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【企画参加・#noteでBL】 エスケイプ・ブルー

本作は、毎度恒例、なみさんによる以下の素敵な企画に参加するために書いたものです。別記事であとがきも投稿しますので、よろしければ、本編とあわせてそちらもお読み頂けると嬉しいです。

あらすじ:ひょんなことから家出志望の少年を「誘拐」することになった大学生の青野は、彼の要望で横浜・港の見える丘公園へと向かう。報酬は、少年の持ち金である十万円。少年は、年齢に見合わないしっかりとした性格で青野を翻弄するものの、時折見せる浮世離れした言動や、翳りのある表情で「危うさ」を醸し出す。日常からエスケイプした二人の行き着く先は…
ジャンル:現代


水平線を、船が横切ってゆく。

青野はそれを、高台の公園から眺めている。

こんなに遠くからでも、飛沫の立つ様子というのは見えるものなのだ。尾を引いて遠ざかってゆくその姿は、まるで箒星のようである。

五月の午後、蝉が鳴くにはまだ早いが、すでに日差しは夏のそれに等しい。青野は、額に滲む汗をシャツの裾で拭い、隣に座る少年へ視線をやった。さっきからもう三十分ほど、彼は飽きもせず海を見つめている。

「なあ、もう行かない?」

「…まだ、もう少し」

「そんなに海が見たいなら、みなとみらいまで下ろうぜ。その方がよく見えるだろ?」

「ここが、良いです」

表情は心ここにあらずといった様子なのに、口調は妙にきっぱりとしている。外国製の人形のように整った横顔は、美しいが頑なだ。青野の言葉を、聞き入れる様子はない。

「年上の人の言うことには従うもんだよ、普通」

「それは、契約に入っていませんから」

心の中でため息をつくと、不意に強い風が吹いた。潮の香りの混じった風は、眼下の海から坂の上へ向かって、悠々と吹き抜けていく。

日差しが、眩しい。

「俺はまだ、君から何の報酬ももらっていない。契約はいつでも破棄できるぜ?」

「しますか?僕はそれでも構わない。ここまで連れて来てもらった時点で、すでに目的は達成していますから。損をするのはあなただけだ」

「…保留にしておこう」

相手はあくまで強気である。年下にも関わらず、青野の一歩先をゆく発言をする。仕方なく再び前方へ視線を移すと、海上を飛ぶ海鳥が視界に入った。群れからはぐれたのだろうか。それともつがいだろうか。二羽だけが、青い空を舞っている。

まるで、自分と少年のようだと、青野は思った。

彼も同じことを考えたのだろうか、すぐ横で、顔が上を向くのが分かった。

「…僕も、空を飛びたいなぁ」

頑なな態度から一転、彼の発言は時折危うい。やはり、ここで契約を破棄するのはどう考えてもまずいだろう。青野が、そっとその横顔を盗み見ると、少年は小さく瞬きをした。

***

平日の地下鉄。

ラッシュを過ぎて、ホームにいる人はまばらだった。

大学へ向かう途中の、乗り換えの駅だ。青野はベンチに座り、次の列車を待っていた。

文庫本を広げる傍ら、視線は一点に引き寄せられている。一目でそれと分かる名門高校の制服を着て、少年はホームの隅に立っていた。恐らく、自分以外に、彼に注目している人間はいなかった。

美しい佇まいだと、青野は思った。没個性になりがちな学生服を身につけているにも関わらず、彼の姿の良さは際立っていた。薄暗い地下鉄のホームで、まるでその少年の周りだけが発光しているかのようだった。

アナウンスが流れた。

電光掲示板に、列車が到着する旨の文字が表示される。

それを見て青野が立ち上がったのと、少年が動き出したのはほぼ同時だった。

線路に向かって、まるで誘蛾灯に引き寄せられる虫のように、ふらふらと近づいてゆく。

反射的に、体が動いていた。青野は、高校まで陸上をしていた。自分でも驚くほどの速さで距離を詰め、彼の体に手をかけていた。肩に触れた瞬間、少年はびくりと全身を震わせ、それから脱力したようにその場に座り込んだ。

顔が、青白い。

一瞬遅れて、列車がホームに入ってきた。

「おい、大丈夫か?」

降車する客たちは、こちらに視線をやるが特に反応を示さない。

「…大丈夫、です」

「けど今…」

飛び込もうとしただろ、という言葉を青野は飲み込んだ。腕の中でこちらを見上げる少年の顔は、遠目で見るより遥かに整っていた。

そのまましばらく彼を抱いていると、最初は浅かった呼吸が、徐々になだらかになり、やがて少年の頬に赤みが戻ってくるのが分かった。

「あの…」

どれくらい時間が経ったのだろう。少年が口を開いた。

「…え?」

「お願いがあります」

「お願い?」

少年は、小さく頷くと、おもむろにリュックサックの中を探り、何かを取り出した。手に握られていたのは、財布だった。

青野が戸惑っていると、少年は財布を目の前に掲げて、言った。

「ここに十万円入ってます。報酬は支払いますから、僕を今日一日、誘拐してくれませんか?家に…帰りたくないんです」

***

人生、何が起こるか分からない。

数時間後、青野は少年とともに、横浜駅近くのマクドナルドにいた。

横浜に来たのも、マクドナルドで昼食をとることにしたのも、全て少年の指示である。無論、青野に彼を「誘拐」する意思はなかった。ただ、そのまま警察に引き渡して終わりにするのは、何となく自身の信条に反する気がしただけだ。

報酬に、目が眩んだわけではない…と思う。

せっかくこの場所まで足を運んだのだから、せめて中華街で食事をすればいいものを、少年は絶対にマクドナルドが食べたいと言い張った。金なら出すと言われても、マックで好きなメニューを選ぶくらいの資金なら青野だって持っている。

「おすすめは、ありますか?」

「…おすすめ?マック、来たことないの?」

「両親が厳しくて。ファストフードの類は禁じられてるんです」

「マジか。俺はテリヤキバーガーにするけど」

「じゃあ、僕も同じやつに」

場所柄だろうか、二人で並んで座ったカウンター席からは、木目調の座席とグレーの壁面が融合した、モダンなデザインの店内が見渡せた。横浜に来るのは久しぶりだが、どことなく、客の姿も小洒落て見えるから不思議だ。

「これ、美味しいですね」

「十万も財布に入ってるなら、普段もっといいもの食ってんだろ?」

「フレンチもイタリアンも食べ飽きました。僕はマクドナルドの方が良い」

「…俺もそんなセリフ言ってみたいわ」

すぐ横で無邪気にハンバーガーを頬張る少年は、さっき青ざめた顔でホームに座り込んでいた人間と同一人物だとは思えない。

しかし、あんな行動を取るぐらいだから、本人にしか分からない、切羽詰まった事情があるのだろう。

青野は、高圧的にならないよう心がけながら、慎重に彼に向かって尋ねた。

「それでさ、名前とか年とか訊いても良い?」

「必要、ありますか?」

「一応、保護者的な立場の人間としては…」

「保護者じゃありません、あなたは誘拐犯です」

「ちょ…普通の声でそれを言うな」

慌てて周囲を見渡すものの、こちらに視線をやる人間はいなかった。

青野がそっとため息をつき、再び横に目をやると、やはり無邪気にフライドポテトをかじる少年の姿があった。

「これも美味しい。世の中は広いな」

***

赤レンガ倉庫、ランドマークタワー、山下公園…

横浜には、観るべきところがたくさんある。

しかし、彼が連れて行くよう指示したのは、そうした賑やかなエリアではなく、「港の見える丘公園」だった。もちろん、そこだって有名な観光スポットだが、高校生がわざわざ行くには渋すぎる場所だ。それに、どちらかといえば、男同士で訪れるよりも、カップルが連れ立って赴くところだろう。

平日の昼間に制服を着て移動していたら目立つので、途中に寄ったファストファッションの店で、彼だけカジュアルな服装に着替えさせた。青野の提案を少年は渋ったが、報酬から金額を差し引くということで合意した。

制服からTシャツに着替えても、やはり彼の姿は美しいままだった。

「こういう服は着たことがありません」

「そうだろうよ。一体どんな生活してるんだか」

青野がそう言うと、少年は少し悲しげな表情になった。

「囚人みたいな、生活です」

予想もしなかった返事に、思わず絶句する。そのまま黙っていると、少年は首を横に振って、青野に向かって言った。

「でも、『誘拐』されて無理やり着替えさせられたって言えば、問題ありません」

…それは大いに問題がある。

青野はそう思ったが、黙ってその言葉に頷いてみせた。たとえ一日でも、少年が彼の言う「囚人」のような生活から抜け出せるのであれば、自分のすることに意味はあるはずだ。この年で、ホームに飛び込もうとするなんて、よほどの事情がない限り考えられない。

横浜からみなとみらい線で、元町・中華街駅へ向かう。

改札近くでリュックのポケットに差し込まれた少年の手から、パスケースがこぼれ落ちた。

反射的に屈み込み、拾ってやると、ケースに入れられた写真が目を引いた。

そこには、少年と同じ制服に身を包んだ、彼よりも少し年嵩に見える男の子が写り込んでいた。

「…すみません」

「い、いや、こちらこそ」

少年は、少しうつむいたまま、青野の手からパスケースをさっと奪い返した。

***

”ごめん、俺そういうつもりでお前と一緒にいたわけじゃないんだ”

数年前、告白した青野に向かって、親友はそんな言葉を放った。そういうつもり、というのがどういうつもりを指すのかはよく分からなかったが、彼はその言葉にひどく傷ついた。何故そんなに傷ついたのかは、やはり説明がつかなかった。

”あ、ああ、そうだよな。ごめん”

”いや、こちらこそごめん”

告白した場所は、青野の自宅の部屋だった。しばらく二人きりで黙りこくっていたが、やがて親友は何かを思い出したかのようにパッと立ち上がると、言い訳めいたことを口にして、逃げるようにその場を立ち去った。

後には、彼のために用意したジュースとお菓子、やりかけのテレビゲームだけが残された。

翌日、重い足取りで教室に入ると、クラス中の視線が自分に注がれるのが分かった。思わず、たじろぎながら、青野は周囲を見渡した。教室の一番奥の方に、数人のクラスメートたちとたむろして、こちらを見つめる親友の姿があった。

彼は、青野と目が合うと、気まずそうに顔を横に向けた。

気まずいのはこっちの方だった。

青野は、囁き声が交わされる中、一人静かに、自分の席についた。その日、どのように自分が過ごしたのか、彼自身もよく覚えていない。

気がつくと、青野は駅のホームで、見知らぬ男性に体を抱き抱えられていた。

「君、早まったらダメだよ」

その人がもし、若くて彼の好みのタイプだったら、きっと青野は恋をしていただろう。

しかし、残念ながら青野を助けてくれたのは、中年の、少しくたびれたサラリーマンだった。

涙は出なかった。

一週間後、彼は別の高校へ転校した。

***

水平線の上を、再び船が横切ってゆく。

少年は、やはり身じろぎもせずに、その様子をじっと眺めている。青野は、潮風になびく彼のまっすぐな髪を見つめる。その髪に、「彼」は触れたことがあるのだろうか?あるいは——

「僕、海が見たかったわけじゃないんです」

青野は、黙ったまま、先を促すように小さく頷く。

「ここに来ようねって、先輩と約束していたから」

「あの写真のやつ?」

「はい…」

ぐるりとカーブを描いて配置されたベンチには、男女のカップルばかりが座っている。男同士で並んでいるのは、青野と少年だけだ。

「でも、親に『そのこと』がバレて、先輩と、もう会ったらダメだって」

「どうして?」

「そういうの、普通じゃないからって、両親には言われました。それに、先輩も、もう二人で会うのはやめようって」

少し日が傾きはじめ、潮風に冷たさが混じるようになった。青野は、腕をさする少年の肩を、抱いてやりたいと、ほんの少しだけ思った。思っただけである。

「それ言われて、ずっと頭の中がぐるぐるしてて、今朝どうしようもなくなったんです。それで、あんなこと——」

ふと見ると、少年の頬を一筋の涙が伝っていた。

青野は、それを美しいと思った。

「普通なんてさ、この世にないんだよ」

「え?」

「だから、普通なんてみんなが見ている夢みたいなもん。そんな夢からは、早く覚めたほうが良いだろ?」

青野がそう言うと、少年は、分かっているのか分かっていないのか、人形のような顔をこちらに向けて、じっと青野の方を見つめた。青野もまた、彼を見つめ返した。整った顔が、一瞬だけ歪んで、それで青野は初めて、彼を人間だと認識した。

自分と同じ、人間だ。

「すみません、十万円入ってるなんて、嘘なんです」

「…別にいいよ。最初からもらう気はなかったし」

「でも、報酬を支払うって約束したから」

そう言った瞬間、彼の顔がこちらに傾いてきた。頬に、柔らかい感触が当たるのを青野は感じた。

「これで、勘弁してもらえますか?」

少年の言葉に、青野は微笑んだ。

それを見て、少年もまた微笑んだ。

少年は言った。

「もしこの報酬で良かったら、またいつでも誘拐してください」

涙は、強い潮風に乾いていた。

「この次は——」

青野の返事をかき消すように、船の汽笛がボーッと遠くで鳴った。

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