AI・ロボットが人から仕事を奪った、その先に
シオです。
私は自動化設備の、機械設計士として仕事をしている。
工場で使われる専用設備を設計する仕事だ。
ワークを運び、組み付け、検査し、箱へ詰める。
人が繰り返していた作業を、専用機へ置き換える。
そんな仕事を長く続けてきた。
しかし最近、中国では人型ロボットが物流工場で荷物を仕分け始めたという。
最初は「ついにここまで来たか」くらいにしか思わなかったが
いよいよ、機械設計を営んでいる私にとっても、無視できない実感が、徐々にわいてきた。
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私が作っているものは、ほとんどが専用機である。
この工程だけを自動化する。
この作業だけを人の代わりにやる。
そのために、一品一様の設備を設計している。
規模や内容にもよるが、2m四方のサイズで、相場は安くて1,000万前後から上は、5,000万くらいまでいく場合もある。中には、億単位になるものもなくはない。
それでも、多品種量産の世界においては、特に自動車産業などの、製品単価が高いものであれば、すぐにペイできてしまうので、需要は大きい。
ところが、人型ロボットが数百万円まで安くなったらどうだろう。
専用設備を新しく作るより、ロボットを一台追加した方が安い。
そんな逆転現象が起きる。
そうなれば、専用設備を設計する意味そのものが薄れていく。
「ならば、これからはロボットが働きやすい工場を設計する仕事が残る。」
しかし、それも違う気がする。
AIが工場全体を設計する。
ロボットが設備を製作する。
ロボットが設備を運転する。
故障したら、別のロボットが修理する。
修理データはAIへ蓄積される。
AIはその経験を学習し、次の設備ではもっと故障しにくい設計をする。
その設備も、また ”ロボット” が作る。
この循環が完成したら、人間の機械設計士はどこにいるのだろう。
よく、「人間にしかできない設計がある」と言われる。
保全しやすい。調整しやすい。使っていて気持ちいい。
しかし、それは人が設備を使うことが前提だ。
ロボットは疲れないし、使い心地も気にしない。
メンテナンスも別のロボットがやる。
その世界では、人間の感性を武器にした設計ですら、必要なくなるかもしれない。
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ちなみに、ロボットは、どこから人を置き換えていくのだろうか。
そこには、段階がある。
冒頭に触れたとおり、最初は工場。
工場は閉鎖空間であり、通路も決まっていて、作業も決まっている。
だからAIもロボットも学習がしやすい。
それは、物流や倉庫も同じことが言えるだろう。
そして次は、建設、介護など、ある程度ルール化された現場だろう。
しかし、本当に社会が変わるのは、その次。
ロボット一台が数十万円(数百万でもあり得る)まで下がったとき、一般家庭へ普及し始める。
掃除、洗濯、料理、買い物、育児、介護。
ここまで来ると、人類は仕事だけではなく、生活そのものから解放され始める。
*
私は子どもの頃、ドラえもんを見ながら育った。
一家に一台、何でも手伝ってくれる未来のロボット。
ドラえもんの誕生日は2112年9月3日。
ずっと遠い未来の話だと思っていた。
でも今、AIと人型ロボットの進歩を見ていると、その未来は、私たちが思っているより早く訪れるのかもしれない。
ここで、いつもの問いにぶつかる。
仕事はロボット。
家事もロボット。
育児も介護までもロボット。
では、人間は何をするのだろう。
私たちの社会は、労働と対価がセットで成り立っている。
働き、価値を生み出し、対価を得る。
その対価で食べて、そして、また働く。
だから仕事で失敗すると怖い。
納期に遅れ、品質でクレームになる。
すると、顧客を失い、売上が減る。
そして、給料が減る。
最悪、仕事がなくなり、食べられなくなる。
私たちは、失敗そのものを恐れているのではない。
失敗が、生存に直結していることを恐れている。
だから挑戦よりも、正解を探すし、失敗しない人生を選ぶ。
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しかし、もしAIとロボットがほとんどの労働を担うようになったら。
もちろん、そのためにはAIが生み出す富を社会全体へどう分配するかという制度は必要になる。
それでも、人間の生活が労働から切り離されたなら、失敗は、生きることを脅かさなくなる。
失敗しても、生活は壊れない。
すると失敗は、「避けるもの」ではなく、「試してみた結果」へ変わる。
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