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小児病棟のベッドの上で食べた「あぶら抜き」ラーメンには愛がこもっていた

 子供の頃の私にとって、「あぶら抜き」のラーメンは特別な、そして内緒のごちそうだった。
 私がそのラーメンを食べたのは、小児病棟のベッドの上だった。



 幼い頃の私は、季節の変わり目ごとに入院していた。
 病名は、小児喘息と自家中毒。自家中毒とは、風邪やストレスによって引き起こされる子供特有の病気である。
 風邪をこじらせ喘息を起こし、そこから自家中毒で嘔吐を繰り返すようになるのがお決まりのパターン。
 入院するのはいつも、旭川の某総合病院だった。

 「あらら、また戻ってきちゃったんだねー」

 顔馴染みの看護婦さんにそう笑顔で言われていたのは私ばかりではなく、隣のベッドで点滴を受けているのがつい半年前にも見た顔だったなんてことも。
 そう、小児病棟は、たいてい三人一部屋。
 同室の付き添いの方と母との「あら、お久しぶりです」的な会話は度々だったように記憶している。


 入院生活は、幸いにしていつも数日あるいは一週間程度で終わりを告げた。
 激しい咳と嘔吐も、点滴で体調が落ち着けば収まり、やがて食欲も戻ってくる。そうなれば点滴が外れ、無事退院となる。


 あぶら抜きラーメンを食べられるのは、そんな退院間近の時期だった。


 病院食ではなく、出前。
 その当時の病室には、出前用のメニュー表が置いてあった。しかも注文するとお店の人が病室の中まで持ってきてくれた。
 勿論、同じ病室に容態がまだ回復していない子がいる時は、ラーメンはお預け。でもタイミング良く皆がそこそこ回復しているのを確かめ合うと、子供たちは親にラーメンをおねだりした。
 その時のラーメンが、「あぶら抜き」だった。

 「醤油ラーメンと、こどもラーメンのあぶら抜き」

 注文の電話を掛ける時、親たちはいつもそう言っていた。
 自家中毒の子供は、日頃から油脂を控えなければならない。入院中はもちろん、私は元気な時でもバターやチーズは滅多に食べさせてもらえなかった。同室の子も皆、同じだったと思う。
 それ故の、あぶら抜き。

 そのラーメンが、美味しかった。

 勿論、病院のごはんの薄い味付けの後だったから美味しく感じたという面も、多少はあったかもしれない。
 でもそれだけでは無かった。
 醤油ラーメンだった。表面に油が浮いていないだけで、スープの色も具材も、母が食べていた普通のラーメンと同じに見えた。 
 病院への出前を請け負うお店である。油脂分を控えめにしても美味しく感じられるよう、何かしら工夫していたのだろう。
 残念ながら今はもう確かめる術もないけれど、あれは、美味しいラーメンだった。
 



 今にして思えば、付き添いの親はともかく入院中の子供に出前など言語道断である。「甘えるな!」と一喝されそうなものだ。
 あれは、入院生活を頑張った子供たちへのご褒美だったのだろう。
 あぶら抜きのラーメンは、お店の創意工夫の味であるとともに、母の愛の味でもあった。


 けれど、私の入院中、私と一緒に食べたラーメン以外の毎日の三度の食事を、母はどこで食べていたのだろう。


 食事だけではない。
 あの頃の病院には、付き添い用の簡易ベッドなど無かった。母も他の付き添いの方々も皆、子供と一緒にベッドに寝ていた。
 狭いベッド。しかも、子供は点滴の管に繋がれた状態である。誰も熟睡など出来なかったのではないか。
 あの頃のことを思い返す度、申し訳なさで胸がぎゅっと苦しくなる。


 私が三十代の頃、母は亡くなった。
 晩年は、病気との戦いの連続だった。 

 私が幼い頃から心配をかけ続けてしまったことが、晩年の病の要因ではないか。
 後悔は尽きない。

 記憶の中のあぶら抜きラーメン。
 その味は、今はちょっと塩辛い。


 
 

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 ことばとさんの企画「コトバキングダム」に初めて参加させていただきます。

#モノカキングダム2025


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