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読書感想文の書き方について作文・小論文指導者が考えてみた【夏休み企画】

更新日:2025/08/21

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(〆野の自己紹介はこちらから見られます。)


どう書いてもいい読書感想文の「書き方」とは

 この時期、夏休みという時節柄でしょうか、ネットでよく読書感想文の記事を目にします。だいぶ昔よりも減ったと聞いていますが、今でも「読書感想文の宿題」は多いのでしょうか。こういう記事も需要があるということですかね。ここ、2,3日、これらの記事を読んでいて、私も「読書感想文の書き方」について書きたくなりましたので、ここで「夏休み企画」ということで記事にまとめてみたいと思います。

 と言っても、基本、「読書感想文はどう書いてもいいもの」だと私は思っています。感想文は「作文の一つ」ですから、思うがまま自由に書いてよいものです。もちろん文章である以上論旨は明解かつ一貫していないと「文章として体をなさない」ですからそれは意識するとしても、それ以外で大学受験の小論文のように「こうしないといけない」というものはありません。そもそもそうやって「自由に感じたことを書くのが作文」であり、読書感想文もその例にもれません。……とここで終わってもいいのですが、そうすると一般論で終わってしまうので、それでもなお「読書感想文の書き方」について考えていきます。

読書感想文の「正しい書き方」が問われるわけ

 前述した「読書感想文の書き方」についての記事やそれについての本や見解が多く世の中で見られるのは、「それを求める人が多い」ということの証左だと思います。思えば、大人でも「自由にやっていいよ」と言われるとかえってどうしていいかわからなくなるものです。逆にある程度の制約や規則があった方がそれらを守ることで遂行しやすくなるものです。ですから、「読書感想文は自由に書いていいよ」とだけ言われても何をどうしてよいのかわからず戸惑うお子さんも多いでしょう。また、親御さんの方も「どう書いてもいい」ものをどう子どもに教えたらよいか戸惑うと思います。こうした人たちが「読書感想文の書き方」を求めるのだと考えます。

 また、読書感想文のコンクールがあったり学校で宿題で出されたりすることから、そこに「読書感想文に対するある一定の評価基準」があると考える人が多いと思います。つまりそこには「評価される『いい』読書感想文」と「評価されない『悪い』読書感想文」があると考えるわけです。コンクールの審査員や学校の先生に評価される読書感想文とは何か、そうしたところから逆算的に「評価される読書感想文の『正しい書き方』とは何か」という問いが提示され、その答えである「あるべき読書感想文の『正しい書き方』」が期待されるのだと思います。

そもそも読書感想文とは何か

 本題に入る前に「読書感想文とは何か」について、ざっとお話しします。そもそも読書感想文はどういうものでどんな目的から書かれるものなのでしょうか。

 近代日本の文章教育は「生活綴方教育」に始まります。これは1900年代から始まる教育である「綴方(つづりかた=作文)教育」を通して、その子の人間性を育んでいくというものです。これは戦後ますます盛んになります。ここで書かれるようになったのが「体験感想文」でした。遠足に言ったら遠足の思い出を感想文として書かせます。運動会が終わったらその体験を題材に感想文を書かせます。そして、こうした文章を書かせる中で子どもの人間的成長を促進させるのです。「読書感想文」もこの「体験感想文」の一ヴァージョンとして生まれました。読書体験を題材に感想文を書かせる読書感想文は、いわば「人間教育・情操教育の一環」なのです。今の日本の作文教育もこの流れの中にあります。

 文芸評論家の三宅香帆氏も上掲の記事で、読書感想文の最も大きなコンクールである「青少年読書感想文全国コンクール」の「本コンクール開催概要」に「読書感想文を書く目的として『豊かな人間性を育むこと』が掲げられている」ことを指摘しています。つまりここで、読書感想文を書くことで「考える力」や「表現力」を養うことはもちろんですが、「人間性の涵養」も期待されていることがわかります。

 これを前提とすると、「読書感想文とは書き手自身の人間的な成長を描くもの」と定義づけることができます。渡邉雅子氏も『論理的思考とは何か』の中で次のように言っています。

(感想文には)書く様式としては共通の型がある。序論で書く対象の背景と書き手が対象に対して持っていた感想(理解・知識・考え・感情)を書き、本論で対象を通した書き手の体験を述べ、結論で体験後の感想を述べる三部構造である。体験の前後での書き手の気持ちや考えの変化を感想という形で述べさせる根底には、体験を通して何を学んだのかを書く、つまり体験を通した自己の成長の軌跡を描かせ、その体験を今後どう自己の行為や生き方に生かすのかを考えさせる目的がある。読書感想文はその典型であり、読書によって書き手のものの見方や考え方がどう変わったのかが感動をもって書かれており、それが読み手に伝われば読書感想文は成功である。

『論理的思考とは何か』渡邉雅子(カッコ内の注・太字指定は〆野)

 つまり、読書以前、読書以後の自分(書き手自身)を書き、読書を通じて自分がどう人間的に成長・変化したのかを書くことが読書感想文であり、それが読み手に伝わるかどうかが成功のカギを握っていると言えます。

多くの識者の「読書感想文の書き方」論の比較と検討

 さて、ここからは多くの識者の「読書感想文の書き方」論を比較・検討しながら「読書感想文の書き方の最適解」を導き出していきたいと思います。

①まーや氏の見解

教員時代に子どもたちには
1、本のあらすじ
2、心に残った場面とその理由
3、自分と比べて、これからどう生かすか
という流れで書くと書きやすいよと伝えていました。これはあくまでも基本の型なので、文章表現が優れている子や、書き出しの工夫ができるのであれば自分でオリジナリティを出してねとも伝えていました。

 まーや氏は小学校の元教員の方です。これは「書きやすい」構成として提示したのだと思います。たしかに、文章を書き慣れていない小学生には、本の内容のまとめから入る分とっつきやすいと思います。あらすじをまとめている間に、自分の気付きや変化を再確認した上で文章を展開できるという利点があるでしょう。しかし、この書き方で懸念するところは「本の内容の要約(あらすじと心に残った場面の紹介)で大半の字数が消化されてしまうのでは……」というところです。特に書けない子は「要約を冗長にし、それにほとんどの字数を割いてしまうこと」をしばしばやりがちです。これは中高生にもよく見られる傾向で、意識的にそれをやっている(書けないから要約で意図的に字数稼ぎをしている)場合と無意識的にそれをやっている(書けないからついつい要約に注力してしまう)場合とがありますが、いずれにしてもそれによって「自分のことをしっかり書くスペースがなくなり、結果自分のことがほとんど書けていない」事態となりそうです。もっとも、まーや氏は「これはあくまで基本の型」であり、できる子にはここから工夫することを促しています。

②三谷幸喜氏の見解

1あらすじは不要
2「どう思ったか?」ではなく「どう変わったか?」

 脚本家の三谷幸喜氏が『情報7daysニュースキャスター』の冒頭で語った、読書感想文についての見解です。氏いわく、「書いちゃいけないことはないが、あらすじは基本不要。ただし、必要ならば書けばいい」とのこと。「原則あらすじは不要派」です。それよりも2が大事で「これを読んで、自分が何が変わったか。読む前と読んだ後でどんな変化が自分にあったかなかったか。自分に落とし込んで書くと、作文と同じようなものだからちょっと書きやすくなるかな」とコメントしています。これは的確な指摘であり、前述した感想文の定義や目的に十分に適っています。しかし、これにも問題はなくはありません。その問題については次の人の紹介の後に述べます。

③額賀澪氏の見解

「悩んでいる人にまず知ってほしいのは、「読書感想文は『本のことを書くのではなくて、自分のことを書く作文』だ」ということ。これに気づくと一気に書きやすくなると思います。」

 作家の額賀澪氏は、「読書感想文は『本のことを書くのではなくて、自分のことを書く作文』だ」と述べています。これは三谷氏と同じ立場と言えるもので、これも核心を突いた指摘だと言えます。前述した通り、読書感想文とは「読書経験を経た自分を描くもの」であり、その限りで「読書感想文は自分のことを書く作文」は全くその通りだと思います。三谷氏の意見をより洗練させたかたちですね。しかし、ここまで言い切った表現をすると「書けない子」は誤解する可能性があります。私の経験上、このアドバイスが刺さってそれを実践にうつせる子は「ある程度書ける子」だと思います。これを一番最初のアドバイスとして与え書けない子に書かせたら、かなりの確率で「本を無視した自分語りの内容」になると推測できます。『本のことを書くのではなくて、自分のことを書く作文』はキャッチ―なコピーですがやや逆説的な表現ですね。書けない子には「本のことを中心に書くのではなく、本読んで変わった自分について書こうね」くらいで言わないと、これは「本のことについて全くふれなくていいんだ」と書けない子は曲解しかねません。現に額賀氏がこのことに気付いたのは感想文をある程度書く経験を積んでからです(上掲記事を参照)。その上で「読書感想文の攻略法を探すために入選した作品をいろいろと読んでみたところ、あらすじではなくて自分の体験から始まっている」ものが多いことに気付いたわけです(入選作をいろいろと読むくらいには「書く経験」を積んでいたわけです)。しかも、その後は「担任の先生からアドバイスももらいつつ、その形式で書いてみた」とのこと。これは明らかに「中・上級者向けのアドバイス」であり、初心者や書くのが苦手な(嫌な)人がいきなり一人で取り組める「極意」とは言いにくいです。

④読書猿氏の見解

ステップ1:「心が動いたシーン」「疑問に思ったシーン」など、大切な場面を一つに決める

ステップ2:なぜ自分がそこを気になったのか、質問形式で書き出す

ステップ3:その質問に、自分なりの考えや経験を交えて答える

 結論から言えば、私がここ数日ネット記事で見た中で、最も汎用性が高く地に足がついていて最適解に近いと思ったのは、覆面作家の読書猿氏の「書き方」でした。まーや氏は小学校の元教員の方らしく「書けない小さい子」をターゲットにした初心者向けの「書き方」であってこれは現実的に「書けない子」が書き出す一押しにはなりそうですが、これだけでは「ただの本の要約」になりかねません。一方、三谷氏や額賀氏の提示する書き方は「感想文の目的や定義」にマッチしている点はよいですが、初心者向けではなく「実際に中高生に文章指導している私」から見るとやや理念的で理想論的と言えなくもないです。こうした本質をすぐにつかんで感想文が書けることが理想ですが、これは「ある程度書いている子」でないとすぐには体得できないと思います。その点、読書猿氏の書き方はこれらの問題をクリアしています。

 三谷氏や額賀氏の書き方に対するアドバイスは、ややもすると「本から離れた自分語りになる危険性」がありました。しかし、読書猿氏は「その本の大切な場面を一つ挙げさせる」ことで、「読書体験をきっかけとした自分の成長物語」を書く下準備をさせています。それでいて「あらすじを書かせない」ことから「自分についてメインに書く」ための配慮をしています(読書猿氏も「よくない感想文の代表例が、『あらすじ感想文』です。」と言っています)。またステップ2をはさんでステップ3で「自分なりの考えや経験を交えて答える」ことを課しています。「読書体験で自分が変わることを描く」ためには、その本の中の空間(本の中の世界)の体験と現実空間(自分の普段の実生活)の体験とがオーバーラップし、その本の中での体験が本の外の自分の変革に作用するようにして書く必要があります。つまり、本の世界の中で気づいたことや考えたことと同じことが実際の世界でもありそれで現実の自分に化学変化が生じるわけで、その過程について書くわけです。ステップ2と3はそれを可能にするものです。私が見た限りでは、こうした読書猿氏の書き方が、読書感想文を書く目的にも適合しかつ汎用的で具体的な書き方の「最適解」ではないかと感じました。
 

まとめ ~本を読んで、それを媒介として自分がどう成長したかを書くのが「読書感想文」~

 ここまで書いておいて言うのもなんですが、読書感想文はどう書いたっていいんですよ(笑)。でも、「読書体験を媒介とした自分の成長物語として書く」のが読書感想文なんですよね。その「核」さえしっかり持っていればよいと思います。少なからず、コンクールや学校の先生に評価されたいと思うならば、これが一番大事です。

 その上で、自分の、書くことへの好き嫌いや書いてきた経験、成長段階(小学生と中学生・高校生とは発達段階が全然違いますからね)に合わせて、自分に合った書き方を選択すればいいと思います。額賀氏のように元々文章を書くのが苦でない子だったら、三谷氏のアドバイス一つで「あっ!」と気づいてすらすらと読書感想文を書き出すかもしれません。また書く経験をほとんどしていない小学生であればまーや氏のように「まずはどんなあらすじだったかまとめてみようね」と「まず書くことそのものに慣れさせる」のもいいかと思います。

 こちらの記事が、読書感想文に悩む生徒さんや親御さんの一助になれば幸いです。

(こちらの記事もごらんください。)

(読書感想文の書き方については様々な本が出ています。目的と用途、お子さんの成長段階に合わせてお選びください。)

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