」しかない。そんな言い訳を胸に暖簾をくぐった選択は、正解だった。

メニューを開いて初めて知った「もうでそば」の存在。そうか、熊野詣という言葉が古からあるから、熊野詣を終えたら食べるそばなのかと察知した。そして迷うことなく注文をする。
運ばれてきた「もうでそば」の出汁は、驚くほど透き通っていた。

熊野の冷え切った朝。悴んだ指先に伝わる器の熱は、まるで適温の湯に浸かったときのような安らぎをくれる。細切りの大根と梅、そして啜るほどに体に染み渡る絶妙な塩梅。 食べ進めるうちに、丼の底から柚子の皮が顔を出した。その香りが、静かな掩護射撃のように出汁の旨味を立たせる。その計算された優しさに、思わず目を閉じて独りごちた。

そして、その傍らで確かな存在感を放っていたのが「めはり寿司」だ。

浅漬けの高菜に包まれたそれは、店や家庭によって表情を変える。その一口は、まるで自分との相性を占うおみくじのよう。珍重庵のめはり寿司は、鰹節の利いた醤油のご飯と、柔らかながら葉脈の噛みごたえのある高菜のバランスが完璧な「凸凹コンビ」だった。 強すぎず、弱すぎず。互いの領分を侵さないその調和は、旅先でふと出会う、見知らぬ人との心地よい会話に似ている。
ここでこの味に出会わなければ、めはり寿司という存在を、これほど愛おしく思うことはなかっただろう。
食べ物との一期一会。 それは、神様が用意してくれた旅のご褒美。 「もうでそば」の熱と「めはり寿司」の充足感を道連れに、次なる旅路へと一歩を踏み出す。
ごちそうさまでした。
アイスクリームが溶けぬ前に #53 茶房珍重庵(熊野)
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