ココロ躍る島の祭旅/小豆島 肥土山農村歌舞伎(香川県)
小豆島旅のススメ
およそ140ある瀬戸内海の有人島のうち、淡路島につぐ大きさを誇る香川県の小豆島は、古くから海の要衝として重要視され、豊臣・徳川政権下では直轄地にもなった。海あり山あり歴史あり。温暖な気候風土のもと、醤油、手延べそうめん、オリーブなど名産品も数多い。
陸路・空路のない離島だが、四方に港があり、本州・四国からのアクセスには事欠かない。むしろ旅人にとっては、船旅・島旅情緒を存分に味わえる点が魅力的ともいえるだろう。

そんな島旅初心者からベテランにまで自信を持っておススメできる小豆島には、推すべき理由がもうひとつ。それは、伝統の祭りやフォークロアが実に多彩である点だ。なかでも、役者・太夫・裏方のすべてを地元住民が担う伝統の「農村歌舞伎」は、小豆島を代表する民俗行事のひとつといえるだろう。
歌舞伎の島
歌舞伎は、元出雲大社の巫女・出雲阿国(いずものおくに)の「かぶき踊」をルーツとして江戸時代に花開いた伝統芸能である。幕府の官許(かんきょ)を得た江戸・大坂・京都の芝居小屋と役者によって興行が催されるようになると、それぞれ「江戸歌舞伎」「上方歌舞伎」として発展した。
いっぽう、地方では、あくまでも神仏への奉納を目的とした歌舞伎が素人の村人らによって演じられ、「農村歌舞伎」「地芝居」「田舎芝居」などと呼ばれながら独自の発展を遂げた。
小豆島の歌舞伎は一説に、貞享3(1686)年、島の内陸に位置する肥土山(ひとやま)村の庄屋・太田伊左衛門典徳(おおたいざえもんてんとく)が行った治水事業(溜池「蛙子池」の築造)による水不足解消を祝ったのがはじまりと伝わる。今も鎮座する「肥土山離宮八幡神社(ひとやまりきゅうはちまんじんじゃ)」に仮小屋を建て、祝いの芝居を行ったという。
その後、各神社の氏子たちによる奉納芸能として島内に広まり、上方歌舞伎の影響を受けつつ、各村で豪華な衣装を競い合うなどしながら発展。最盛期には、島内一円に30以上の歌舞伎舞台が存在した。
しかし、時の流れとともにその数は減り、現在は土庄町(とのしょうちょう)の「肥土山農村歌舞伎」(5月3日)と、小豆島町の「中山農村歌舞伎」(10月第二日曜日)のみとなってしまった。とはいえ、このふたつは地元の自治会や保存会によって大切に継承されており、住民をはじめ島内外から訪れる観覧客で毎年大いににぎわっている。2024年には、共に国の重要無形民俗文化財に指定された。

肥土山へ
瀬戸内らしい爽やかな晴天のもと、「肥土山農村歌舞伎」を求めて、岡山からフェリーで小豆島へ渡った。開演1時間前に会場の離宮八幡神社に到着したが、お客の数はまだまばら。島の祭りの場合、本土ほど場所取りに気を揉む必要がないのがうれしい。まずは桟敷最後方に三脚とカメラを据え、会場受付に御花(ご祝儀)を寄付し、公演パンフレットをいただいた。
午後2時半、幕開けの祝儀舞「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」を皮切りに、肥土山農村歌舞伎が始まった。やはり地元の住民たちは慣れたものだ。開演直前にタイミングよくぞろぞろとやって来て、迷うことなく桟敷に腰をおろす。しばらくして、すぐに満員御礼となった。

子供歌舞伎
「知らざぁ言って聞かせやしょう……弁天小僧菊之助たぁ俺がことだぁ!」
子どもたちよる第二幕「青砥稿花紅彩画 稲生川勢揃いの場(あおとぞうしはなのにしきえ いなせがわせいぞろいのば)」。いわゆる「白浪五人男(しらなみごにんおとこ)」の名台詞が朗々と響きわたると、桟敷席から舞台上へ盛んにおひねりが飛んだ。まだあどけなさの残る白浪(盗賊の異称)たちの顔がニッとほころぶ。


番傘に書かれた「志ら浪」の文字は、小豆島中央高校・書道部員たちによる筆だ
演目にかならず子供歌舞伎が入るのが小豆島流だそう。例年はひとつだが「今年は子どもたちの出演希望が多くて、子供歌舞伎がふたつあるのです」と保存会の男性。今年は第三幕でも子どもたちが「時代物」(公家や武家を題材とする演目)を見事に演じ切り、大きな喝采を浴びた。

わりご弁当と明治の舞台
会場は和やかな熱気に包まれ、実に心地よい雰囲気だ。客席では、幕間に食事を囲み談笑する光景があちこちで見られる。なかには、年季の入ったミニチュアたんすのような木箱から取り出した弁当を仲間同士でおいしそうに頬張っているグループも。これがやけに気になる――。

「わりご弁当という小豆島特有の幕の内弁当です。この木箱のなかに弁当が20個も入るのですよ」
地元の女性が親切に教えてくれた。「わりご弁当」を皆で分け合い食べながら、和やかに歌舞伎を楽しむ。それが昔ながらの島の風習なのだそうだ。
それにしても、茅葺本瓦葺寄棟造(かやぶきほんかわらぶきよせむねづくり)の歌舞伎舞台は、なんて味のある立派な舞台だろうか。背後にそびえる山々の新緑とみごとに調和し、品格ある姿で凛と構えている。明治33年(1900年)改築。それも5度目の改築というから、いかに肥土山の人々が代々にわたって農村歌舞伎を愛し、誇りとしてきたかが察せられる。

日が傾きはじめ、背後の山並みと歌舞伎舞台が暖色を帯びてきた。そのふところで、大人たちによる最終第四幕が演じられている。このなかにはきっと、子供歌舞伎を演じた男の子・女の子の親御さんも含まれていることだろう。子々孫々までずっと、この素晴らしき伝統が続きますように――。旅人の勝手ながら、心の底からそんなことを考えた。


箭内博行(やない・ひろゆき)
日本再発見がテーマの写真家。日本写真家協会会員。今まで国内360の島々へ。著書に『離島建築』(トゥーヴァージンズ)、『ニッポン離島の祭り』(グラフィック社)、『ニッポンとっておきの島風景』(パイインターナショナル)など。その他、雑誌・新聞など連載多数。公式HP、SNSにて活動情報発信中!
