週末の菜の花と、4月20日の『穀雨』【#私の二十四節気】
夫婦二人暮らしの仙台市内のアパートと、義母が一人で暮らす石巻の義実家とを行ったり来たりする暮らしを送るようになって、もうすぐ丸5年になる。
「二拠点生活」と言うには、あまりに近い。
かといって、三陸道を使っても片道1時間以上かかる距離。
観光名所の松島付近では渋滞も多く、その移動は、同じ宮城県内とはいえなかなか大変である。
けれど、その移動をさほど苦とも思わずに5年間を過ごしてこられたのは、途中の景色のおかげかもしれない。
入り組んだ湾のあちらこちらに松の生い茂る小島が浮かび、日本三景のひとつとしても知られる松島海岸だけではない。
東松島から石巻にかけて、道路沿いに広がる田んぼの景色は、あの震災を乗り越えて復活を果たしたものだと思えば、見るたびにぐっと込み上げてくるものがある。
石巻が近づくにつれて見えてくる工場群や、ドラマにもなった製紙工場の煙も、また同様。
海沿いの道を車で走っていると、目に入るものひとつひとつが、どこか誇らしげに思えてくる。
田畑や海の景色は、季節ごとにその色を変えてゆくのもまた楽しい。
この5年間の石巻通いの日々は、「またこの景色に会えた」という嬉しさの繰り返しでもあった。
「田植え、始まってるね!」
土曜日、ハンドルを握る夫が、嬉しそうに言った。
車の窓越しに見える田んぼのいくつかには、すでに水が張られていた。
青空を映す水面をよく見れば、植えられたばかりの産毛のような小さな苗が、かすかに揺れていた。
そういえば、田植えに適した時期とされる、二十四節気の「穀雨(こくう)」は、週明けだった。
これまでは、カレンダーに書いてあっても、さほど気にも留めていなかった二十四節気。
それを気にするようになったきっかけは、noteではしさんが始めてくださった投稿企画だった。
車窓からの景色に、二十四節気が季節の移り変わりを伝えるだけでなく、人の暮らしや営みとも深く結びついていたことに、あらためて気づかされた。
石巻の義実家で過ごした翌日の、日曜日。
自宅へと戻る前に、少しだけ寄り道して、夫と向かった場所があった。
「咲いてるかな?」
「多分、咲いてるよね」
そんな会話を交わしながら向かったその場所には、一面の菜の花が広がっていた。


あくまで個人の農耕地なので、ここに具体的な場所を書くことは、差し控えたい。
けれど、この景色を毎年楽しみにしているのは、我々夫婦だけではなかったらしい。
この日、付近の駐車スペースには、私と夫以外にも車を停めて景色を楽しむ人の姿があった。
海沿いの線路と、その前に広がる菜の花畑は、観光地ではない。
人を集める目的でもない。
ただ、仕事として、営みとして、育てられているものだ。
だからこそ、価値があるように思った。
今年も、この場所が残っていたことが、嬉しかった。
この週末は、仙台も、石巻も、快晴だった。
気温も20度近くまで上がり、私は今年初めて半袖のTシャツを着て出かけた。
けれど、一夜明けた今朝、仙台は曇り空だった。
気温は、平年並み。けれど前日の暖かさとの落差が大きく、少し肌寒く感じられた。

「穀雨」とは良い言葉だなぁと、あらためて思う。
太陽も、雨も、どちらも大切なものだ。
今年も、実り多い年でありますように。
※ 今回も、「はし」さんの投稿企画「私の二十四節気」に参加させていただきます。
前回の「清明」の投稿記事をはしさんがまとめてくださいました。
はしさん、いつもありがとうございます。
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