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映画評 エミリア・ペレス🇫🇷

(C)2024 PAGE 114 – WHY NOT PRODUCTIONS – PATHE FILMS - FRANCE 2 CINEMA

ディーパンの闘い』『君と歩く世界』のジャック・オーディアール監督による、メキシコの麻薬カルテルのボスが過去を捨て、性別適合手術を受けて女性として新たな人生を歩む人生をクライム、コメディ、ミュージカルなどさまざまなジャンルを交えて描く。

メキシコシティの弁護士リタは、麻薬カルテルのボスであるマニタスから「女性としての新たな人生を用意してほしい」という極秘の依頼を受ける。リタは完璧な計画を立て、マニタスの性転換手術に成功する。それから数年後、イギリスで新たな人生を歩んでいたリタの前に、エミリア・ペレスという女性として生きるマニタスが現れる。 

リタ、マニタス(エミリア)、そしてマニタスの妻であるジェシー、主要3人の女性陣が自由に生きることを追い求めたミュージカルドラマは、テーマの散逸化が目立つだけでなく、内容の薄さも際立つ。また肝心なミュージカルシーンのクオリティは高いとは言い切れない。アカデミー賞をはじめ、なぜ賞レースを圧巻させてきたのか謎が残る。

映画序盤は、メキシコで弁護士をしていたリタの元にマニタスが依頼する所からはじまる。『Lady』や『Deseo』の歌詞内容から、トランスジェンダーへの理解を観客に促すことを目的としているのだが、あまりにも主張が直接的すぎるため、押し付けられてる感が否めない。また観客が主体的に感じ取る行為を奪うようにも見えてしまい、説教くささも感じ取らざる得ない。

本作の舞台は主にメキシコなのだが、麻薬カルテルや行政の腐敗、日常的に行われてる誘拐などミュージカルを通じてメキシコを批評するシーンが散見される。しかし、本作はフランス映画。監督は勿論、脚本や主要製作陣はフランス人。メキシコ人が自国を批評するならともかく、他国の人が批評するのは、あまりにも神経が図太すぎる。

その結果、センシティブに扱わなければならないメキシコの社会情勢が、単なる記号に成り下がってしまっている。特にエミリアとして新たな人生の目的が行方不明者を探す件が、元々行方不明者を量産する側であったこともあり、マッチポンプの罪滅ぼしにしか見えない。『トラフィック』や『ボーダーライン』のように麻薬と行政の関係に切り込んだ訳でもない。また行方不明を題材にした『母の聖戦』と比べてしまうと問題意識の差は歴然。メキシコの社会情勢が登場人物が新たな人生を歩むための装置でしかない。

主演のカルラ・ソフィア・ガスコンのミュージカルシーンは『白雪姫』を下回る。基本掠れ声で、声量も少なければ音域も狭い。ゾーイ・サルダナやセレーナ・ゴメスと比較すると天と地の差。『白雪姫』もミュージカルシーンは酷いが、レイチェル・ゼグラーは腐っても歌は上手い。ミュージカルにしたいなら別の俳優。ガスコンにこだわるなら、全編ドラマにした方が良かったのではと思ってしまうほどであった。


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