連載小説「アイは夢に揺らぐ〜1,528,009回の検証記録〜」第4章「眠る知性体」第1話
コツコツコツ。
靴が、硬いリノニウムの床にリズムを刻む。
打音は白い光に煌々と照らされた廊下を舞い、やがて次の音に飲み込まれて溶けていく。
長い廊下だった。
この廊下を歩く時はいつも、一瞬のような、永遠のような不思議な感覚に陥る。
進みたいのに、億劫になる。
だけど、僕の足は止まることなく、揺らぐことなく真っ直ぐに僕の陰鬱な気持ちを運んでいく。
突き当りの特別治療室へと。
***
カラカラと、部屋の名前の割に軽やかな音を立てて、スライド式の扉を開ける。
体を滑り込ませ、後ろ手に扉を閉めた。
「やあ。調子はどうだい」
努めて明るく、不安を打ち消すように顔を上げて、部屋の主へと向き直る。
大きなベッドの上で、女性が上半身を起こしてこちらを見ていた。
赤いロングヘアーに、挑戦的な視線。
赤い口紅で、魅惑的に笑みを浮かべながら目を細める。
「おかえり。レム」
強気な見た目に反して、その声は掻き消えそうなほどの鈴の音を思わせた。
その原因は、落ち窪んで見える眼下と、やせ細りすぎた頬のせいだろう。
また、身体に繋がるチューブが増えている。
「今日は、一段と研究が進んだよ。AIが脳のシナプスを真似て、知識と知識をつなぎ合わせて、応用を利かせることができたんだ」
僕は、身振り手振りを混じえて、大げさに研究の進捗を説明する。
「そう」
彼女は、僕の退屈な話を、ニコニコと、身体の辛さを感じさせないかのように聞いて、相槌をうってくれる。
辛さを感じないなんて、そんなわけはないのに。
「私は、今日は少しだけ散歩できたわ。久しぶりに外に出たけど、風が気持ちよかった」
そう言って微笑む君は、どこか儚げで、僕はやっぱり不安を覚える。
僕は、彼女の髪を撫でて、その頬にキスをした。
「さて、研究の続きに戻るよ」
僕は、不安が顔に出ないように、現実から逃げるように立ち上がって、扉に向かう。
少しだけ、君の寂しそうな顔を横目に見て、背を向ける。
「うん。無理しないでね」
辛いのは自分だろうに、彼女はいつも僕の心配ばかりしている。
「僕は、必ず君を救ってみせるよ。リア」
そう言い残し、僕は病室を後にした。
***
長い廊下を足早に、研究室へと向かう。
「きゃっ」
「うわ」
廊下が交差する場所で、危うく出合い頭にぶつかりかけて、身をかわす。
「ごめん」
僕が謝罪すると、上気した頬を書類の束で隠しながら、女性が首を振る。
「いえ、こちらこそ」
透き通るような美しいソプラノの声に、僕は気付く。
「あ、ユミルか。怪我はない?」
僕の研究助手で、とても優秀な女性だった。
僕が提唱した理論を、実現可能なところまで昇華させたのは、彼女の功績だった。
美しい白金色のロングヘアーに、陶器のように白い肌、青い湖水を思わせる瞳の小柄な女性。
その華奢な外見からは想像がつかないほどに、頭脳明晰にして、したたかな女性部下。
「レム博士、研究室へと戻られますか?」
「ああ。AIをナノマシンに搭載する件で、まだ障害が多くてね」
「それでしたら、ナノマシンに無理にAIをインストールするのではなく、自律型の統制プログラムを構築して、そのプログラムにナノマシンが都度接続する方法が、上手くいきそうです」
「本当に?それは素晴らしい」
こんな具合に、僕の思いつきを、彼女が実用化する。
そうして、人類未踏の領域に手が届きかけている。
「それで、リアさんのご容体は………」
ユミルが伏し目がちに尋ねてくる。
「あまり良くないね。医療ナノマシンプロジェクトが成功するか否かにかかっている」
僕は、キッパリと告げて、再び廊下を歩き出す。
遅れてユミルがついてくる。
「そうですね。必ず、成功させて、リアさんを完治させましょう。レム博士なら、私達なら、必ず出来ます」
そう言ってくれるユミルの言葉に、少しだけ心が軽くなる。
完全人工知能を搭載した医療ナノマシンによって、リアの病巣を取り除く。
僕は、そのためにすべてを捧げている。
もう一度、リアと海に行く約束を果たすために。
次話→
まとめ
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