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個人通信”Simple Dreams”1454号

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個人通信"Simple Dreams"               1454号
2025.12.28
石川 晋
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ぼくのnoteは1号だけの購入だと500円。月に4号は出ますが、月刊購読なら100円。どうぞ、単体ではなくマガジン購読(月単位)で購入してみてください、すぐ辞めてもいいですから、8号くらい(2ヶ月くらい)まとめて流れで読んでほしいなあと思っています。

今回の号は、学校情報もないので、全文公開にします。面白いなあと思った方は、ぜひ、マガジン購読してください。多分今月中に購入すると、今月分は遡って無料で読めるはずです。

We最新刊「ただひたむきに生きるアート。できました。渾身の連載記事も書いてます。あざみ野でこの雑誌の原稿を読む会を継続しています。前回は読書会できていなかった3冊の原稿をまとめて読みました。3冊手に入っていつもの料金なので、格安の講座でした。本当は雑誌も存続危機なので、ぜひ定期購読もして欲しいのです。

授業づくりネットワークNO.52「学校組織の中でどう生きるか」発刊です。ぼくは、小金井市立南小学校の村上聡恵さんへのロングインタビュー記録をまとめました。小金井南小学校には、現在単元自由進度学習で全国的な注目が集まりつつあります。でもそこに至る流れは実はとても複雑で繊細なのです。組織の士気を高め、新しい息吹の芽生えを呼び起こし・・・これまでにないいわば見えにくい舞台裏を丁寧に聞き取ることができました。

ようやく冬休みに入りました。備忘録的に、簡単な記録だけ。

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今回は、12月22日(月)から12月28日(日)までの期間。
・コミックソングのこと
・所有という概念のこと
・SNSとの距離のこと
・イリーナ・メジューエワのこと
・クリスマスに寄せて(イザヤ書)
・生成AI関連イベントのこと
・マルティヌーのピアノ協奏曲第5番(マルグリット・ウェーバー)
・タイとカンボジアの戦争のこと
・インバウンドの車内マナーのこと
・仙台での講座のこと、そして、学習指導要領の「論点整理」の講座が自分にはとてもしんどかったこと
・膝の痛みと向き合いながら、手放すということについて考える
・劇団「万能グローブ ガラパゴスダイナモス」、そして川﨑和子さんのこと
・長谷川町子美術館・記念館
・名寄市北国博物館特別展「排雪列車キマロキ展示保存50年・深名線廃止30年記念展inよろーな
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・今日は、コミックソングのことを考えていた。最後の国民的なコミックソングはどれだったかな。USAはコミックソングだったのかな。

・エリシュカと札響の名盤は全部、もうサブスクでは聴けなくなったのか。「所有」ということについて、色々考える。個人が、個人として所有できる範囲のものをを「所有」と呼べた時代が懐かしい。また、やっぱりそういうのが「真っ当」なんじゃないかということに、どんどん行き着いている。

・メモとして・・・SNS上では、ぼくにとっては当たり前のことなんだけれど・・・ぼくは、誰が書いているかで「いいね」したりはしない。
ぼく自身も、自分の読む力が低くて誤読したり間違えて理解したりすることもあると思う。ぼくがなんらかの記事をシェアしたポストなどについては、元資料を丁寧に読めてないのではと指摘されたりもする(ありがたいことである)。とはいえ、少なくとも誰が書いているかで「いいね」したりはしない。事実誤認の内容や差別的な言辞は誰からも(ぼくからも)発信される可能性があるからである。そうした発信への声援になってしまうからである。だから個人的な記事ものについては長いものは特に丁寧に読む(元資料などがある場合は読みきれていないこともあってしくじることもある)。一方でぼくは、自分と明らかに意見を異にする言述などについて、コメントをつけたり意見表明したりすることはとても少ない。社会正義の立場から(実際には大いに感情表明である場合も多いだろうが)ひどいポスト・記事には意見表明するべきだという考えがあることもわかっている。が、ぼくの場合は、極めて功利的に対応している。SNSでは一度のやり取りで関係が一方的に断たれてしまうケースが多いことも知っている。ぼくは、自分と違う意見も自分のタイムラインにたくさんある状態にしておきたいと、そう思っているのだと思う。また、この人の記事は、意見の異同に関わらず読み続けておきたいと考えている人物の記事などであれば尚更である。書いてきて思ったのだが、これは多分、SNSについてのぼくの考え方、距離感みたいなものの表明ということになるのかな。

・久しぶりに、イリーナ・メジューエワのピアノでショパンのピアノソナタを聴いている。彼女のピアノは、もう無くなってしまった若林工房のアルバムでずうっと聴いていた。今は別なCD会社が彼女の音源は引き継いでくださったようで、ありがたい。メジューエワは、おそらくは圧倒的なものになったであろう国際的なキャリアを選ばずに、日本で弾き続けることを選んでくれたピアニストだ。この世界情勢の中で、胸を痛めながら、音楽と向かい合っている姿を想像して、ぼくの胸も痛む。久しぶりにどこかで聴きたいな。ぼくが聴いたピアニストの中では、間違いなく世界最高峰の一人だった。

・「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ書40章6節から8節まで)
 ぼくが信仰生活を続けていた頃もっとも好きだった言葉だ。しかし、今や、ぼくらに永遠に依りて立てるものなど何もないと思う。たしかに、神(なる何か)以外に依りて立てるものなど何もない。ぼくはそういう中で、何にも依らずに立って歩き続けようとしている。まことに愚かなことであるが、それで良い。クリスマスイヴである。メサイアは何を聴こうか。ホグウッド盤と迷ったが、軽やかで清廉なラター盤を選ぶ。

・生成AI関連のイベント・提案の案内では、ほぼ必ずと言っていいほど、「これからの時代」とか「未来の教育」とか「新しい時代」とかいう言葉が入る。ぼくは、基本的には、こういう言葉が入るものについては、あまり信用していないのです。そうじゃない動機で設定されているらしい生成AIイベント・提案も、稀だがある。誠実だなと思う。

・マルティヌーのピアノ協奏曲5番。マルグリット・ウェーバー。往年の名ピアニストである。エレガントなのだ。1957年、彼女の委嘱による作品なのだな。

・タイとカンボジアの戦争は、これで一旦終結できるのだろうか。そうだといいのだけれど。日本はアジアの同胞への関心が低い。ウクライナとロシアの戦争への関心と同様、アジア各国の動向にもみんな関心を持てるといいと思う。

・仙台で長く講座をしていない。楽しみにしてくださっている方もいらっしゃるので、年末北海道に戻る流れで、組み入れてみた。良かったなあ。8人の方にお話しできてよかった。前後は新幹線と在来線を乗り継いだのだが、帰省の時期に重なっていること(自分もそうなのに)をまるっきり忘れていて、東京駅からずうっとすごい人の中にいる。新幹線も在来線も、とにかくドリンクホルダーの飲みかけのお茶・ジュースとリクライニングシートの倒しっぱなしが気になる。今回の旅程だけだと思いたいが、残念ながらそうしたまま列車を降りていく多くの人はインバウンドの方々である。きっとそれぞれの国ではそれが当たり前なのだろう、またこの国が大量のインバウンドの旅費によって経済の一部を支えられていることを思えば、ある程度忍従しなくてはいけないことなのかも知れない。でも、そこが気になってしまう「自分」がいるのも本当だ。異文化の人たちが流入してくるということとどう向き合うか、自分自身の意識をどのように更新しながら受け入れていくか、それは誰の問題でもなく、ぼく自身の問題なのだと思う。

・仙台は8人もの方が参加してくださって嬉しかった。しかし、仙台に限らず、この学習指導要領の論点整理についての講座は、ぼくと現場との距離感が浮き彫りになり続けて辛かった。論点整理の講座では、結局、中身を説明してほしい(解説してほしい)という参加者のニーズと、そもそも学習指導要領やその成立過程に関して俯瞰的・客観的な視座を持ってほしいと願うぼくとの間にある大きなズレがずうっと顕在化し続けた。その過程で、講座の持ち方についての根本も揺らいだり、再考を余儀なくされたりしているなあと感じることしきりだった。世の中には、論点整理をABDで分担して読む読書会をやっている先生方・教育関係者までいるらしいということは、ぼくを心底震え上がらせるに十分な事態である。そんな風にして「読み込まなくてはならない」ものと受け止められている(しかもまだ学習指導要領未満のものを・・・)・・・。それらの人たちにぼくの言葉が届くのだろうか、ぼくのような関わりようや発言を繰り返す人は求められていないのではないか、そういうことをずうっと感じざるを得なかった。今日日曜日の名寄の会で、論点整理に関する講座も最後だ。心底ホッとしている。いや、心に力がもう一度貯まったら、やっぱり続けなくちゃいけないのだとは思っている。

・この二学期からはいろんな現実が刺さって辛かった。酒のアディショナルタイムは延々と続き、体重も5キロくらい増えた。この冬は初めて時折膝に痛みがある。もう手放してもいいものは、どんどん手放していくしかないのだろう。

・下北沢の駅前劇場で劇団「万能グローブ ガラパゴスダイナモス」の「西のメリーゴーランド」を見た。福岡の劇団ということだが、役者は一人一人芸達者。基本は会話劇、音楽も最小限で、好ましかった。脚本は前半うまく乗れずに苦しかったが、途中からは、大変面白かった。思えば今年は芝居はほとんど見れなかった。夏に札幌で見た劇団「ヒュー妄」くらいしか新しい劇団にも手を伸ばせなかった。映画はもっと悲惨で何を見たのか思い出せないほどだった。人の物語を身のうちに入れ込んでいくのがしんどい。日常の中であまりにもたくさんの人々の物語を身の中に受け入れすぎているからだろう。

面白かった。上手な脚本だった。

・下北沢からは三軒茶屋までバスに乗った。代沢小学校の前を通るときゅうっと胸が痛くなった。山で死んだ川﨑和子さんのことを思い出した。彼女は一つひとつ本当に一所懸命だった。ぼくなんかよりもよっぽどまっすぐな人だった。これからぼくは、ぼくが死ぬまで、たくさんの仲間・知人の死の事実を少しずつ浴び続けていくのだろう。そのまま桜新町で、長谷川町子美術館・記念館に行く。ぼくが形成されていった時間(昭和)と一つひとつ向き合う時間だった。昭和は遠くなった。サザエさんも、現代の日本昔ばなしだね。それにしても、痔がひどい。今年の後半は歯肉炎と共に、ぼくをずうっと苦しめた。コーヒーの摂取量も半端ない。毒物摂取だものね。

昭和を感じる時間だった。誰もいないかと思ったら若いカップルが来ていたり。

・よろーなにつくと、名寄市北国博物館特別展「排雪列車キマロキ展示保存50年・深名線廃止30年記念展inよろーな」をやっていた。キマロキもそうだが、深名線に胸が締め付けられそうだった。ぼくは二度乗った、一度は一人で、もう一度は大好きだった人と。ぼくは、いろんなことを上手にやれなくて、たくさん溢れ落として来たんだな。馬鹿な人だったのだ。ケーキを買って、コーヒーを飲む。今年最後の講座まであと一時間である。

パネル展示。おじいちゃんが一人見入っていた。いや、ぼくももうおじいちゃんかも。
素晴らしい鉄路だった。途中のトンネル、眩しい緑、一生涯忘れることはないだろう。
キマロキは雪囲いの中だね


5300文字。

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