【空想教室】アオイノイロ➃迷い
第1章 名もなき色
第4話 心のざわめき
柔らかな光が淡い空色のカーテン越しに差し込む部屋。鳥たちの忙しない朝の歌に起こされたアオイは、うっすら目を開けた。
―――あれ?首が…痛い……。
枕元で丸くなったまま首をさする。どうやら寝違えたらしい。
久しぶりの慣れたベッドなのに…。
昨日の夕方、自宅に帰り着いたアオイは、荷解きもせずにそのまま眠ってしまったのだ。自宅の安心感たるや!
旅先では枕が変わって、なかなか寝付けない日が多かった。それでも頑張って眠るために、何匹の羊の群れを放牧したことか…。
身体は完全にリセットできた。首以外は…。心もほぐれている。でも、なぜだろう。まだどこか遠くにいる気がする―――。
***
痛む首をさすりながら、身支度を整えたアオイは自宅の玄関を出た。
見渡す限り青い空が続いている。ところどころにフワフワとした綿菓子のような雲が浮かんでいて、ゆっくり、ゆっくりと流れていく。少し冷たい風がふわりと頬をなでた。首の痛みはまだ残っているけれど、アオイはゆっくりと歩き出す。
―――彩の館に行こう。
久しぶりにカナさんの顔を見たら、きっと気持ちが整理できて、少し落ち着くはず―――。アオイはそう思っていた。
初めて彩の館に行ったときは、まだなにも知らない状態だった。
それから旅に出て、ほんの少し、わたしの色を見つけたんだ。
歩きながら、アオイはシキやレイのことを思い出していた。シキの柔らかな声、レイの気まぐれな笑顔―――それぞれに感じた思い、学び。それらは心の中で今もそっと揺れ続けている。その思いをカナに打ち明けることで、少しの心の整理がつくだろうとアオイは信じていた。
彩の館に辿り着いたのは、ちょうど昼下がり。相変わらず重たい木の扉を開けると、ほんのり薬草の香りがアオイを包み込んだ。
「いらっしゃい」
カナは琥珀色の瞳を少し細め、柔らかな笑顔でアオイを迎えた。
痛めた首をさすりながらアオイはニッコリ笑顔を返す。
「首、どうしたの?」
アオイは苦笑しながら、カナが案内してくれたソファに腰を下ろし「寝違えちゃって。」と答えた。「自宅、久しぶりだったから睡魔に勝てなくて、変な格好で寝ちゃってたみたい。」
「そう。落ち着いて眠れたのね。」
カナは安心して静かに頷きながら、温かいハーブティーを差し出した。ふわりと立ちのぼる香りに、ほんの少し心がほぐれていく。
「落ち着いたんだと思う。でもなんだか、まだ心が、どこか遠くにいる感じがしてるんだ。」
ハーブティーの香りにぼんやりとしながらアオイが話すと、「シキとレイのこと、考えてた?」とカナは問いかける。アオイはハッとしたように顔をあげ、カナを見た。
「……うん。なんだか、二人のことがずっと心に残ってて。」
カナは黙ってアオイの言葉を待ち、 アオイはゆっくりと言葉を探すように、口を開いた。
「シキと一緒にいると、心が落ち着くの。それから、レイといると……不思議と自分が素直になれる気がして。。」
心が落ち着く…?
素直になれる…?
アオイは思いがけない言葉を口にして戸惑っていた。今まで他人といて、そんな感情を抱いたことがなかったのだ。幼少期のほとんどをおばあちゃんと2人で過ごしたアオイには、他人と接する機会も皆無に等しかった。
「自分を知るためには、違う自分を映してくれる人が必要なのよ。」カナの穏やかな声が、アオイの心に沁み込んでいく。アオイは静かに頷いた。
ハーブティーを冷まそうとするアオイのフ――フ――という息使いが午後の静かな空間に響き渡る。
「……次は、ルカに会ってみたら?」 不意にカナがそう言った。
「え……ルカ?」アオイはカナの言葉に少し戸惑う。
「ルカ……って誰?」
「ふふ、知らないのね。」
カナは小さく微笑んで、ティーカップを静かに置いた。
「ルカはダンサーよ。彼女の表現力は見る者の世界観を変えるほど豊かで、でもちょっと不思議な人。」
アオイの眉が少し動く。「ダンサー……?」
「ルカのダンスはね、ただ踊っているだけじゃないのよ。その動きの中に、たくさんの感情や言葉が隠れているの。」
カナは遠い記憶を思い出しているようだった。
「きっと、今のアオイには彼女の踊りが必要だと思う。」
カナの、優しくも芯のある声が、アオイの胸にそっと触れた。
「今のアオイには、まだ見つけなければいけない"色"があるはずよ。」
アオイはティーカップの中で揺れるハーブティーを見つめながら、小さく息を吐く。「…ルカに会ったら、何か変わるのかな?」
「それは…アオイが決めることよ。」
カナの言葉に、アオイの心は静かに揺れていた。
―――ルカ。
その名前は、アオイの心の奥で小さな灯りをともしたような気がした。
***
アオイはカナに再会を約束して、彩の館をあとにした。
春の午後、風は少しだけ肌寒くて、アオイは首の痛みを感じながらも薄手のコートの襟を立て、肩をすくめた。
「ルカ、か…」小さく呟いたその言葉には、まだ何の感情も乗っていない。しかし、心のどこかで小さな違和感があったのだ。まったく知らない人なのに、なぜか気になる。
アオイは、シキやレイの家で感じたそれぞれの異なる心のざわめきを思い出していた。シキの言葉、レイの表情、そして…カナの静かな眼差し。それらが心の奥で複雑に絡み合っていた。
わたし、なにか見逃してる―――?
自宅に帰りついてもまだ、考えはまとまらなかった。けれど―――
"ルカに会うべきだ"そう言ったカナの琥珀色の瞳は妙に胸に残っていた。
***
翌朝、アオイの寝違えた首はまだ疼いていた。心に残るわだかまりが首の痛みを一層強くしている気がする。でも、その痛みは不思議と、アオイの迷いを吹き飛ばしてくれるようだった。
「ルカに……会いに行こう。」
首の痛みを手でさすりながら、アオイはぽつりとつぶやいた。
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