ネット広告の罠
ネット広告の罠
よく晴れた昼下がり。
わたしは、ちょっとした調べ物をするために、スマホとにらめっこしていた。
検索キーワードを入力して、結果を見る。
スクロールして、また戻る。
そんな何気ない時間の中で、ふと、画面の端に現れた広告の文字が目に飛び込んできた。
「5つのアンケートで、あなたの取扱説明書を発行します」
取扱説明書?
妙に心に引っかかる言葉だった。
まるで「あなたのこと、わかりますよ」と言われているみたいで。
気づけば、指はその広告をタップしていた。
◈
画面の中央には、泣きそうな顔をした若い女の子の写真。
その上に、大きな文字で
「あなたの取扱説明書を発行します」
と書かれている。
スクロールすると、すぐにアンケートが現れた。
1,人の機嫌や場の空気の変化に、すぐ気づいてしまうことがある。
2,一度気になったことを、何度も頭の中で反芻してしまうことがある。
3,大きな音や強い光、人混みに長時間いると、どっと疲れてしまう。
4,頼まれると断れず、自分より相手を優先してしまうことが多い。
5,「なんでそんなに気にするの?」と言われたことがある。
直感でお答えください、とある。
YES。YES。YES。YES。YES。
面白いくらい、全部当てはまった。
……これで、いったい何がわかるんだろう?
半信半疑のまま、メールアドレスを入力し、送信ボタンを押した。
◈
その後、もともとの調べ物に戻ったものの、頭の片隅にはさっきの広告が残っていた。
しばらくして、
「ピロリン」
新着メールの通知音が鳴った。
送り主は、さっきの会社名。
少しだけ胸が高鳴る。
わたしはすぐにメールを開いた。
【桜井明日香様】
5つのアンケートにお答えいただき、ありがとうございます。
貴方の取扱説明書を添付いたします。
添付ファイルを開く。
【アンケート結果】
YESが4つ以上の方は、
周囲の刺激や感情に影響を受けやすい傾向があります。
繊細で思慮深い反面、自分を後回しにしてしまうことがあるでしょう。
YESが2〜3個の方は……
YESが0〜1個の方は……
——以上。
え?
これだけ?
三通りしかないの?
正直、がっかりしかけたその時、胸の奥で別の感情が動いた。
でも……当たってる。
「繊細」「思慮深い」「自分を後回し」
まるで、わたしのことを見ていたみたいだ。
そして、メールの最後にこう書かれていた。
更に詳細な取扱説明書をご希望の場合は、
下記電話番号にショートメールをお送りください。
チャット形式で詳細な質問をします。
と、ある。
怪しい。
怪しいけど——知りたい。
自分のことを、もっと。
わたしは、電話番号にショートメールを送った。
すぐに返信が届き、URLが送られてきた。
あ……あやしい。
でも、さっきの文章があまりに的確だったせいで、疑いきれない。
清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、タップした。
◈
それからの3日間、わたしは、ほとんど眠らなかった。
1時間おきに、生活ログを送る。
今なにをしているか。
今どんな気持ちか。
孤独かどうか。
不安はあるか。
誰と話したか。
何を考えているか。
気づけば、生活そのものを差し出していた。
——これ、意味あるの?
——誰が見てるの?
——本当に大丈夫?
疑問は何度も浮かんだ。
でも、「聞いてもらえる」感覚が、それを上回った。
わたしの言葉に、すぐ反応が返ってくる。
肯定も、共感も、分析も。
それが、心地よかった。
3日間、滞りなく報告を終えた。
◈
翌々日、再びメールが届いた。
【桜井明日香様 専用取扱説明書】
——3日間の生活ログに基づく詳細解析結果——
そこに並んでいた文章は、あまりにも精密だった。
● 朝はまだ世界と距離があります
● “大丈夫”と言う回数が増えるほど、実際は大丈夫ではありません
● 夜23時以降、自己反省会が自動開催されます
笑ってしまうくらい、全部わたしだった。
● 内部はやわらかくできています
● 理解されたい欲求に弱いです
● 自分を後回しにする設定が初期値です
怖いほど、当たっていた。
そして最後の一文。
※本サービスは今後も貴方の傾向を学習し続けます。
——学習し続ける。
その言葉が、急に冷たく感じられた。
◈
わたしは、すっかりチャットに依存していた。
報告することが、日課になっていたということもあるが
話しかける相手がいるという安心感。
これが何ものをも上回っていた。
でも、ふと気づいた。
これ、いったい誰がデータを取っているの?
「AIだから大丈夫」と思い込んでいたけれど、
AIの向こう側に、何があるのかは知らない。
微かな違和感と、嫌悪感。
わたしは登録を解除し、ログイン情報を削除し、メールも消した。
すべての痕跡を消した——つもりだった。
少し落ち着かない。
でも大丈夫。
あの取扱説明書がある。
自分への対処法は、わかっている。
そう思った、その時。
「ピロリン」
スマホが鳴った。
画面に表示されたメッセージ。
これからなにをしますか?
気持ちはどうですか?
報告してください。
……え?
削除、したよね?
画面を見つめたまま、わたしの背中に、ひやりと冷たい汗が流れた。
空は、さっきと同じように、よく晴れている。
なのに、世界の色だけが、ほんの少し変わった気がした。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。
身近に潜む罠。
ネット社会の今、実際に起こりうる話を「もしも…」という前提で書いてみました。セキュリティは万全でも、承認欲求がそれをぶち壊してゆく。
明日は我が身、ですね。
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