「AIに書けない、人間にしか書けない文章」とは何かについて、小論文・作文指導者が考えてみた!~『AIに書けない文章を書く』(前田安正)の感想として~
更新日:2025.09.29
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長い愚痴のような感想から
こちらの本を買うとき、「AIに書けない文章」をどう書くかがわかることを期待しました。みなさんもご存じの通り、今や生成AIで文章が書ける時代となっています。そんなことから、高校生や大学生も論文やその他文章の作成に生成AIを用いることが多くなったようです。
(でも志望理由書の作成にはAIを使っていけません)
こうした状況の中で、「人間が文章を書く意味」や「人間にしか書けない文章とは何か」について考えたくなりました。いや、考えておく必要が、立場上私にはあると思いました。今まで、中学生や高校生に「文章の書き方」を教えてきた私が、生徒から「文章なんてAIに書かせればいいじゃないか」と言われたらどう答えるべきなのか、またどう答えるのが回答として有効であるのか、考えておきたかったからです。
(ちなみに私はこういう仕事をしている者です)
しかし、こちらの本を読んで、それについての「新たな発見」はあまりありませんでした。あったのは「改めての確認」でした。つまり、この本は、「AIに書けない、人間にしか書けない文章」について、私がこの本を読む以前からあらかじめ考えていたことの域を出る内容ではありませんでした。この本の著者と考えがほぼ同じであったことで「やっぱりそう考えるよね」と自信を得る一方で、「知りたいのはその先のことなんだけどな……」と少し残念に思ったのも事実でした。
AIにできなくて人間にしかできない文章表現、それは「身体性を介した表現」だと、私は常々思っていました。AIは身体を持ちません。人間は身体を持っています。そのことから、人間には「身体性を介したリアルな表現」ができるはず……これが「AIに書けない、人間にしか書けない文章」だと私は考えていました。
たしかに、この本の著者である前田安正氏はこの本の中で「文章には、自分の存在がにじみ出る」と言っており、それはその通りだと思います。上掲の拙記事で「AIに志望理由書を書かせたこと」について述べていますが、できあがった志望理由書を読んで私がまず思ったのは、「この志望理由書を書いた人間がリアルに存在すると思えない」ということでした。いわく一般論、いわく匿名性、いわく具体性の欠如、つまり「全く『顔』が見えない文章」だったのです。その文章には、「書いた自分」の存在が全くにじみ出ていませんでした。
しかし、問題は「どのように自分の存在を文章の中ににじませるか」であり、それを知りたくてこちらの本を読んだわけですが、あまり「有効な手だて」を得ることができませんでした。この本は「AIに書けない『自分らしい』文章を書きましょう」で話が終わっているように、私には読みとれました。「では、そうした文章をどう書くか」について、具体的な提案があまりなかったのが残念でした。
もちろん、「文章の作成の仕方についての具体的な話」がなくはありません。しかし、その内容は非常に既視感があるものでした。「あれ?この内容どこかで読んだな?」と感じ、よくよく考えたら、それは同著者前田氏の別の本でした。「Whyで問いかけながらストーリーを作る」、「『は』と『が』の使い分け」、「接続助詞や中止法は使わない」、「前提はいらない」などなど、著者がこの本で「AIに書けない文章」を書くために必要だと挙げたもののほぼ全ては、先に出版している『マジ文章書けないんだけど』で紹介している内容でした。たしかに、共に文章についての本ですから「かぶる内容」もあるでしょう。しかし、全くコンセプトの違う本なのにその実践的な方法や手段がほぼ同じ、というのはどういうことなのでしょうか。
『マジ文章書けないんだけど』は、そのタイトルが示すように文章が苦手な若年層をターゲットした本であり、就職活動を間近に控えながらもES(エントリーシート)が書けずに悩む女子大生(浅嶋すず)が著者の前田氏(謎のおじさん)からレクチャーを受けながらESが書けるようになるまでのストーリーに合わせて基本的な文章作成技術を学ぶ本です。先に言っておきますが、これはとても実践的で、かつ読み物としてもとても面白いので、大変おすすめできる本です。朝日新聞で校閲を務め、現在は国語問題や漢字、文章に関するコラムやエッセイを執筆する著者が、的確で基本的な文章作成術を披露しています。「文章が書けない『文章作成初心者』」にはおすすめできます。
(こちらは文章作成初心者には大いにおすすめできる本です。こちらは結構いい本なんですけどね……)

しかし、これは「文章作成『初心者』向けの本」であり、今回は「AIに書けない文章を書くための本」です。AIは「文章作成の基本」に「人間以上に」忠実な文章を書くのです。「そのAIに対抗するワンランク上の文章術」として「初心者向けの基本的な文章作成術」を指南しても(全く意味がないとまでは言いませんが)、それだけで「AIを超克する文章」が書けるとは思いません。私も文章を書くので自身も「ネタの使いまわし」をしないことはありませんが、こんなに安易にネタがかぶると著者に対しての読者の信頼が損なわれかねないと私は思います。調べたところ、本書は全七章で構成されていますが、そのうち、本論に当たる第三章から第六章はほぼほぼ『マジ文章書けないんだけど』とネタがかぶっています。
この本から前田氏の本を読みはじめた読者には、受け入れられる内容かもしれませんが……
それでも……この本から「AIに書けない文章」を書くヒントについて考えてみる
それでも、この本から「AIに書けない文章」をどのように書くのか、そのヒントを探るとすれば、それはこの二つのトピックに集約できると思います。
一つは、著者が繰り返し述べている、「文書」と「文章」の違いです。
僕はいま、AIに対して「文章を書く」とは書かず、「ものを書く」、「まとめる」という表現を使いました。それは、AIには「文章を書く」ことができない、と考えているからです。
(中略)
国語辞典の『大辞林』(ウェブ版)によると、文章は、「書き手の思考や感情がほぼ表現し尽くされている一まとまりの統一ある言語表現」です。つまり、AIには思考や感情がないので、文章は書けないのです。
その上で、前田氏は「AIが書いているのは『文章』ではなく『文書』だ」と言っています。この内容は「はじめに」にまず書かれ、最終章の第七章でも書かれています(引用部は「はじめに」に書かれているもの)。したがって、この本における最終的な主張はこの内容であると私は読みとりました。
この指摘は、たしかに重要です。AIには人格がありません。その限りで「書き手の思考や感情」がないと言えます。しかし、この辞書的な定義でとどまってはいけません。なぜなら、AIを「有能な相談相手」として活用する事例も報告されているからです。
先日とあるラジオ番組を聴いていたところ、あるアイドルの子が「休みの日に仕事で疲れて何もする気が起きないのでそれをAIに相談したところやさしく励まされ、部屋の掃除をする気になった」と言っていました。このようにAIに相談するケースが特に若い女性を中心に多いことが、上掲の記事からもわかります。つまり、AIは「人格がない」のに「人格がある」ようにふるまい、また人間の側はそのAIに「人格を見る」のです。これについて、「いやそれはおかしい!AIは人間ではない!」と否定するのは簡単です。しかし、これは、もはや多くの人が、前田氏のように「AIに思考や感情がない」と割り切って考えていないことの証左でもあります。少なからず、こういう人たちには、AIの作るものが、無機質に文字列が集積された「文書」としてではなく、疑似的であれ、ある特定の「人格」から発せられた「文章」として受け取られているということです。それが科学的に正しいか誤っているかはさておき、「AIに書けない文章を書く」というのなら実際こういう事象があることに目を向けざるを得ないでしょう。この事象を前に、「辞書ではこういう意味であるため……」と論ずるだけではあまり効果がありません。こうした「AIに対する幻想」を超克する人間の書く文章とは何かを考えるべきです。ただし、この前田氏の指摘がこの問題を考える上で重要なヒントになることは間違えないとは思います。
二つ目は、「自らの経験を元に書くこと」です。前述したように、私はこの本を読む前から、「AIに書けない文章」を書くためには、「自分の身体性を介した文章表現しかない」と思っていました。つまり、自分がオリジナルに体験、経験したことを通して述べることでしか、「人間しか書けない文章」は成り立たないと思っていました。であるからこそ、上掲の拙記事のように「志望理由書をAIに作成させることはありえない」と主張しています。なぜなら、志望理由というものほどその人(受験生)独自の体験や信念、人生観に根ざすものはなく、それをその人自身でないAIが書くことは基本できないからです。
ですから、「つまり、AI時代の文章は、自らの経験を元に書かなければ、AIに敵わないということになります。」という第七章(最終章)の著者の結論めいたものを読んだとき、「でしょうね」と思いました(生意気な読者ですみません!)。
しかし、この意見には大きく賛同するわけですが、この結論に至るまでのここまでの内容があまり根拠になっていないので「その結論に至った話」としてはあまり説得力がないように思います。前述したように著者の示す「基本的な文章作成術」はわかるのですが、この結論はこの最終章までのそれらの話を根拠として導出されたものとは言えません。「私の考える基本的な文章作成術」を次々と紹介した上で最後(最終章)に「本のタイトルに合わせた話題」を持ち出して性急に結論づけたとしか読みとれない全体構成です。そのため、いささか「消化不良」の内容でした。「なぜ自らの経験を元に書くことがAIに書けない文章を書く上で有効策となるのか」、「どのように自らの経験を元に書けばよいのか」といった問いからはじめて、それについて一冊使って論じてもらいたかったな、というところです。
まとめ ~自分という存在を文章にどうにじませるかが問題だ~
難癖をつける文章となってしまいましたが、それでもこちらの本から学んだことはあります。それは「自分だけの体験や経験を介して文章を書く」ことの大切さです。
受験小論文や志望理由書を書くのであれ、またエッセイや小説を書くのであれ、AIに克つ文章を書くには「その人ならでは体験や経験をその人自身の切り口でその人だけのストーリーとして語る」ことが大事だということです。
たしかに、著者が言うように、ある言葉の解説や電子機器の取扱説明書などの「文書」はAIに任せればいいのだと思います。しかし、こうしたAI時代に人間が文章を書く意義があるのだとしたら、「自分ならではのストーリーを書く」こと以外はありえません。その人の生活や人間性が垣間見える文章を書くことが「AIに書けない文章を書く」上での大きなポイントとなるのでしょう。
ただし、ということは、これからの人間の文章作成は、文章作成術の習得よりも「どのように日々を自分らしく生きたか」が問題になると言えそうです。みんなと同じことを考えてみんなと同じような日常を送るのではなく、「どれだけそこから自分が『はみ出せる』のか」を考えて生きることが大切と言えます。今の個性や多様化の時代の影響は、文章作成においても決して無縁ではありません。「自分印(じぶんじるし)の文章がどのようにしたら書けるのか」、note作家である私も考えていきたいですね。
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