【都市の奇譚エッセイ】夢と意味をめぐる冒険―平凡に見える主婦の少し奇妙な日常―
この記事は不思議な夢を見るというA子さんに話を聞きながら、僕が感じたことを記述したインタビューであり、エッセイでもある。一見、平凡な主婦が抱えている深層には何が潜んでいるのか。あなたは、彼女の奇妙な夢に何を感じるだろうか。/文・KENLOCK
「夢が操られているみたい」A子さん(30)が、突然ぽつりとそう言ったとき、僕の口角が緊張したのを感じた。どうしてそう思うのかと尋ねると、鼻の奥から微かに吐息が漏れた。
@恵比寿の焼き鳥屋
「自分は単なるパート主婦でなんの能力もないと思うんだけど。夢の中では毎日、とてもよくできた面白いことが起きるの。自分にはできないし、考えつかないこと。だから誰かが自分に夢を見せてきてるんじゃないかって思う」僕は頷きながらハイボールを口にした。味がよくわからないハイボールだった。薄暗い恵比寿の焼き鳥屋の店内。人はまばらだった。少し視界がぐにゃっとしたように感じた。
@夢の中
気がつくとA子さんは、名古屋のマンションにいた。名古屋にいたのは中学2年生までの時だった。少し懐かしい場所だ。そこには高校時代の知人たちが集まっていた。それほど仲良くない面々だった。二人で遊びに行ったら気まずくなるだろう。名前もよく思い出せない。その中にゆかりちゃんもいた。彼女はなんでも話せる親友だった。そんな不思議な一同がなぜか自分の部屋にいた。
「みんなで殺そう」誰かが諭すようにそう言った。みんなの視線が自分に向いているのがわかった。冷たい眼差しが鋭く自分を突き刺している。「あのおっさん、みんなで殺すから。手伝ってほしい」意味がわからない申し出に困惑した。自分には誰かよくわからない人だ。なんの恨みもない。しかし、ゆかりちゃん含む一同は真剣な表情で同意を促してくる。「そんなことできない」喉の奥が締め付けられるのを感じる。「大丈夫、やるのは全部私たち」全員の目がギラっと光る。「A子は、殺したおっさんのマイナンバーと身分証だけ取ってきて」少し譲歩されたようだ。断る余地はなさそうだった。いつまでも押し黙っていられない空気だ。「わかった。それだけでいいの?」「あとはTシャツ、服だけ貸して」言われるままに肌色のTシャツを脱いで、貸してやった。
しばらくすると友人たちは部屋の中におっさんと呼ぶ男二人を招き入れた。モブキャラっぽい印象の男たちだった。女たちは容赦なく鈍器でおっさんを殴り始めた。何度も嫌な音がした。おっさんからは何度も血飛沫があがった。やがて彼らは動かなくなった。A子さんは言われた通り、おっさん達の手荷物から、マイナンバーカードと身分証を取り出し、バックに入った社会の教科書に挟んだ。
@恵比寿の焼き鳥屋
再び恵比寿の焼き鳥屋のシーンに戻る。ラストオーダーが取られた。「夢の中でよく空も飛ぶ。前にも話したよね」そう言うとA子さんは、嬉しそうな笑顔になった。「低空飛行、ピョーンって飛べるの。小学生くらいの時から夢ではいつもそんな感じ。歩く代わりに飛べて楽に移動できる。みんなはできないけど自分はできる。そんな感じ」
最近見た夢で楽しかったのは、推しのコンサートだったという。仲違いしていたアイドル事務所が合同でライブを行なっていた。「すごいファンサだった。タッキーがカレーをつくって2階席のA子にくれたの。友達は誰かわからない。モブ友って感じ」
彼女が結婚してからもう5年になる。毎日、朝の3〜5時頃に就寝し、11〜14時頃まで寝ている。目を覚ますといつも身体がずっしりと重たくだるいという。生活には不安はない。夫が大手企業で働き、自分は好きな時間に寝て、起きて夜更かしする自由を許容されている。なぜ夜更かしをするのか。「判断を誤りたくない」ので、SNSやネットで全てのことを調べ尽くすためだ。最近は7月に行くグアムの航空券からホテル、現地のプランを調べ尽くすのに必死だという。
人生で一番失敗した判断は医療事務の専門学校に2年行き、その後、4年間医療事務の仕事をしたことだった。週に6日働いても手取りは12、3万円。誰からも認めてもらえない仕事で、世の中の全ての華やかな世界から取り残されている気がしていた。惨めな気持ちで4年間過ごした。多くの時間を無駄にしたから、もう安易に判断をしない。そう決めているのだという。その後、なぜかあまり夫は夢に出てこないと話していた。
@夢の中
名古屋の部屋の夢の話に戻る。気がつくと制服姿の警官が部屋に集まっていた。自分は何をしていいのかわからずただそこにいた。突然、親友のゆかりちゃんが叫んで、窓まで駆け出した。3、4階にあるこの部屋から飛び降りようとする。周りの女の子達は「やめなよ」と冷たく言い放つだけで助けようともしない。制服姿の警官達は無表情で彼女を取り押さえ、連行していった。A子さんは連れて行かれるゆかりちゃんを追いかけた。
いつの間にか、食堂にいた。警察署の中だ。ゆかりちゃん以外のメンバーがそこにいて、席についていた。長机に置かれたカツカレーを平然と食べている。「ゆかりちゃんは平気?」強張りながら訊ねた。「トイレ行ってるんじゃない。A子も食べなよ。あげるよ」取り調べはどうなったのだろう。異様な状況に戸惑った。「事故だと思われてるから大丈夫。家宅捜索中だって」違和感のどす黒い塊が大きくなった。貸していたTシャツは血まみれだった。アルミホイルに包まれていた。それを受け取って鞄の中に入れていたことを思い出した。自分の鞄にはマイナンバーカードと身分証も入っている。おそらく鞄は部屋の中だ。そうか、彼女達が平然としているのは、捕まりっこないと思っているのだ。このままじゃ自分だけ捕まる。「私、詰んでるじゃん」そう思って、彼女は目を覚ました。
@恵比寿の自宅
恵比寿の時と場所を変え、A子さんの自宅で話を聞いた。テーブルを挟んで、少しお酒を交えた。「人とうまく話せない」どこか遠くを見ながらぽつりと話はじめた。友達ができない。もっとうまく話したい。彼女が唯一、何も考えずに話ができるのは、ゆかりちゃんと夫だけだという。「頭が悪いから話せない。人と一対一になるのが怖い」彼女はこちらの反応も気にせずまくし立てる。「人とも意味のあること、価値のある話がしたい」結婚してからは、ゆかりちゃんとも疎遠だ。今は、夫がいなくなるのが怖い。誰とも遊べなくなるのではないか。言葉が出てこないから人に好意を伝えられない。初めて後に夫になる人と会ったときも、うまく話せなかった。仲良くなりたいのに言葉が出てこない。そんな自分がもどかしかった。「これあげる」そう言って、口に入れていたチュッパチャプスを突然、彼に手渡したのだという。そして、その好意はおそらく実ったようだ。
最近、夢でなければよかったのに。そう感じたことがある。その時は気がつくと万博会場にいた。夕方、柵の近く、帰ろうとしていたら「A子ちゃん?」と突然話しかけられる。綺麗めのギャルだ。名古屋時代の近所の子、マーミだった。近くに専門学校の同級生のユミもいた。彼女とは実習で1ヶ月一緒だった。どちらもうまく話せなかった人たちだった。でも、その夢の中では底抜けに明るい自分がいた。いつの間にか見ず知らずだった二人も仲良くなっていて、この後どこか遊びに行こうというような話で盛り上がる。気持ちが芯から高揚するのを感じた。目覚めて悲しくなった。「夢でなければよかったのに」
夢の意味はわからないままだ。しかし、A子さんは夢の中でも何かを見つけようとしている。いつかきっと誰かともっとうまくつながれるように。自分を平凡だと話す彼女は少し奇妙でも、意味のある冒険をしているように見えた。
