なんでもない日記:整えられた言葉を捨て、弱さを指で掴む
白いボックスに届いた質問
スマートフォンの画面を開くと、先日なんとなく設置してみた「質問箱」に1通のメッセージが届いていた。
質問をみつめたまま、指先がピタリと止まる。胸の奥がキュッと縮むような、気恥ずかしさと驚きが同時に押し寄せてきた。
洗練された表現や彩りのある言葉を持つ書き手が無数にいる中で、私のつづるものに目を留めてくれた人がいる。その事実は温かくも不思議で、何度も画面をスクロールしては読み返してしまった。
50対50の揺らぎと、1日をほどく記録
自分の書くものを振り返ってみると、特別な技法や高度な構成など何ひとつ使っていない。書いているのは、その日に起きた出来事と感情を拾い集めた、ただの日記だ。
私の文章は、ふたつの欲求でできている。
「誰かとつながりたい」という思いが50%、
「自分のために残したい」という記録が50%。
画面の向こうにいる誰かと感情を共有して救われたい気持ちと、日々の忙しなさに埋もれてしまいそうな自分の感覚をつなぎ止めておきたい気持ち。その半々のバランスで成り立っている。
だからこそ、その日歩いた道の傾斜や、すれ違った人の表情といったディテールを、なるべく細かく文字にして残すようにしている。
泥をすくう指先と、後からの視線
事実をただ並べるだけでは、それは単なるログで終わってしまう。私が意識しているのは、出来事を書き留める時間差の中で生まれる「後からの気づき」を混ぜ込むことだ。
その瞬間には言葉にならなかった違和感や、頭の片隅に引っかかっていた小さな本音。それらは大抵、格好が悪かったり、自分でも直視したくない弱さを含んでいたりする。
無意識に蓋をしてしまいたくなるその感情に、少しだけ無理をして指を伸ばしてみる。
内側の泥をすくい上げるような作業は、決してスマートではない。けれど、そのひりつく手触りこそが、自分だけの言葉を生み出してくれる。
画面の向こうのあなたと、明日を記述する
問いかけてくれた読者のおかげで、自分がなぜ言葉を紡ぎ続けているのか、その足元を確かめることができた。どれだけありがたい言葉をもらっても、私がやるべき営みは変わらない。
明日もまた、日常のなかで立ち止まった瞬間をすくい取り、かっこ悪い自分もごまかさずに書き残していくだけだ。
綺麗に整えられた建前ではなく、手探りで掴んだ本音を言葉にする。
あなたはいま、自分の奥底にあるどんな感情に蓋を外し、言葉を与えようとしていますか?
