大人の遠足:三輪山麓、古の道
JR三輪駅を降りると心地良い風が肌を通り過ぎて行く。梅雨の時期だと言うのに、どう言う訳か全く湿気を感じず、寧ろ秋を感じるくらい爽やかです。山麓に目を向ければ、見事に新緑に染まった稜線が印象的で、端正な姿の三輪山が見える。
駅を降りて、古びた狭い商店街の小道をスルリと抜けると、大神神社(おおみわ)へ通じる参道に辿り着く。「三輪山」は太古の昔より神様の鎮まる神聖な山として祭られており、人々を遠ざけながら大神神社の御神体として鎮座し続けている。言うまでもなく、大神神社は大和国の一宮として多くの参拝者で賑わっている神社です。
1664年に徳川家綱公によって再建されていますが、三輪山自体を御神体とするので、大神神社には本殿がありません。また、拝殿を通して三輪山を拝む原初の「神まつり」の姿を今でも留めています。
ゆっくり参道を進んで行くと、時折顔を出す太陽からの日差しが、樹木を通り抜け、柔らかい木漏れ日となって肌を照らす。三輪山から流れ落ちてくる透き通った風と合流して、心地良い自然の旋律を奏でています。
ふと前を見ると3人の外国人らしき人がいる。恐らく兄弟だろうか、高校生くらいの兄二人が小学生の妹を連れて来ているのだろう。神社の手水舎でどうしたら良いのか分からず戸惑っている。新型コロナウィルスの影響で柄杓が使用できなくなっているのだ。
彼らは僕をじっと見ている。きっと僕の真似をしようとしているんだ。
僕は貼り出してある臨時の案内に従い、マスクを顎の下までおろした後、流れ出る水で手を清め、左手に水を注ぎ口をすすぐフリをしました。
それを見ていた一番上のお兄さんが、下の兄弟達に細かく説明しているのだろう。マスクを顎の下までおろし、手を清め、左手に水を注いだ。ここまでは良かったのですが、問題なのはそれを飲んでしまった事です。
兄を観察していた二人が最後の水を飲むのか、飲まないのかで言い合いが始まった。勿論、飲む必要はない。
余りに可笑しくて苦笑していたら、彼らと目があ合ってしまった。ニヤける僕とは対象に彼らの目は真剣。どうやらこのまま立ち去れそうもないので、声をかけてみました。
やはり彼らは兄弟。お父さんの仕事の都合で2年前にカナダから来日していました。神社仏閣に興味があり、暇を見つけては家族で参拝している様ですが、今回は初めて兄弟だけで参拝しているのだと言う。
「飲む必要はないよ、むしろ衛生面で飲んではいけない」
そう告げると、下の兄弟たちは大爆笑。
この神社での出会いを大事にしようと思い、境内を4人で参拝することにしました。神社の境内には樹齢400年の神杉があり、言い伝えでは白蛇が住み着いていると言う事から「巳の神杉」と命名されている。

3人の兄弟は下からくいるような真剣な眼差しで白蛇を探し出そうとしている。明らかに僕の説明が不十分でした。でも彼らの夢を壊したくなかったので、今回はそっと見守ることにしました。
大神神社の一の鳥居まで戻ったところで彼らとお別れ。
僕は次の目的地の「纏向遺跡(まきむく)」へ向かうことにしました。次の目的地と言っても、JRで一駅先です。


纏向遺跡は邪馬台国畿内説の論争にもなっている重要な遺跡。九州説を信じてやまない僕は、些か懐疑的になってしまいますが、それでも出土した土器や木製品を確認すると、大和地域以外から来た人々が使用していたと思われる物が多く、非常に興味をそそられてしまいます。
実際に纏向遺跡発掘現場は駅前の一角でした。既に雑草が生えて綺麗な花まで咲いている。この周辺は古墳群が多く、3世紀前半の生活痕が今でも色濃く残っている。

今から1700年も前に生きた人々も、この三輪山から吹き下ろす優しい風と、燦々と照り尽くす太陽の日差しを浴びていたのかと思うと、何だか彼らと同化したような錯覚さえ感じてしまいます。
気づくともう夕暮れ時。
暮れゆく太陽が、三輪山のすっきりした稜線に差し掛かる頃、空は目も眩むほどに朱に染まりはじめる。やがてその色合いはどんどん濃くなり黄昏時を迎える。既に夜の気配を感じる時刻となっています。
最後まで読み進めて頂きありがとうございました。
早く元通りの生活に戻れると良いですね。🌱
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