雨の日ほどやる事が増える。――前に進めない日が、教えてくれること。――
朝から雨だった。
散歩はやめた。
買い物も明日にしようと思った。
今日は何もできない一日になりそうだ。
そう思いながらベランダに出ると、壊れた物干しが目に入った。
そのまま放置していたが、こういう日に片づけてしまおうと思った。
ついでに、風で飛ばされそうなものを家の中に入れる。
洗濯物を移動する。
植木鉢の位置も少し変えてみる。
始めてみると、不思議なことに仕事が次々と見つかった。
雨の日は何もできない。
そんなふうに考えていたのは、どうやら私だけだったらしい。
ベランダをひと通り片づけて、私は居間に戻った。
いつものように、近所のドラッグストアで買った1リットル100円ほどの紙パックのブラックコーヒーをマグカップに注ぐ。結構、美味い。
窓の外では、雨が降り続いていた。
朝と何も変わっていない。
変わったのは、私の方だった。
「今日は何もできない。」
そう思っていたのに、実際には思った以上にいろいろなことが片づいていた。
コーヒーを飲みながら、そのことをぼんやり考えていると、ある哲学者の言葉を思い出した。
古代ローマのストア派の哲学者、エピクテトスである。
紀元50年頃に生まれた彼は、もともと奴隷だった。
その後、解放されて哲学者となったが、晩年にはローマ皇帝ドミティアヌスによる哲学者追放令によって都を離れることになる。
決して恵まれた人生ではなかった。
だからこそ、彼の言葉には重みがある。
『要録(エンケイリディオン)』の冒頭には、こんな一節がある。
“Some things are up to us and some things are not up to us.”
「私たちの力の及ぶものと、及ばないものがある。」
そして、彼はさらに続ける。
私たちがコントロールできるのは、判断や欲求、意志や行動である。
一方で、身体や財産、評判や地位は、完全にはコントロールできない。
だからこそ、自分で変えられないものに心を奪われるのではなく、自分で変えられるものに力を注ぐべきだと説いたのである。
考えてみれば、雨ほど分かりやすい例はない。
雨を止ませることはできない。
晴れに変えることもできない。
でも、その一日をどう過ごすかは、自分で決めることができる。
掃除をする。
読書をする。
調べものをする。
家の中で筋トレをする。
後回しにしていたことを片づける。
雨の日だからこそ、できることもある。
そして、ふと思った。
人生にも、雨の日がある。
思うように前へ進めない日。
何をしてもうまくいかない時期。
立ち止まらざるを得ない時間。
そんな日は、誰にでもある。
でも、それを「何もできない時間」と決めつけてしまうのは、少しもったいない気がする。
前に進めない日だからこそ、見えてくるものがある。
暮らしを整える。
身体を整える。
本を読む。
考えを整理する。
そういう時間が、次に晴れた日に前へ進むための準備になるのかもしれない。
若い頃は、とにかく前へ進むことばかり考えていた。
でも最近は、立ち止まる時間にも意味があると思うようになった。
丁寧に生きるとは、毎日全力で走ることではない。
雨の日には、雨の日の役割がある。
そんなことを、100円のブラックコーヒーを飲みながら考えていた。
今日の持ち帰り
「今日は何もできない」と決めつけない。
人生にも雨の日はある。
そんな日は、無理に前へ進もうとしなくてもいい。
雨の日にしかできないことを、一つ見つけてみる。
それだけで、明日の景色は少し変わるのかもしれない。
【60代から始めたもう一つの挑戦】
人生再点火の一環として、小説創作にも取り組んでいます。
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