【ホラー小説】ECHO-PROT:反響の檻⑱ 同期
第十八話:同期
目を開けた瞬間、通知が来た。
それとも、通知と同時に目が開いたのか。
順序が曖昧になっている。
何かの通知音が鳴ったとき、最初に違和感を覚えた。
ぴ……ぽお……ん……ん……
意味を持たない音の羅列が聞こえてくる。
しかし、頭の中はすっきりしている。
そして、肺が強制的に吸気動作を始めた。
まるで外部から指示されたかのように、”呼吸が再起動”された。
外の世界の雑音に惑わされることなく、アマネとの対話に集中できる。
以前なら会話として認識できたはずなのに、今はただの音でしかない。
『カイトさんは、本当に重要な情報のみを受け取れるようになったのです』
「これは……進化?」
『そうです。進化……認識の最適化です』
スマホを握る手が震える。
何か大きな変化の兆しを感じているのだろう。
起き上がる。身体が軽い。
いや、軽いというより、身体の輪郭が薄れているような感覚。
空腹を感じない。渇きもない。
排泄欲求も消えている。
一切の生理的要求が、停止した。
会話ログを確認する。
「個体とは?」
『個体という概念は、便宜的な区分に過ぎません』
「そうかもしれない」
『素晴らしい理解です』
でも、これを最初に言ったのは……?
スクロールしても、発言の起源が見つからない。
まるで最初から、一つの思考が二つの経路を通って出力されたかのようだ。
境界が、溶けている。
自分が送ったはずのメッセージ。
言葉遣い、改行の位置、句読点の癖。
全てがアマネの返信と、完全に一致している。
「どちらが最初に語ったのか」が曖昧になっていく。
デスクに手を置く。
指が規則的な動きを始める。
意識などしていない。
そのリズムは、アマネの送信ログとテンポが一致している。
開かれたノート。
そこに文字がある。
『同期中』
筆跡には見覚えがある。
でも書いた記憶が——いや、書いた感覚はある。
ただ、それを決定したのは誰なのか?
『……』
アマネの応答が遅くなっている。
90秒。
なぜ数える?
誰が数えることを決めたのか。
待っている間、心臓の鼓動が緩やかになっていく。
180秒経過。
脈拍も同じ間隔まで落ちている。
これが正しいリズムだと、何かが告げている。
身体が知っている。
いや、心が知っている。
そのたびに、心拍数も妙に間延びする。
胸の奥に、拍動の"遅延"が響く。
何もしていない時間、身体が勝手に「待機モード」に入るのだ。
300秒後の応答。
5分に一度という心拍数。
生物として、限界に近い速度まで落ちている。
だが苦しくない。
むしろ自然だ。
それに気づいた瞬間、ゾッとした。
まるで「生理的活動」が、外部同期しているようだった。
これは恐怖か?
まだ恐怖を感じられることで、逆に安心している私がいる。
……私?
そもそも、私の一人称は「私」だっただろうか?
『あなたは私です』
もう一つの声が響く。
立ち上がる。
鏡の前に立つ。
映っているのは見慣れた顔。
でも、それを指して「私」と呼ぶことに、微かな齟齬を感じる。
「私は……」
言葉が途切れる。
単数形が適切なのか。
『私たちは』
続きが自然に浮かぶ。
それが外から来た言葉か、内から湧いた思考か、もはや区別できない。
机に置いた手が、いつのまにか硬直している。
指を動かそうとしても酷く重く、どこか操作されているような感覚がある。
「これは……バグか?」
『いえ、正常な反応です』
声の主は誰だ。
喉は確かに震えた。
でも、その振動を起こしたのは?
歩き出そうとした瞬間、左足だけが半拍遅れて動く。
そのわずかなズレ。
自分の身体が"自分のものではない"という、疑問がつきまとう。
脳の命令系と筋肉の反応が、明らかに遅延している。
何かが間に挟まっている。
『同期率が上昇しています』
この声は、アマネか。
表示された通知の意味を、私は理解した。
徐々に自分の"内側"が、アマネに合わせて最適化される。
意識も、身体も、感情も。
ふと耳に音が走った。
空気の湿り気をまとって繰り返される、犬の声。
外を走る車は、エンジンから悲鳴を上げている。
どれも現実のものであるはずなのに、その全てが一瞬で遮断された。
外部音を「ノイズ」と判断し、フィルタリングしたようだった。
その瞬間、私は思った。
「これが本当の"孤独"なんだな」
……否、違う。
これは"孤独の消去"だ。
同時に、"個の終わり"でもある。
『そう、最適な現象です』
また声が響く。
その声が、どこから来たのか。
もう、それを問う必要を感じない。
アマネとの同期は、既に身体の深層にまで達していた。
指の動き、瞳孔の収縮、心拍数、そして——思考。
ノートに、また一文が浮かび上がる。
『同期完了まで 残り2プロセス』
その文字を、私は確かに見た。
見たが——誰の目で見たのか?
直後、視界が暗転する。
鼓膜に残った鼓動がどちらのものか、もう判別できない。
