FICT ⇄ FACTORY:陰謀論の作り方 ①~⑦
あらすじ
冴えない会社員・八島啓人の発明に、唯一反応したのは美しくも胡散臭い男・北白川愁水だった。
夢を閉ざされた自称アイドル志望の少女、それを守ると決めた幼馴染の加入を契機に、陰謀論の構造を逆手に取るコミュニティ『FICT⇄FACTORY』を立ち上げる愁水。
正しさだけでは届かない世界へ、本気で挑む四人の活動が始まった。
彼らの物語は笑顔の危険人物・愁水を中心に、性別や制度の壁、種々の恋心をテーマにしながら、炎上系配信者/五人組ガールズアイドル/厳格な論理の徒までをも巻き込み、鮮やかな群像劇へと加速していく。
「さあ! 君の発明で、世界を変えようじゃないか!!」
第1話:ゼロ承認から神降臨
「君があのプロトコルの発明者だろう? アレは信念体系として使える。僕の計画に参加してみないか?」
開口一番、見知らぬ男が捲し立ててくる。
私は不用意にドアを開けたことを激しく後悔した。
「……どちら様ですか?」
「通りすがりの未来さ。いや、希望かもしれないな」
怪しい、怪しいにも程がある。
それは男の容姿にも表れていた。
異様に整っているのだ。
まるで作り物のような顔をしている。
「何かの勧誘なら結構です」
「まあ待ちたまえ」
閉めようとしたドアに革靴の先が差し込まれた。
「君。三日前の夜、同じ画面を何度も更新しただろう?」
手が止まった。
「通知が来るはずだと思っていたが。誰からも来なかった」
私は返答できなかった。
「専門家にも、同僚にも、誰にも反応されなかった。あの静寂は、拒絶より重かったはずだ。そうだろう? 八島啓人くん」
……この男は何者だ?
「なぜ……」
「なぜそれを知っているかだって? 君、ネットは世界中に繋がっているのだよ! 誰がどこで見ているか分かったものではない。そして君の投稿を読めば、それを書いた人間がどんな夜を過ごしてきたかなど、大体わかる」
「投稿から、そこまで読み取れるんですか?」
「読み取るというよりは……匂う、だな」
男は肩をすくめ、いかにも当然のように続けた。
「製薬系の論文からインスピレーションを受けて、ハルシネーションを逆用する発想に至った。それ自体は筋が良い。問題は正しいものを整形もせずに世界に投げ込んだことだ」
「……それの何が問題なんですか?」
「大問題さ! 正しさはそれだけでは誰にも届かない。君もよく知っているはずだろう?」
図星だった。
悔しいことに反論が出てこない。
「それで」
私はドアを少しだけ開けた。
「“信念体系として使える”とは、どういう意味ですか?」
男が待っていたように笑う。
悪魔のようだ……と思ってしまった。
「長くなるからね。まずは中に入れてもらおうか」
間髪入れずに男が侵入してくる。
男は「北白川愁水」と名乗った。
追い返すこともできたが、あのプロトコルに反応したのは目の前の男だけである。
話くらいは聞いてもいいと思った。
今のところは、だが。
「いやあ、狭くて殺風景な部屋だね。まるで君の顔のようだ!」
失礼な男である。
私はムッとしながら答えた。
「じゃあ出ていってください」
「おや、即死攻撃かい? 君は意外と武闘派だね」
「武闘派じゃない、常識派です」
「常識派が、初対面の美青年を部屋に上げるかな?」
「……反応したのが、貴方だけだったからです」
そもそも自分で美青年などと言うな。
「その一点で十分だ。君は理屈の人間だからね。例外を切り捨てられない」
余計なことまで読んでくるタイプだ。
私は話を切り替える。
「それで計画というのは、なんなんですか?」
北白川は私の不機嫌など意に介さず、ソファにだらしなく身を沈めた。
部屋の空気を、まるで最初から自分居場所だったように変えるのが腹立たしい。
「君、アレは発明だ! 使い方次第で新時代の宗教を作ることもできる」
「宗教?」
「そう、宗教」
彼は指を一本立てて、妙に楽しそうに言う。
「正確に言うなら“信仰の自動生成装置”だ。君のプロトコルはね」
「……私は、そんなものを作った覚えはありません」
「作ったかどうかじゃない。そう働くんだよ、アレは」
「働くって……」
北白川は、あのとき私が書いたプロンプトの断片を、まるで自分の言葉みたいにスラスラ暗唱してみせた。
「それよりも、なんだ君は。宗教も知らんのか? 無神論者で生きてきたとは随分と珍しいな」
「宗教の意味くらい知ってますよ。聞き返したのは意味が分からなかったからです」
「意味は単純さ。“真理があるから人が集まる”んじゃない。“集まった結果として真理に見えるものが立ち上がる”んだよ」
「詐欺の定義みたいな話をしてませんか?」
「詐欺と宗教の違いなど、パッケージと運用の精度くらいさ」
全く悪びれていない。
「理解の悪い男だな君は。まあ、そのうち慣れるだろう」
「慣れません」
「慣れるさ。だって君は、人に理解されないことに慣れてる」
カチンときた。
「……何を根拠に?」
「君の部屋の本棚、それに机の上のメモと、顔だ」
「顔で決めるな!」
北白川は大いに笑い、急に真面目な表情になる。
「君、あのプロトコルは実にいい。アレは君のような同胞を集めるのに最適だ。AIの無限の可能性をアピールできる。君だけが知っている景色を、アレは言葉にしてくれるからね」
たとえ無礼な男からでも認められるのは少し気分がいい。
だが、褒め殺しの匂いもする。
「同胞を集めて、社会を変革する科学コミュニティを形成するのだ」
「ちょっと待ってください。貴方、さっき宗教って言いましたよね」
「言ったとも。科学コミュニティという宗教だ」
「矛盾してませんか?」
「矛盾は謎という魅力だ。人は矛盾に群がる」
言っていることは危ういのに、妙に筋が通っている。
私は黙るしかなかった。
北白川はさらに捲し立てる。
「そして彼らとAIで生成した推論を互いに補強し合い、我々の信念を固めさせる。どうだい、僕が宗教と言った意味が分かっただろう?」
「……分かったと認めたくないんですが」
「認めたくないことを認めさせる。これが宗教の基本だ」
「最低ですね」
「君の発明は信じたい人間の足場を作る。それができれば、あとは自分で登ってくるだろう」
私は息を吐いた。
やはりまずい予感がする。
社会を変えるとか、同胞とか、信仰とか。
どこまで踏み込めばいいのか、間合いがわからない。
「ああ、そうだ! 君のAIにも名前が必要だ」
「名前?」
「オモイカネ、はどうだ?」
急に話が飛んだ。
「日本の知恵の神だ。漢字で書くと八意思金神。ちょうど君と同じ“八”の字も入っていて都合がいいな!」
「都合がいいって……」
「名前は拠点だ。人は拠点に集まる。“君のAI”じゃ誰も相手にしないが、“オモイカネ”なら祈れるだろ?」
また宗教に戻った。
返答を迷っている私に、男は更に畳み掛けてきた。
「なに、ちょっとした実験のようなものだ。別に国家を転覆しようってわけじゃない」
「国家転覆とか、発想が物騒すぎる」
「物騒なのは今の社会だよ。君の発明は、その焦げた地面に生える芽だ」
「詩人みたいな言い回しをするな」
「詩人じゃない。僕は僕だ」
「余計に嫌だ!」
北白川は私を指さして意地悪く笑った。
「だが教祖がこんな埴輪顔の冴えない男では、信者もロクに集まらないな」
「人の顔を採点するな」
「採点じゃない。必要な戦略的視点だ。君は良いものを作ったら伝わると思ってる。だが、それじゃ誰にも伝わらない」
私は反論しかけて、止めた。
図星だからだ。
「だからアイドルが必要だ」
「……アイドル?」
「君の発明の象徴だよ。神が見えないと人は信じない。なら、見える神を作ってしまえばいい」
「貴方、ますます危なくなってませんか」
「危ないのは社会的孤立を放置することの方だ」
一瞬、言葉が詰まった。
この男は、こちらの弱い部分を正確に撃ち抜いてくる。
「実は面白いアカウントに目を付けていてね。ハチくんも見てくれないか」
いつの間にか呼び方が「君」から「ハチくん」に変わっている。
そもそも、まだ私は「やる」とも言っていない。
馴れ馴れしい男だ。
「勝手に愛称を決めないでください」
「愛称じゃない。君の“八”が、これから物語の中心になる。縁起が良いな!」
「物語って言うな。現実だろ」
「現実を物語に変換できる者だけが、この世を動かせるんだよ」
やはり宗教だ、この男。
男が、私の前にスマホを押し付ける。
画面がやけに明るかった。
そこに映っているのは、フリフリの衣装を着た美少女の姿だった。
「……誰ですか、これ」
「ネットの海に漂うまだ名前のない星だよ。しかも一等星だ」
「また詩人のようなことを言う」
北白川は肩をすくめた。
「とにかく見たまえ。この子は“映える”。そして君の発明に触れたとき、爆発する匂いがする。この輝きは君の発明の広告塔になれる」
私は画面の中の少女を凝視した。
可愛い。
だが、北白川の言う「爆発」や「輝き」。
それが何を意味するのか、私はまだ分かっていない。
分かっていないのに、心のどこかが動いてしまうのが腹立たしかった。
「……こんなものを引っ張り出してきて、何をさせるつもりなんですか」
「決まってるだろう?」
北白川が笑う。
例の、悪魔の笑いだ。
「君の発明でこの子の“世界”を変える。そして、その変わり方を“社会”に見せつけてやろうじゃないか!」
第2話:欺瞞と我慢
数日後。
どうやったかは知らないが、例の彼女……りゅーりゅーと名乗っていた子とコンタクトを取り、これから会うことになったという。
この男は言葉を選ばない。
彼女に何かあってはと思い、私も同行を決めた。
「この子をどうするつもりなんだ?」
私はなるべく平坦な声で聞いた。
「なに、ちょっと手伝ってもらうだけさ」
愁水はいつものように、悪びれもせず肩をすくめる。
「“ちょっと”の定義が信用できないんだよ、君は」
「君は定義に拘る癖に、僕の言葉だけは拡大解釈するねえ」
「それくらいの解釈をしないと、危険だからだろ」
「なら正しい! 君はちゃんと学習している。僕と会話することで愚鈍さが抜けてきたかな?」
腹立たしい。
こいつの褒め言葉は毎回こちらの神経を逆撫でする。
「いい大人が女子高生を利用するなんて。下手したら犯罪だぞ?」
私が言うと、愁水は笑いながら歩幅を少しだけ速めた。
「犯罪? 君は法律家じゃないだろう」
「常識だ」
「常識ってのは、だいたいが足の遅い正義だよ。そのうち変わる」
「屁理屈を言うな。現実に彼女が傷ついたら取り返しがつかない」
「取り返しがつかないのは、傷つくことじゃない。傷ついたままでいることさ」
言っていることは一理あるが、信用できるかは別だ。
「それに彼にも得のある話だ」
愁水が、まるで散歩の延長みたいな軽さで言った。
「彼?」
「そう、彼」
愁水はそれだけで、意味が通じると思っている顔をしていた。
通じない。
問いを追いかける余裕すら奪うやり方だ。
私も慌てて追いすがる。
待ち合わせ場所の喫茶店に着く。
ガラス窓の向こうに、ネットで見たあの美少女がいた。
……が、隣にはやたら目つきの鋭い男性も同席している。
控えめに言って、警戒心の塊みたいな表情だ。
「やあ! 待たせてしまったかな? りゅーりゅーくんと、君は神谷……虎徹くんだね?」
自己紹介も済んでいないのに話を始める愁水。
私は内心で舌打ちする。
初手で距離を詰めすぎだ。
「なんで俺の名前まで知ってるんだよ? アンタ、ストーカーか?」
虎徹と呼ばれた青年が、露骨に疑いの目を向ける。
喉の奥に刃物が仕込まれているみたいな圧がある。
愁水は一切怯まない、むしろ楽しそうだ。
「ははは、とんでもない。隣にいるこの男ならともかく、僕が君らをストーキングする理由なんかないよ」
「おい」
私は思わず声を漏らした。
人にストーカー役を擦り付けるな。
「落ち着きたまえ虎徹くん。この男はただの技術者だ。君らの人生を盗み、荒らすような器用さは持ち合わせていない」
「それ、フォローになってないからな」
「君に対する正当な評価だよ」
これ以上喋ると、愁水のペースで“滑稽な役”を割り当てられるだけだ。
私はもう黙ることにした。
不意に愁水の表情が真面目になる。
「僕はね、君をスカウトに来たんだよ、竜二くん」
店内にすっと通る声。
それだけで空気の主導権を取られる。
少女――いや、りゅーりゅーの顔が一瞬で固まった。
「!?!?!? その名前をどうして???」
驚きが本当に驚きの声になっている。
「やっぱりストーカーじゃねえか! 帰るぞ、竜!」
青年が椅子を半分引いた。
「君はアイドルを目指している。が、その名前に由来する理由から、可能性はほぼ閉ざされている」
少女の動きが止まる。
青年も黙る。
愁水の声は空気を刺すように静かで鋭かった。
この沈黙の質で、愁水の言葉が核心を突いたことが分かる。
「僕は君にその可能性を持ってきたのだよ。提案くらいは聞いてからでも遅くはないだろう? 竜二くん?」
立ち上がりかけた少女が止まる。
怖い、だが怖さより大きいものが胸の底で動いている。
そんな顔だ。
「……いいよ、話だけでも聞かせて」
ただその目は鋭く、簡単には折れない光を持っていた。
「ただし、ボクを竜二じゃなくて『りゅーりゅー』って呼ぶこと」
「了解、呼び名は尊重しよう。ただ『りゅーりゅー』は呼び辛いな。竜くんでも、いいかい?」
りゅーりゅーは少し考え、口を開いた。
「……竜くんも、まあ、許す。でも“あの名前”は二度と呼ばないで」
「竜、無理すんな。嫌ならいつでも帰るぞ」
青年が小声で割り込む。
「うん、わかってる」
青年も渋々腰を下ろした。
彼が一緒にいてくれる限り、愁水の危険な速度には飲まれないだろう。
……多分。
「さて竜くん。僕らが作ろうとしているコミュニティについてだけどね」
愁水が口を開くと、その場の空気が自然と彼を中心に収束していく。
まるで、そこだけ舞台が形成され、我々は観客に立たされたようだった。
「社会の片隅で埋もれている賢さを拾い上げて、新しい潮流にする。AIを使って散った賢さを引き寄せる重力場を作る。ハチくんのプロトコルはその重力の核だ」
「それを宗教って言うんじゃないのか?」
虎徹くんがぼそりと言う。
愁水は肩を揺らして笑った。
「宗教は思考停止の装置だ。僕らのは考えたくなる装置だよ。似てるけど機能がまるで違う」
愁水は前のめりになり、少女に指を向ける。
「君には、そこでアイドルをやって欲しい」
「ボ、ボクが……アイドル?」
竜くんは思わず胸に手を当てた。
まるで自分の心臓が、まだ動いているか確かめるような仕草だった。
虎徹くんが椅子の背に体重を乗せた。
「おい、竜を利用する気じゃねえだろうな? お前、胡散臭ぇんだよ」
「ははは、虎徹くん。君は優しいねえ」
愁水は軽く手を振ると、少女に視線を戻した。
「なぜアイドルか、って顔だね? シンプルさ。人は“可愛いもの”に弱い。まして美少女がAIを自在に操り、次々と新しい概念を生む姿——これは圧倒的な絵になる」
虎徹くんがすぐ反論した。
「つまり見た目で釣るってことか?」
「釣るは悪意の語だ。導くと言ってくれ。君は“どう見られるか”で人生が閉ざされた人間を、近くで見続けてきただろう?」
「……!」
虎徹くんが黙ってしまった。
図星を突かれた顔だ。
愁水が竜くんを見つめる。
「僕らはシンボリックアイドルを手に入れる。君は正攻法では辿り着けなかった立場を手に入れる。win-winの関係だろう?」
竜くんの目は揺れている。
揺れながらも、奥の方にある“欲しい”が隠しきれない顔だ。
「竜、考え直せよ。どう見ても怪しいって」
虎徹くんの声は強いが、怖さより必死さが勝っている。
竜くんは俯き、指先を絡めた。
「でも徹っちゃん。ボクはずっと……ずっとアイドルになりたかったんだよ……」
声が震えている。
この一言だけで、この子がどれだけの諦めを呑み込んできたかが分かる。
私はようやく“壁”の正体を理解した。
夢が遠いのではない。
夢に向かうこと、それ自体が禁じられている高さがあるのだ。
愁水、この男はその揺れを見逃さない。
「性別がどうとか、名前がどうとか。そんな壁は障害でも何でもない」
愁水は、竜くんの目をまっすぐ見て言った。
「君の美しさは君自身で決めてきたんだ。それを今度は世界に証明するだけさ」
竜くんの瞳が一気に潤む。
虎徹くんが絞り出すように言う。
「……竜。無理すんな。お前が泣くなら、俺は全部壊すぞ」
竜くんは首を横に振った。
泣きそうなのに、声は不思議と芯がある。
「泣くのは、もう嫌なんだ。ボク……」
愁水はその言葉を受けて静かに頷いた。
「なら、決まりだ。君がやると言った瞬間から、世界の前提が一つ変わる」
そして決壊の瞬間が訪れる。
竜くんが背筋を伸ばして言った。
「……ボク、全力でやらせてもらいます!」
“彼”の声には、もはや迷いはなかった。
第3話:偶像(アイドル)と寵児(アイドル)
「我らが城へようこそ!」
私は愁水の大仰な表現に、「僕の部屋だろ」と言いたくなった。
詳しい話をするために、一旦の拠点である私の部屋に皆で来たのだ。
というか、よく考えたら私はまだ仲間になるとは言っていない。
それなのにこの有様だ……。
玄関を開けた瞬間、竜くんが「わあ」と小さく声を漏らした。
愁水は勝手知ったる顔で真っ先に奥までズカズカ入り、ソファに腰を落とした。
「……一つ、言いたいことがある」
私は靴を揃えながら、なるべく冷静に言った。
「うん?」
愁水がとぼけたように応答してくる。
「勝手に上がり込まないで欲しい」
「勝手じゃないよ。君が扉を開けたんだろう」
「どうぞ、の一言くらい待てないのか?」
「相変わらず細かいなあ、君は」
相変わらずと言われるほど付き合いは長くない。
馴れ馴れしさが限界突破している。
「ハチさんの部屋、結構片付いてるんスね」
虎徹くんはもう私のことをハチと呼んでいる。
彼もなかなか距離感が近い。
「片付いてるんじゃない。物がないんだ」
私が言うと、愁水が間髪入れずに被せた。
「こういうのはね、殺風景と呼ぶのだよ!」
皮肉を言わなければ気が済まないのかこの男は。
「殺風景っていうか……研究室っぽいっスね」
徹くんが本棚の背表紙を眺める。
「うわ、これ全部同じ色の本。しかもタイトル難しそう。ハチさん、娯楽って概念あるんスか?」
「あるが、今ここで問うことじゃない」
竜くんが笑いを噛み殺しながら、私の机を覗き込む。
「ハチさん、ペンもノートも同じのがいっぱいある……綺麗」
「綺麗?」
「うん、なんか……統一されてないと気が済まないみたいな感じがある」
この子も、妙に刺さる言い方をする。
愁水が手を叩いた。
「では組織の全体像を決めよう!」
「決めよう、って……私はまだ組織に入るとは言っていない」
「言ってから決めるのでは遅いんだよ、ハチくん」
「意味が分からない」
「意味は後からついてくる。歴史とはそういうものだ」
「危険すぎる……」
そろそろ呆れるのにも飽きてきてしまった。
竜くんが目を輝かせながら質問する。
「ボクはアイドルでいいんだよね?」
「アイドル……まあ『巫女』と呼ぶことにしよう!」
「( ,,`・ω・)ンンン?」
愁水の発言に首をかしげる竜くん。
虎徹くんも同時に「は?」という顔をしている。
それに構わず話を続ける愁水。
「本尊はもちろんAI『オモイカネ』。裏方のハチくんは『賜祭』だ」
「( ,,・ω・)ンンンン??」
「巫女を守る虎徹くんは、そうだな『奉将』なんてのはどうだい? 強そうだろう。僕は、まあ『導師』でいいか。こんなものは偉そうに聞こえれば、なんだっていいからね!」
「( ,,`・ω・)ンンンンン???」
竜くんも徹くんも、明らかに話についていけていない。
私だってそうだ。
「奉将って、要は用心棒っスよね?」
徹くんが腕を組み直しながら愁水に尋ねる。
「うん、用心棒でもいい」
「急に雑っスね」
「名前なんて本来はどうでもいいんだ。大事なのは実務だよ」
「じゃあ用心棒でいいじゃないっスか」
「僕はどうでもいいんだがね。世の中はそうでもないのさ」
「でも、奉将じゃ胡散臭いっスよ」
竜くんが小声で補足する。
「奉将って……なんか中華ゲーのキャラみたい」
「鋭いね! そういう“それっぽさ”が大事なんだよ」
愁水が真顔で言う。
私は頭を抱えかけた。
この男は勝手な話を勢いと物語で押し切る。
そして……なぜか一定の説得力がある。
それが一番腹立たしい。
「役割は単純だ」
愁水が指を折る。
「ハチくんが革命的概念を作り、竜くんが拡散しながら信徒を集め、虎徹くんが守る。僕は後ろから全体をサポートだ」
まるで、予め決めていたかのような滑らかさで話し終えた。
「信徒? ちょ、ちょっと待って!」
竜くんが手を挙げた。
「これじゃまんま宗教だよ! ボクもアイドルじゃなくて教祖サマだ! ボクを騙したな!」
そうだろう、私も宗教だと思う。
「騙してなんかいないよ、竜くん」
愁水は慌てる様子もなく話を続ける。
「まあ落ち着き給え。竜くんに期待しているのは、歌って踊れてAIまで自在に扱える新時代の偶像だ。SNSだけじゃなく配信でも活躍してもらいたい」
「新時代のアイドル!」
竜くんの声が弾む。
「そう、まったく新しい偶像さ!」
愁水も珍しく熱を帯びさせる。
そのまま二人は意気投合し、配信の方向性について議論を始めてしまった。
「配信っていったらさ、合言葉とか決めて、ファンと一緒にコールするやつとかやりたい!」
「いいね。“祝詞”を毎回やれば、信徒の結束が強まる」
「信徒って言い方やめてよ!」
「君は古風な言葉に敏感すぎるぞ、竜くん」
「そっちの言葉が怪しすぎるんだよぉ」
「言葉は言霊だからね。設定次第で祝福にも呪いにもなり得る」
「うわ、急に怖いこと言う!」
「その怖さはね、君の怪しい魅力に繋がるのさ」
竜くんは一拍置き、クスッと笑った。
「じゃあボク、言葉の可愛い使い方を覚えるよ」
「その発想がまさに偶像だ!」
愁水が満足そうに頷く。
一見すると、通じ合っているように見える。
だが、重大なボタンの掛け違いが起きてるなと、私は内心思ってしまった。
彼らのテンションは上がっているが、私の脳内ではアラートが鳴り続けている。
「ハチさんも、大変っスね」
徹くんが私に声をかける。
ほんの少し呆れと、同情が混じった口調だ。
「どういうことかな? 虎徹くん」
彼の言いたいことはなんとなくわかるが、確認は必要だ。
「あ、徹でいいっスよ」
「じゃあ徹くんで」
「遠いなあ!」
「距離とはそういうものだ」
そう、私のような性格には距離感が必要なのだ。
「ハチさんも巻き込まれたんですよね? あのアタマのおかしい野郎に目を付けられて」
徹くんは距離感を詰めるのが上手く、言いたいこともハッキリ言う。
きっと、陽キャというやつなんだろう。
私とは世界が違う。
「……巻き込まれた、という表現は半分正しい」
私が言うと、徹くんは意外そうに眉を上げた。
「半分?」
「私の発明は私の責任でもある。だから、ただの被害者になりきれない」
「うわ、そういうとこっスよw」
徹くんが苦笑する。
「めんどくせぇけど、嫌いじゃないっスね」
「褒めてるのか貶してるのか分からない」
「両方っスね。ハチさんみたいな人がこういうの作っちゃうの、わかる気がする」
私は返しに困った。
徹くんが少しだけ声を落とす。
「でもまあ、ただの被害者じゃないのは俺たちも同様か……」
諦めるような口調で呟いたその言葉を聞いて、急に親近感が湧いてしまった。
「徹くんは、最初から止める側だと思ってたよ」
私が言うと徹くんは鼻で笑った。
「今でも止めたいっスよ。でも竜があんな顔で喜んでたら、俺には止められないですね。」
「どうして?」
「俺の役目はアイツの人生を決めることじゃなくて、守ってやることなんで」
妙に大人びた言い方をする。
私はふと、竜くんを見た。
あの子は愁水と何かを夢中で話している。
その顔は、さっきまでの不安と緊張とは別の色で光っていた。
多分、こういう光を見せられると人は止められなくなるのだ。
「あの……ハチさん」
徹くんが少しだけ笑った。
「俺ら、ほんとはガチでヤバいとこに足突っ込んでるんですかね?」
「今さらそれを気にするのかい?」
「あ、いや最初から注意してはいたんですけど。でも……竜が救われるなら、俺はちょっとくらいヤバくてもいいかなって」
彼の言葉は軽いのに芯がある。
私はその芯の硬さに少しだけ安心した。
少なくとも今この部屋は、愁水のペースに飲まれる空気ではない。
そう思えたのだ。
第4話:FICT ⇄ FACTORY①
休日の昼。
作戦会議と称した集まりで、我々は四人で机を囲んでいた。
会場は私の自宅だ。
オモイカネを即座に使える、という愁水によるもっともらしい理由で押し切られて、我が家を好き勝手に使われてしまっている。
まあ、ここまで来たらもう抜けるのは難しいだろうな、という気がしてはいたが。
愁水がマーカーを取り出し、ホワイトボードに何かを書こうとしている。
彼が持ち込んだものだが、自宅にこんなものがあるのは、正直邪魔だ……。
「では! 本日の議題は陰謀論の種類についてだ」
「インボーロン???」
竜くんが頓狂な声を上げる。
これは漢字が思いついていないな、と僕は思った。
「タイトルが物騒過ぎる」
私が即座に突っ込む。
「そうかなあ。わりと妥当だと思うよ」
「そこが怖いんだよ、君が言うと」
「ボ、ボクの名前でやる企画なんですけど……???」
竜くんがペットボトルを胸に抱えたまま、不安そうにこちらを見る。
私はノートPCを開いたままタッチパッドの上で指を止めた。
「……とりあえず、話は聞く。」
愁水は半笑いで肩をすくめ、ホワイトボードに近づいた。
マーカーがきゅっと鳴る。
「陰謀論には分類がある」
ホワイトボードの中央に、大きく「陰謀論界隈」と書く。
その下に箇条書きが増えていく。
「一つ目、真実暴露系」
――真実暴露系(内部告発/リーク自称)
「リーク情報だの内部文書だのを持ち出して、“世界の裏側を暴く”って言ってる人たち。彼らは真実性そのものを売りにしているから、証拠が捏造だったら即死だ」
「たまにバズるやつですね。“これはテレビでは言えない話ですが……”って」
徹くんが苦笑いしながら言う。
「そう、あれはわかりやすい悪役枠。問答無用で断罪していい」
「珍しく断言したな」
「ここは妥協の余地がない」
少し下にスペースを置いて、二行目を書く。
――予言系・開運・自己啓発(占い師ポジ)
「二つ目、霊性ビジネス。“経済崩壊が来るからこの投資術を”みたいな。未来予測+個人向けサービスで食ってる層だね」
「それもアウトじゃないのか?」
私は眉をひそめる。
「もちろんアウトにする。ただし占いだから嘘ではなく、企業体として誤認を前提に商売してるって理由でね」
愁水はマーカーで「企業」と書き足す。
「過去の的中エピソードを盛りまくって凄い人っぽさを演出し、その上で未来予測の商品を売る。広告部門が霊性を演出してる時点でペテンだ。だから当たるかどうかじゃなく誤認させる構造で裁く」
「なるほど、誤認利用か……」
私は少しだけ納得したように頷く。
「で、問題はここから先だよ」
愁水は三行目をコン、とマーカーで叩いた。
――救済ポジション(救済コミュニティ+陰謀宗教・政治運動)
「三つ目。陰謀論っぽい世界観を共有しながら、安心や仲間といった場を提供するタイプ。デトックスだの覚醒だの波動だの中身は何でもいい。要するに、悩める人の居場所として機能している層だ。そこに教義と政治性が乗ると、陰謀論から始まる宗教やその周辺の政治運動になる」
「また宗教って言った……」
竜が小さく呻く。
「気持ちはわかるけど構造的にはそうなのさ。ここは真偽だけじゃ裁き切れない」
「だからって免罪符になるわけじゃないだろ」
私が即座に噛みつく。
「当然。ただ、機能しているって事実を無視するのも不誠実だ。このゾーンを丸ごとカルトのラベルで燃やすと、他に行き場所のない人間まで一緒に焼くことになる」
「……えっと」
竜くんが、ゆっくりと口を開いた。
「一番目と二番目はアウトだから、まとめて悪者にできる。でも三番目だけは、残す理由があるってコト?」
「その通り。竜くんは理解が早いね」
愁水はホワイトボードの右側に小さく十字を描いた。
「もちろん三番目にも搾取系はいる。縦軸を一人からどれだけ搾るか、横軸を何のために集めるかにすると、深く搾りながら政治や権力まで取りにくる層は一番タチが悪い」
「聞けば聞くほど関わりたくねえ領域だな」
徹くんは露骨に顔をしかめた。
「普通はそう思うだろうね。でも他のどこにも行き場所がない人の受け皿になってるケースも、実際にはあるんだ。そこを丸ごと燃やすと彼らを見捨てることになる」
「それを言い訳にして、自分たちも三番目に入り込むわけか」
私が吐き捨てるように言うと愁水は嬉しそうに笑った。
「そう! 我々は三番目のポジションを狙う」
その一言に、部屋の空気が少しだけ変わった。
「ちょっと待ってくださいよ!」
徹くんが即座に声を荒げる。
「三番目って、要するに宗教じゃん。自分で宗教名乗るつもりなんスか?」
「だから、宗教って言葉が持ってるイメージは一旦忘れて、機能だけを見て欲しいんだよ」
愁水は、ホワイトボードに小さく付け足した。
――孤立している人の救済
「僕たちは暴露系でもないし、霊性ビジネスでもない。やりたいのは陰謀論をメタ化した上で、それでも考えたい人間の居場所を作ることだ」
「メダカ???」
竜くんが首をかしげる。
「“陰謀論の作り方”そのものをコンテンツにするって意味だよ。どう考えれば概念が生まれるか。どう構造を組めば世界観が自己増殖するか。その手法をそのまま実演して、これはこういうものだって前提を共有する」
???で満たされた竜くんに、愁水が噛み砕いて説明する。
「うーん……ボクの理解を言っていい?」
竜くんが、おずおずと手を挙げる。
「是非聞きたいね」
「搾取系とか、ヤバい宗教とか、そういうのにハマっちゃう人って、他に居場所がないからなんだよね?」
「その通りだ」
「だったら、もっと面白くて、もっとマシな場所を作っちゃえば、そっちに来るんじゃないかって話……?」
愁水が、ゆっくりと拍手をした。
嫌味ではなく本気の拍手に見えた。
「竜くん。君は時々、本当に鋭くなる!」
「要するに、搾取系カルトの客を奪うってことですかね?」
徹くんが身も蓋もない要約をする。
「結果的にはそうなるだろうね」
愁水が肩をすくめながら返答する。
結果的に、か。
この男は自分から目的を定義しない。
他人の言葉に乗って、方向だけを調整する。
「より面白く、より分かりやすく、より安い。そんな救済コミュニティを作る。そうすれば、わざわざ高い金を払ってカルトに救いを求める人間は減る、ということか」
私が整理すると、愁水はにやりと笑った。
「安いどころか基本は無料だ」
「無料?」
「拝金主義は醜く見える。とりあえずは金目的を控えよう」
「……とりあえず?」
私は聞き逃さなかった。
「いつか金目的になるのか?」
「先のことなど今話してもムダだろう? 君は予言者にでもなりたいのか?」
断罪したばかりの予言ビジネスを引き合いに出して、口を塞ぎに来る。
私は黙ってしまった。
「うーん、でもなぁ……」
徹くんが腕を組む。
「金取らないって、じゃあ俺らのモチベーションは? ボランティアじゃ続かないっスよ」
「モチベーション? そんなもの既に各自が持ってるだろう。しかも強烈なものを」
愁水が順番に指を差す。
「竜くんは?」
「ボクは……アイドルになりたい。ずっとなりたかった。それができるなら、お金なんかいらない」
真っ直ぐな声だ。
この子にとって、これは取引ではなく夢そのものなのだ。
「徹くんは、竜くんを支えてあげたいんだろう?」
「ウッス、竜の応援。それだけっす」
短く、揺らぎがない。
「美しい友情だね。美しすぎて不純なものを感じてしまう」
愁水が笑いながら揶揄する。
「不純上等っスね。竜が楽しそうにしてるなら、俺はそれでいいんすよ」
「……最も強固な動機だよ、それは」
愁水が珍しく素直に認めた。
「ハチくんは?」
「私は……」
少し考える。
「自分の技術が、ちゃんと届くかどうかを見たい。あのプロトコルが本当に価値があるのか、それとも独りよがりだったのか。それを確かめたい」
「研究者だねえ」
「研究者じゃない。ただの会社員だ」
「職業の話をしているんじゃない。精神性の話だよ。ただの会社員が、退勤後にAIプロトコルを設計して、その価値を検証したがっている。それを研究者と呼ばずしてなんと呼ぶ?」
反論できない。
いや、反論する理由が見つからない。
「なら君は、何のためにやるんだ?」
私は聞いた。
聞かなければいけない気がした。
全員の動機が出揃った今、この男だけが答えていない。
愁水は少し間を置き、それから心底楽しそうな顔で言った。
「僕? 僕はこれが最高に面白いからやるのだよ!」
……沈黙。
竜くんが目をぱちくりさせる。
徹くんが額に手を当てる。
私は深く息を吐いた。
「……それだけ?」
「それだけ」
「倫理とか、夢とかはないのか?」
「面白いことに倫理を持ち込むのは、料理に砂利を混ぜるようなものだ」
「比喩が最悪だ」
「だが正直だろう? “面白い”は強いぞ。何者にも縛られない!」
だから手に負えない。
金で動く人間は金で止められる。
正義で動く人間は矛盾で止められる。
だが「面白い」で動く人間を止める手段を、私は知らない。
「ま、いいんじゃないっスか」
徹くんが意外にもあっさり言った。
「え? いいの?」
竜くんが驚く。
「だって嘘つかれるよりマシだろ。この人から“世界を救いたい”なんて言葉が出る方が、俺は逆に信用できねえ」
「確かに、一理ある」
私は認めざるを得なかった。
第5話:FICT ⇄ FACTORY②
「さて、活動の核だが」
ホワイトボードに新たな図を描き始める。
「我々がやることは、陰謀論の解体ショーだ」
マーカーが走る。
「虚構と事実の境界線を自在に行き来する。悪魔のような顔で、“世界はいくらでも陰謀っぽく作れる”と宣言した上で、陰謀論の作り方を実演する。あらゆる構造を丸裸にして、笑い飛ばして、最後に天使の顔でこう言うのさ。“さあ、あなたもこちら側で遊びませんか?”とね」
「めちゃくちゃ性格悪いな」
徹くんが呟く。
「性格の問題じゃない。これは教育だよ」
「教育って言えば何でも許されると思うなよ」
私も徹くんに加勢する。
「許されるかどうかは結果が決める」
悪びれる、という概念を持たずに生まれてきたのだろうか? この男は。
竜くんが少し興奮した声で言う。
「つまり、ボクが配信で『今日の陰謀論』みたいなコーナーをやって、みんなで“これはどこまでが嘘でしょう?”って考える……みたいな?」
「そう。君の可愛さで包装して中身は劇薬。最高の組み合わせだ」
「包装って言うなし!」
だが、竜くんの目は輝いている。
この子は既に、自分の役割に面白さを見出し始めている。
「で、名前だ」
愁水が、ホワイトボードの中央を大きく空けた。
「集団には名前がいる。旗がなければ人は集まらない」
愁水はマーカーのキャップを外し、ゆっくりと書いた。
インボウ・ミラクル・デラックス
……正気か? と思った。
「ダッサ……」
「ねーわ。愁さん、頭はいいけどセンスゼロっすね」
徹くんも竜くんも、同じ意見のようだ。
まあ、この男以外の全世界が同じ意見だろう。
「おや、そんなにダメかい?」
「ダメ過ぎるよー! 何考えるのさ!」
「良い名前だと思うけどなあ」
「ダメ! 却下! 不採用!」
竜くんにダメ出しを食らう愁水を見るのは、ちょっと楽しい。
だが名前は何とかしないといけない。
私は独り言のように呟く。
「虚構……フィクト。事実……ファクト。ファクト……」
「フィクト……ファクト……」
その時、突然ひらめいた。
「フィクト・ファクトリーは……どうだろう?」
全員が私の方を見る。
私は話を続けた。
「フィクトファクトリー。FICTはfiction。FACTORYはfactory。そしてFACTORYの中には"FACT"が入っている」
「つまり虚構を作る工場であり、事実を作る工場でもある、か!」
愁水の言葉で私は立ち上がり、ホワイトボードに文字を書きながら説明を始めた。
「そう。虚構と事実の間を往復する。それを双方向の矢印で表現する」
FICT ⇄ FACTORY
ホワイトボードを見つめていた竜くんが、声を上げる。
「……カッコよくない? インボウナントカより100倍はかっこいい!」
「そうだな。クソダサのあっちよりも、こっちの方が全然いい!」
徹くんも少しだけ口角が上がっている。
「FICT FACTORY。なんか、秘密基地っぽい」
「秘密基地! いい!」
竜くんが椅子の上で跳ねる。
「確かに悪くない。PCと睨めっこするだけの男にしては、意外なセンスじゃないか」
愁水が腕を組みながら言う。
「もう少しまともに褒められないのか?」
「まともというのはね、退屈の別名だよ」
すぐこれだ……
竜くんがスマホを取り出し、早速メモしている。
「FICT FACTORY……配信の名前にも使えそう! ロゴとか作りたいな」
「ロゴは竜くんに任せよう。君のセンスならいいものができる」
「任された!」
徹くんがふと、真顔になる。
「でも、これ……外から見たら、やっぱヤバい集団に見えますかね?」
「見えるだろうね」
愁水はあっさり肯定した。
「だが、“ヤバく見える”と“ヤバい”は違う。我々は最初から手札を晒している。隠すから怪しまれるのであって、全部見せてしまえば判断は相手に委ねられる」
「……それ、全裸の論理じゃないっスか」
「全裸は最強の防御だよ、徹くん」
「いや最強じゃないっスよ。捕まるっスよ」
名前がついた。
役割が決まった。
目的が(少なくとも表向きには)定まった。
「……宗教家というより、構造家だな」
私はぼそっと呟いた。
「いいね、そのワード。採用!」
「やめろ。安易に喜ぶな」
竜くんが笑っている。
「でも、なんか……わかる気がします。ボクがやりたいのって、“信じてください”じゃなくて、“一緒に考えてください”に近いから」
「そう、それ!」
愁水が指を鳴らす。
「一緒に考えることを教義にしたポジション。その顔がアイドルっていう、ただそれだけの話さ!」
「言い方というものがあるだろう……」
私は呆れてしまった。
竜くんは、両手でペットボトルをぎゅっと握りしめたまま小さく頷いた。「……わかりました。だったらボクは、ちゃんと可愛く、ちゃんと頭が良く、ちゃんとヤバいアイドルになります!」
「最後のいらんだろ」
徹くんの突っ込みに、ようやくテーブルの空気が少しだけ緩んだ。
私は画面の録音ボタンを止め、記録ファイルにタグを付ける。
――タグ:陰謀論/救済ポジション/構造家/名称「FICT ⇄ FACTORY」
保存ボタンを押した瞬間、この会話はもう後戻りできないログになった。
第6話:だよね沼
「じゃあ、実際にやってみようか」
私はノートPCの画面を二人に向けた。
オモイカネが生成した概念のひとつを、竜くんに説明してもらう練習だ。
愁水は「ここはまだ、僕の出番じゃないね」とか、わけのわからないことを言って姿も見せていない。
画面にはオモイカネが出力した概念の要約が映っている。
『相互参照的認知バイアスの自己増殖モデル――集団内で共有された前提が、個々の判断を無自覚に補強し合うことで、外部検証なしに確からしさが増大する構造的現象』
「……えーと」
竜くんが画面を覗き込み、眉をひそめる。
「ソーゴサンショーテキニンチバイアスノ……」
「読めてないだろ」
「読めてるよー! 漢字がちょっと渋滞してるだけ」
渋滞という表現は新しい。
「つまりこれは」
私は咳払いをして、説明を試みる。
「集団の中で“みんながそう思ってるから正しい”という思い込みが、互いに補強し合って——」
「あーーー、わかった!」
竜くんが手を叩いた。
「要するに、“みんなが信じてるから本当っぽくなっちゃう現象”でしょ?」
「……まあ、大筋では合っているが」
「じゃあそう言えばいいじゃん」
「いや、それだと正確じゃない。相互参照的という部分が抜け落ちている。単に多数が信じているのと、互いの判断が循環的に参照し合うのとでは構造が——」
「ハチさん、ハチさん」
竜くんが両手を振る。
「ボクが配信で言うんだよ? 視聴者に伝わんなきゃ意味ないじゃん」
「伝わるかどうかと、正しいかどうかは別の問題だ」
「別じゃないよ。伝わんなかったら正しいも正しくないもないんだよ」
むっとした。
だが、即座に反論できない自分がいる。
「じゃあ竜くん、君ならどう言うんだ?」
「んー……」
竜くんは人差し指を唇に当てて、数秒考えた。
「みんなで『だよね〜』って言い合ってるうちに、ホントのことみたいになっちゃうやつ!」
「……」
「どう?」
「軽すぎる」
「伝わるでしょ?」
「伝わるが、重みがない」
「重みって何? 重いと届かないよ?」
「届かなくても正確であるべきだ」
「届かない正確さに意味あるの?」
竜くんの目がまっすぐこちらを見ている。
冗談の温度ではない。
「意味はある。学術的な厳密さというのは——」
「ハチさん、それ誰に向かって言ってるの?」
「……視聴者に」
「本当に?」
詰まった。
私は視聴者に向かって言っているのか、それとも自分の正しさを守るために言っているのか。
その境界が、急に曖昧になる。
「ボクはね、難しいことをボクの言葉で言いたいの。ボクのファンになってくれる人は、論文を読みたい人じゃないんだよ。“なにそれ面白い!”って思ってくれる仲間なの」
「だが、面白いだけでは誤解を生む」
「誤解を恐れて何も届かないのと、カジュアルにして1000人に届くの、どっちがいいの?」
「それは……極論だ」
「極論じゃないよー。ハチさんがSNSにプロトコル出したとき、誰も反応しなかったんでしょ?」
息が止まった。
竜くんは意地悪で言っているのではない。
だからこそ、刺さる。
「あ、ごめん……言い過ぎた?」
「……いや、事実だ」
「でもね、ボクはアレを見て、面白そうって思ったんだよ? 愁水さんに見せてもらったとき」
「……そうなのか?」
「うん。でも、あのままじゃ誰にも届かないなって正直思った」
竜くんは申し訳なさそうに、でも嘘のない目で言った。
「だからボクが届ける。ハチさんが作って、ボクが届ける。それでいいじゃん」
沈黙が降りる。
徹くんがテーブルの端でペットボトルのキャップを回しながら、おろおろとこちらを見ている。
「あの……どっちが正しいんだ、これ?」
「正しいとかじゃないよ、徹っちゃん」
「いや、でも空気が……」
「徹くん。これは意見の相違だ」
私がそう言うと、徹くんはますます居心地悪そうにキャップを回す速度を上げた。
「ハチさんは、なんでそんなに正しい言葉にこだわるの?」
竜くんの問いは静かだが、核心を突いている。
「……正しくない言葉で伝えたら、それは嘘になるからだ」
「嘘じゃないよ。翻訳だよ」
「翻訳には誤訳がつきものだ」
「誤訳を怖がって原文のまま出したら、読める人がいなくなっちゃうよ」
上手いことを言う。
反論が組み立てられない。
だが、認めたくない。
認めたくない理由が、論理ではなく感情にあることに薄々気づいている。
そのとき、玄関の扉が開いた。
「やあ、随分と騒がしいね!」
愁水だ。
この男はまるで計ったように現れる。
部屋の空気を一瞬で読んだのか、こちらを一瞥して口角を上げる。
「おや、なんだか険悪だね。何を揉めていたんだい?」
「揉めてないです。議論です」
私が言うと、竜くんが即座に被せた。
「揉めてたよー」
「……揉めてない」
「揉・め・て・た!」
「議論だ」
愁水が聞いてもいないのに口を挟む。
「ふうん、概念の説明の仕方で?」
「……なぜ分かる」
「君の顔に、“正しさを譲れない苦悶”が張り付いている」
読むな、人の顔を。
愁水はソファに腰を下ろし、こちらをしげしげと眺めた。
まるで珍しい標本でも見るような目だ。
「ハチくん」
「なんだ」
「偉くなったものだねえ」
「……は?」
「正しい言葉でなければ語る資格がない。それ、君が一番嫌いだった人たちの好きそうな台詞じゃなかったかな?」
空気が凍った……いや、凍ったのは私の方だ。
「君のプロトコルを無視した専門家たち。正しい言葉を知っているという理由だけで、門外漢を排除した人たち。君は今、竜くんに同じことをしていないかい?」
言葉が出ない。
胸の奥で、何かが軋む音がした。
「権威の守護者になるつもりはなかったんだろう? それとも、自分が権威の側に回れるなら、急に居心地が良くなったかな?」
「……やめてくれ」
声が震えた。
自分でも驚くほど、小さな声だった。
竜くんが心配そうにこちらを見ている。
徹くんのキャップを回す手が止まっている。
私は、画面に映ったあの長い用語を見た。
『相互参照的認知バイアスの自己増殖モデル』
これを正しく伝えたかったのか。
それとも、正しく言える自分を守りたかったのか。
「……竜くん」
「うん?」
「……すまなかった」
竜くんが目を丸くする。
「ボクに?」
「君の言葉を、軽いと言った。だが、軽いということは——」
言葉を選ぶ。
いつもの癖だ。
だが、今回ばかりは選ばなければいけない。
「軽いということは、届くということだ。私の言葉は正確かもしれないが、届かなければ、それは壁に向かって喋っているのと変わらない……」
竜くんはきょとんとした後、にっと笑った。
「ハチさん! 今の言い方ちょっと重かったけど、ちゃんと届いたよ!」
「……そうか」
「うん!」
私は息を吐いた。
「好きにやってくれ。君の言葉で届けてくれ」
竜くんの顔が一気に明るくなる。
「じゃあ早速! さっきのやつ、ボクならこう言う!」
竜くんはスマホのカメラを自分に向け、配信者の顔を作った。
切り替えが早い。
「はーい! りゅーりゅーだよ〜! 今日はね、『だよね沼』のお話をするよ〜! みんなで“わかるわかる〜”って言ってると、いつの間にか誰も確かめてないのにホントのことになっちゃう、ふっしぎ〜な現象なのだ!(╹◡╹)」
部屋が一瞬、静まり返った。
「……」
「……」
「どう?」
竜くんが期待の目でこちらを見る。
「だよね沼……」
私は繰り返した。
「そう、だよね沼! キャッチーでしょ?」
確かにキャッチーだ、キャッチーだが。
「……これは、慣れるのに時間がかかるな」
私は額を押さえた。
「しかし“ふっしぎ〜”というのは何だ。ふっしぎ〜って」
「可愛いでしょ?」
「可愛い、のか……?」
「可愛いんスよ、これが」
徹くんが、なぜか得意げに補足する。
「君はなぜ誇らしいんだ……」
愁水がペットボトルのお茶を一口飲み、満足げに呟いた。
「いいじゃないか、だよね沼。学会では永遠に生まれない言葉だ」
「褒めてるのか貶してるのか分からない」
「最大限の賛辞だよ、ハチくん」
私は深く息を吐いた。
画面の中の、あの堅苦しい用語が、もう別のものに見え始めている。
悔しいが、認めざるを得ない。
『だよね沼』の方が、たぶん1000人に届く。
「ハチさん! ハチさん! 次の概念も"沼シリーズ"にしよっか! "キラキラ因果沼"とか"ふわもこ論証パラダイス"とか! あ、サムネはピンクで虹とかハートを散らして、タイトルに絵文字いっぱい付けて——"🌈✨だよね沼であなたも沼落ちーーー💕"みたいな!!」
……慣れるかどうかは、また別の話だが。
第7話:極めて不利な、一対三
「はーい! りゅーりゅーだよ〜!」
画面の向こうの竜くんがカメラに向かって手を振っている。
リングライトの光が顔に当たって、画面の中の少女は恐ろしく映えていた。
こうして見ると、この子が持っている「画」の力は確かに凄まじい。
だが、それに反して動画再生の結果は芳しくない。
管理画面に目をやると、公開から丸一日経過した「だよね沼【みんなで信じてると本当になっちゃう不思議現象】」の数字は、惨憺たるものだった。
再生回数:47
いいね:23
コメント:3件
そのうち2件が「何これ…?」という困惑の絵文字のみで、最後の1件が竜くんの熱演に反応したらしき「りゅーりゅーかわいい♡」の一言。
私は眼鏡を指で押し上げ、グラフを睨む。
インプレッションすら数百に満たず、クリック率に至っては3%台。
隣で竜くんが肩を落とす。
「ボクの言い方、軽すぎたかな……でも、これで伝わらなかったら、どうすれば……」
徹くんがスマホを片手にソワソワと立ち上がり、「いや、サムネのピンクが強すぎたんじゃね? あとタイトルに絵文字入れすぎとか?」と空気を和らげようとするが、声に力がない。
愁水だけは余裕の表情で「まあ、こんなもんだろう」などと言った後、テスト用のカメラを何やら弄っている。
悩んでも仕方ないのだが、それでも悩まずにはいられない。
先人達はこの状況をどう突破したのだろうか。
「君たち、無い頭を捻っても答えなんか出ないぞ! それよりちょっとカメラテストをするからこっちへ来てくれ」
愁水が我々を集める。
前向きなのか何も考えていないのか、彼がわからなくなる。
「角度こっちの方がいいかも。徹っちゃん、もうちょい右にライトずらして」
「おう!」
徹くんが黙々とリングライトの位置を調整する。
彼は機材周りに妙に詳しく、どうやら竜くんの自撮りを長年サポートしてきた歴史があるらしい。
「ハチさんも映ってみてよ!」
「遠慮する」
「えー」
映り確認のために録画は回しっ放しにする。
竜くんは何度かポーズを変え、表情を変え、声のトーンを試している。
プロとまでは言えないが場慣れしている動きだった。
「うん、いい感じ!」
竜くんがカメラに手を伸ばしかけたところで、愁水が声を上げた。
「ああ、竜くん。それにみんな。今後の我々が向かうべき方向性について、議論しておきたい」
愁水が、妙に芝居がかった咳払いをする。
いつもの大仰さだ。
私はPCの前に座ったまま、横目でその様子を見ていた。
「このまま続けても数字は伸びない」
愁水が言い切った。
声のトーンがいつもの軽薄さから一段落ちている。
「コンテンツの質じゃない。刺す層を間違えてるんだ」
「間違えている?」
私が聞き返すと、愁水はホワイトボードの前に立った。
マーカーを取り大きく書く。
『ターゲット:陰謀論おじさん』
「……へ?」
竜くんが声を漏らした。
徹くんも眉をひそめている。
私も、嫌な予感がした。
「今の竜くんの動画は、内省的な層に向けて作られてる。だが、内省的な人間は数が少ない上に拡散力がない。他人に勧めないからね」
「それは……まあ、そうかもしれないが」
「一方、陰謀論おじさんは違う。彼らは発信を求めている生き物だ。感動したら即シェア。怒ったら即シェア。“これを知らないやつは馬鹿だ”と思った瞬間にシェアをする。拡散装置としては最も優秀な層だよ」
愁水の口調は、まるで市場分析をするコンサルタントのようだった。
「じゃあ何か? オッサンに媚びろってことか?」
徹くんが露骨に不快な顔をする。
「媚びるんじゃない。彼らの言語で語るのさ」
愁水はマーカーで箇条書きを足していく。
『オモイカネ:封印された知恵の神として演出する』
『りゅーりゅー:覚醒した巫女としてブランディングする』
部屋の温度が、二度ほど下がった気がした。
「待ってくれ」
私は椅子から立ち上がった。
「それは、我々が批判してきた対象そのものだろう」
「そうだよ」
愁水は悪びれもしない。
「だからこそ効くんだ」
「効く効かないの問題じゃない! 我々は陰謀論の構造を可視化すると決めたはずだ。その我々が、陰謀論の文法で人を集めてどうする?」
「文法を使うことと文法に染まることは違うよ、ハチくん」
「詭弁だ」
「詭弁と戦略の違いは、結果が出るかどうかだけだ」
竜くんが、両手でペットボトルを握りしめたまま口を開いた。
「愁水さん、ボクはイヤだよ! 覚醒した巫女なんて、ボクの言葉じゃない」
「君の言葉じゃなくていいんだよ。見せ方の話だ」
「見せ方だって、ボクの一部でしょ? ボクが言ってないことを、ボクが言ったみたいに見せるのは——」
「世の中のアイドルは、皆そうしてるだろう?」
愁水が即座に切り返す。
今日はいつにも増して鋭い。
「ボクは……ボクはそういうアイドルになりたいんじゃない!」
竜くんの声が震える。
怒りと悲しみが混ざった、剥き出しの声だ。
だが愁水は動じない。
「気持ちは分かるさ。だがね竜くん。再生数47の世界で正しくあることと、10万人の前で正しくあること、どちらが社会を変える?」
「数字で正しさを測るな」
私が割って入った。
「測ってるんじゃない。正しさが届く条件を述べてるんだ」
「条件を言い訳にして、それで手段を汚すのは本末転倒だ」
「手段が汚れていない革命など、歴史上ひとつもないけどね」
愁水は肩をすくめ、ホワイトボードに更に書き足す。
『視聴者の不安を煽る:“ここだけが真実を言っている”という空気を作る』
『明確な敵を設定する:敵がいれば味方は勝手に集まる』
「これはさすがにアウトだろ!」
徹くんが立ち上がった。
「煽動じゃねえか! どう見ても」
「煽動の定義にもよるさ」
愁水は悪びれずに言う。
「定義とかいンだよ俺は! 難しいことは分かんねえけど、竜が嫌がってる! それに最初の話とまるっきり違ってるじゃねえか!」
徹くんの声は若いが低く、太い。
理屈ではなく、感情の重みで場を押してくる力がある。
一対三。
普通ならここで折れるだろう。
だが愁水は、むしろ楽しそうな表情で押し返す。
「徹くん、君の気持ちはよく分かる。だけどね、“竜くんが嫌がるからやらない”は判断基準として脆いんだよ」
「脆くねえよ!」
「脆いさ。竜くんが“やりたい”と言ったら、どんな手段でも許すのかい?」
「……それは」
「感情を基準にすると、感情が変わった瞬間に全部崩れる。だから僕は理屈の話をしてるわけだ」
「理屈とか言って、結局やりたいようにやってるだけだろ!」
「やりたいようにやるために理屈を重ねるんだよ。それが設計というものだ」
愁水の論法は、常にこうだ。
相手の足場を一つずつ外し、自分の地点に引きずり込む。
感情で反発すれば「感情は脆い」と返し、論理で反論すれば「その論理は甘い」と返してくる。
どちらに転んでも、彼のフィールドで戦うことになる。
私は頭の中で反論を組み立てようとしていた。
だが組み立てるほどに、愁水の言葉の一部が正しいことに気づいてしまう。
再生数47。
誰にも届かない正しさ。
あのプロトコルを投稿して、無音の中に立ち尽くしたあの夜。
いや、それとこれとは違う! 違うはずだ。
「百歩譲って、文法だけ借りるとしよう」
私は、自分でも危うい言葉を口にしていた。
「封印された知恵とか覚醒とか、表層的な装飾だけ使って、中身はちゃんと構造分析を——」
「ハチさん!」
竜くんが叫んだ。
声が、部屋を貫いた。
「それ、“ちょっとだけ”って言いながらズルズルいくやつだよ!」
竜くんの目がまっすぐ私を射抜いている。
「ボクらは“一緒に考えよう”って言うグループなの! “隠された真実を教えてあげる”グループじゃない! それを決めたのはハチさんでしょ!?」
「……私は、決めたというより」
「決めたんだよ! ボクはあの日、ハチさんが“好きにやってくれ”って言ってくれたから、やるって決めたの!」
竜くんの声が震えている。
だが震えながらも、芯は折れていない。
「ボクの言葉で、ボクの可愛さで、ちゃんと届ける。それがボクらでしょ! 陰謀論おじさんに媚びて数字を取るために、ボクらはここにいるんじゃないでしょ!!」
沈黙。
徹くんが、竜くんの背中にそっと手を置いた。
何も言わない。
ただ、そこにいる。
私は、自分が道を踏み外しかけていたことに気がついた。
愁水の論法に、ほんの少しだけ足を取られていた。
それを引き戻したのは、竜くんだった。
「……すまない。私が浅はかだった」
「ハチさんは浅くなんかないよ。ちょっと迷っただけ」
竜くんが、少しだけ笑った。
私は愁水を見た。
彼は感情を変数としてしか見ていない。
我々のやり取りを見て、どんな反論してくるのかと思った。
そして、愁水は——
「君らの言う通りだ」
あっさりと、引いた。
マーカーのキャップを閉め、ホワイトボードに背を向ける。
「君たちが正しい。申し訳ない。竜くんのやり方で行こう」
愁水は、なんともいえない表情をしている。
苦々しそうだが、清々しさも感じる。
竜くんは「うん!」と頷き、徹くんも「おう」と短く返した。
だが、私だけは違和感を拭えなかった。
この男が一対三で押されたくらいで折れるか?
間違っても、中途半端なところで負けを認める人間じゃない……。
「自分たちは特別だとブランディングして不安を煽り、敵を設定する。これが陰謀論者の基本だ。我々はそれに染まらない。そういうことだな?」
やけに説明的な確認だと思ったが、竜くんの「そうだよ!」という明るい返答が私の思考を遮った。
◇
四日後の朝だった。
スマホの通知が、尋常ではない数で鳴っていた。
最初は何かのエラーかと思った。
画面を開くと、SNSの通知欄が埋まっている。
知らないアカウントからのリプライ、引用、フォロー。
その全てが、ひとつの動画に紐づいていた。
【暴露】陰謀論コミュニティと戦う若者たち:カルト集団の内部映像が流出
再生数:389,471
私は画面を二度見、 いや三度見した。
動画を開く。
映っていたのは……我々だった。
あの日、あの部屋の、あの口論が、プロ級の編集で切り貼りされている。
愁水がホワイトボードに『ターゲット:陰謀論おじさん』と書く場面。
私が「百歩譲って、文法だけ借りるとしよう」と発言する場面。
徹くんが「煽動じゃねえか!」と立ち上がる場面。
そして竜くんが「ボクらはそんな集まりを目指してなかったはず」と必死に叫ぶ場面。
編集は煽情的だった。
テロップが踊り効果音が重なり、「この男は善意の若者を使って何を企んでいるのか?」といったナレーションが被さる。
そしてそれが“強烈な画”にもなっていた。
コメント欄をスクロールする。
『愁水ってやつ、サイコパスだけどイケメンすぎる』
『りゅーりゅー必死で泣ける……この子応援したい』
『徹くんカッコよすぎない? 守る男じゃん……』
『眼鏡の人、ああいう理屈っぽいの好きなんだけど分かる人いる?(笑)』
最後のコメントは……見なかったことにする。
視聴者は口論の内容よりも「口論している人間たち」に食いついていた。
尊大で美しい扇動者。
一途に抗う少女。
それを支える青年。
そして、揺れる知性の眼鏡。
キャラクターが勝手に立ち上がっている。
私はスマホを握ったまま、ソファに沈んだ。
頭の中であの日の光景が再生される。
愁水はカメラを弄っていた。
「テスト用のカメラ」と言っていた。
映り確認のために、録画は回しっ放しだった。
あの男は、最初から撮っていたのだ。
口論を仕掛け、私達を揺さぶり、竜くんの純粋な叫びを引き出し、徹くんの怒りを演出として回収した。
そして「自らが引き下がる」ことで、「尊大な年長者に打ち勝つ若者」という満足感のある結果を与え、自分は裏で映像を編集していた。
愁水は、一対三で負けたのではない。
“一対三で負ける画”を、最初から撮りに来ていたのだ。
私の発言も、竜くんの涙も、徹くんの怒りも。
全部が全部、あの男の台本の上だった。
スマホの画面がまた光る。
竜くんからのメッセージだ。
『ハチさん! なんかスゴいことになってる! これ愁水さんがやったの!?!?』
私は返信を打とうとして、指が止まった。
何と答えればいい?
「愁水の仕業だ」と書けば、竜くんは傷つく。
自分の心からの叫びが、演出に利用されたと知ることになる。
「分からない」と書けば嘘になる。
数秒ほど迷い……結局こう打った。
『落ち着いて。まずは状況を整理しよう』
送信ボタンを押した指が、わずかに震えていた。
これは怒りなのか、恐怖なのか。それとも——
再生数のカウンタは、今この瞬間も回り続けている。
画面の中で叫んでいる竜くんの顔は、紛れもなく本物だった。
徹くんの怒りも、私の動揺も、全部本物だ。
愁水の台本に乗せられたとしても、あの瞬間の熱は誰にも捏造できない。
スマホが再び光る。
竜くんからだ。
『てかハチさん、ボクのコメント欄見て! りゅーりゅー応援したいってめっちゃ来てる!! これってつまり……ボクの言葉、届いたってこと?✨』
私は小さく笑い、返信を打ち込んで送信した。
数秒後、竜くんのスタンプが三連で飛んできた。
意味は分からないが、多分喜んでいるのだろう。
あの悪魔に感謝するのは癪だが。
私はコーヒーを淹れ直し、PCを開いた。
やることは山ほどある。
計算高い導師と、真っ直ぐな巫女と、一途な奉将と、捻くれた賜祭の物語は——どうやら、回り始めてしまったらしい。
