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自分の言葉で話しているつもりだった。

でも、何度も語るうちに、
その言葉は少しずつ軽くなっていた。

これは、そんな夜の話です。


高橋海斗は、説明がうまかった。

小学生のころから、先生にそう言われていた。

授業で発表すると、話がわかりやすいと言われた。
グループワークでは、最後にまとめる役になることが多かった。
文化祭の企画書も、部活の引退式の挨拶も、なぜか海斗が書いた。

嫌ではなかった。

むしろ、少し誇らしかった。

自分が話すと、ばらばらだったものが整う。
なんとなくの空気が、言葉になる。
みんなが「そうそう、それが言いたかった」と言う。

その瞬間が、海斗は好きだった。

大学に入ってから、海斗は学生向けのビジネスコンテストに出るようになった。

最初は、友人に誘われただけだった。

「海斗、こういうの得意そうじゃん」

そう言われて、軽い気持ちで出た。

地域課題。
教育格差。
若者のキャリア支援。
地方創生。
社会課題をビジネスで解決する。

そういう言葉が並ぶ場だった。

海斗は、すぐに慣れた。

どんな資料が見やすいか。
どんな順番で話すと伝わるか。
どの数字を入れると説得力が出るか。
どこで自分の経験を入れると、審査員の表情が変わるか。

何度か出るうちに、勝ち方が少しずつわかってきた。

もちろん、適当にやっているつもりはなかった。

海斗自身、地方出身だった。
高校時代、進路の情報が少ないと感じたこともある。
都会の高校生と比べて、自分たちは選択肢を知る機会が少ないのではないかと思ったこともある。

だから、地方の高校生にもっと早く選択肢を届けたい。
そういう思いは、本当にあった。

そして、その思いをどう話せば伝わるかも、海斗は知っていた。

「僕自身も地方出身で、高校時代に進路の情報格差を感じてきました」

この一文を入れると、会場の空気が少し変わる。

そこから、課題の構造を説明する。
既存サービスの限界を示す。
市場規模を出す。
収益モデルを示す。
初年度の展開計画を話す。
最後に、もう一度自分の原体験へ戻る。

何度も練習した流れだった。


また海斗は学生向けビジネスコンテストで優勝した。

会場には拍手が起きた。

司会者が、海斗の名前を呼んだ。
審査員が笑顔で頷いた。
友人たちがスマホを向けた。
表彰状を受け取るとき、海斗は少しだけ手が震えていた。

表彰式のあと、準優勝だった学生が笑いながら近づいてきた。

「またお前が優勝かよ。コンテスト荒らしか!」

海斗も笑った。

「いや、たまたまだって」

そう言いながらも、確かにこれで三回目だった。

嬉しかった。

素直に、嬉しかった。

やっと形になった気がした。
自分の考えていたことが、ちゃんと評価された気がした。
自分はこのまま進んでいいのだと、誰かに認められた気がした。

表彰式のあと、海斗は何人かの審査員に囲まれた。

「よかったよ」

「資料も見やすかった」

「話し方が落ち着いていたね」

「これ、ちゃんと続けたら面白いと思う」

海斗は何度も頭を下げた。

「ありがとうございます」

その言葉を言うたびに、胸の奥が少しずつ熱くなった。

その中に、一人だけ少し静かな審査員がいた。

年配の男性だった。
派手なことは言わなかった。
名刺もすぐには出さなかった。

その人は、海斗の話を少し聞いたあとで言った。

「優勝、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「とてもよくできていました」

「ありがとうございます」

海斗は、もう一度頭を下げた。

男性は、少しだけ間を置いた。

「もしこのあと時間があれば、紹介したい人がいます」

「紹介したい人、ですか」

「ええ。今日の発表を見ていた人です」

海斗は、一瞬だけ期待した。

投資家だろうか。
起業家だろうか。
メディア関係者だろうか。
大学の支援プログラムの人かもしれない。

「ありがとうございます。ぜひ」

海斗は、できるだけ落ち着いた声でそう答えた。


紹介されたのは、久遠という男だった。

名刺は渡されなかった。

久遠さんは、審査員でもなさそうだった。
投資家にも見えなかった。
大学の先生という感じでもなかった。

ただ、会場の隅で発表を見ていたらしい。

「優勝、おめでとうございます」

久遠さんは、そう言って軽く会釈した。

「ありがとうございます」

海斗は、少し背筋を伸ばした。

「発表、聞いてくださってたんですか」

「ええ」

「ありがとうございます」

「このあと、少し時間ありますか」

「はい。大丈夫です」

海斗はすぐに答えた。

もしかしたら、何か次の話があるのかもしれない。
今日の優勝が、次につながるのかもしれない。

そんな期待が、少しあった。

「ちょっと、私の行きつけのバーがあるんですが」

久遠さんは言った。

「バーですか……」

「二十歳は超えていますよね?」

「はい。ただ、お酒はちょっと苦手で。メリットを感じないんですよね」

久遠さんは、小さく頷いた。

「そうですか。飲まなくても大丈夫ですよ」

海斗は少し戸惑った。

思っていた話とは違った。

でも、紹介された相手だ。
断る理由もなかった。

「はい。大丈夫です」

会場を出ると、夜の空気が少し湿っていた。

久遠さんは、あまり話さなかった。

海斗の方から、今日のコンテストの話をした。

「今回のプランは、地方の高校生向けのキャリア支援サービスで」

「はい」

「都市部と地方では、進路選択に必要な情報量に差があると思っていて」

「ええ」

「僕自身も地方出身なので、そのあたりは実感があって」

久遠さんは、黙って聞いていた。

「今回、審査員からもそこを評価してもらえたのかなと思っています」

「そうですか」

「はい。事業としても、まずは高校生向けのオンライン相談から始めて、将来的には学校や自治体との連携も考えています」

話しながら、海斗は少し安心していた。

ちゃんと話せている。
今日のピッチと同じように、筋道立てて説明できている。

久遠さんは、細い路地の前で足を止めた。

「ここです」

古い木の扉があった。

扉の横には、小さな真鍮のプレートがあった。

Bar Q。

それだけが書かれていた。

海斗は、少しだけ眉を上げた。

「ここ、ですか」

「ええ」

久遠さんは、静かに扉を開けた。

カウンターは四席だけだった。

客はいなかった。

奥に、白シャツに黒いエプロンの男がいた。

男は、海斗を見ると小さく会釈した。

年齢はよくわからなかった。
若くはない。
でも、疲れている感じもしなかった。

海斗は、少し拍子抜けした。

もっと特別な場所に連れてこられるのかと思っていた。
もっと大きな話が始まるのかと思っていた。

でも、そこにあったのは、小さなバーだけだった。

久遠さんが、カウンターの端に座った。

海斗も促されるまま、その隣に座った。

「急にすみません」

久遠さんが言った。

ヒデさんと呼ばれた男は、小さく首を振った。

「いえ」

それだけだった。

海斗の前に、水の入ったグラスが置かれた。

しばらく、誰も話さなかった。

海斗は、その沈黙が少し苦手だった。

沈黙があると、何か話した方がいい気がしてしまう。

「今日、学生向けのビジネスコンテストがありまして」

海斗は、自分から話し始めた。

「そこで、ありがたいことに優勝させていただいて」

ヒデさんは、グラスを拭いていた。

「そうですか」

「はい。テーマは、地方の高校生向けのキャリア支援です」

海斗は、少しだけ姿勢を正した。

「地方にいると、どうしても進路やキャリアに関する情報が限られてしまうと思っていて。都市部の高校生なら自然に得られる選択肢が、地方では見えにくい。そこに情報格差があるんです」

何度も話した言葉だった。

でも、間違っているとは思わなかった。

「僕自身も地方出身で、高校時代にもっと早くいろんな選択肢を知りたかったという思いがあって」

ヒデさんは、何も言わなかった。

「だから、地方の高校生が、自分の可能性をもっと早く知れるような仕組みを作りたいと思っています」

海斗は続けた。

「まずはオンラインで大学生や社会人と話せる機会を作って、将来的には学校や自治体とも連携していけたらと考えています。今日の審査員の方にも、社会性と事業性のバランスを評価していただきました」

自分でも、少し熱が入っているのがわかった。

「今後は法人化も視野に入れています。資金調達まではまだ考えていませんが、実証実験を進めながら、まずは小さく始めるつもりです」

話し終えると、海斗は水を一口飲んだ。

うまく話せたと思った。

今日何度も聞かれたことだった。
今日何度も答えたことだった。

それでも、ちゃんと話せた。

久遠さんは、何も言わなかった。

ヒデさんは、グラスを拭く手を少しだけ止めた。

「君はとても説明がうまいですね」

静かな声だった。

海斗は、一瞬だけ返事に詰まった。

褒められたのだと思った。

たぶん、そうなのだと思う。

「ありがとうございます」

海斗はそう言って、軽く頭を下げた。

ヒデさんは、それ以上何も言わなかった。

久遠さんも、何も言わなかった。

店の中は、また静かになった。

海斗は、グラスの水を見ていた。

説明。

その言葉だけが、なぜか耳に残っていた。

プレゼンがうまい。
話がわかりやすい。
資料がきれい。
構成がいい。

そう言われることは、何度もあった。

でも、説明がうまい。

その言葉は、少しだけ違って聞こえた。

自分は、今日、何を説明していたのだろう。

課題のこと。
地方の高校生のこと。
情報格差のこと。
将来の事業展開のこと。
市場規模のこと。
収益モデルのこと。

どれも、ちゃんと話せたと思う。

でも、なぜだろう。

あの人が言った「説明」という言葉だけが、うまく飲み込めなかった。


店を出ると、夜の空気はさっきよりも少し冷えていた。

久遠さんは、先に路地を歩き出した。

海斗は、その少し後ろを歩いた。

「あの」

海斗が声をかけると、久遠さんは振り返った。

「はい」

「あの人は、何をしている人なんですか」

久遠さんは少し考えた。

「バーの人です」

「それは、そうなんですけど」

海斗は少し笑った。

「今日の話、何か言われるのかと思ってました」

「何か、というと」

「アドバイスとか、意見とか」

「欲しかったんですか」

そう聞かれて、海斗はすぐに答えられなかった。

欲しかったのだろうか。

たぶん、欲しかった。

次に何をすればいいか。
誰に会えばいいか。
どこを直せばいいか。
このまま進んでいいのか。

そういうことを、誰かに言ってほしかったのかもしれない。

「いや、わからないです」

海斗は言った。

少し歩いてから、海斗はもう一度口を開いた。

「でも、なんで説明って言ったんだろうって」

久遠さんは、何も言わなかった。

「褒められたんですよね、たぶん」

「そうかもしれませんね」

「でも、なんか」

海斗は言葉を探した。

「プレゼンがうまいって言われるのとは、ちょっと違って」

久遠さんは、ゆっくり頷いた。

それ以上は、何も言わなかった。

海斗も、それ以上は言葉にできなかった。


半年後。

久遠さんが、カウンターの端に座っていた。

「この前の学生、覚えていますか」

ヒデさんは、グラスを拭きながら小さく頷いた。

「最近、学童でバイトを始めたそうです」

「そうですか」

「子どもに絵本を読むのが、思っていたより難しいって言っていました」

ヒデさんは、少しだけ手を止めた。

「そうですか」

そう言って、またグラスを拭き始めた。

カウンターの上では、水の入ったグラスが静かに光っていた。


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