あなたにとってnoteとは|資産を増やす道具としてはたぶんSubstackより使えない、、、よ?知らんけど。
どうも、シオです。
「わたしは、このnoteを愛しています。
ただ、ここに文章を紡ぐことが幸せなんです。」
はい! 分かりました!では
1行書いて発信するごとに、5万円いただきます😄
ん?愛してるんですよね??
noteで文章を紡ぐことが幸せなんですよね?
他じゃなくて、“note”に意味があるんですよね?
ウザくて、すいません。
意地悪な話ですね。
ちなみに、私は
「1行書いて発信するごとに、5万円いただきます」
って、なったらすぐにnoteをやめます。
結局、「興味の方向性」とその「熱量」の問題なんですよね。
文章を書くのは、嫌いじゃないですが
発信するのに、そんなに資産を削られるのなら
もっと他にあります。
最近流行り出した?Substackとか?
まぁ、その程度のもんです。
言いたいこと書きまくって
読まれる工夫をして
お金も入る工夫もできる。
そんな遊びを気軽にできるから、noteでええやろ。
に落ち着いている状況です。
稼ぐが目的なら、そのSubstackでもいいかもしれませんね。
知らんけど🐭
わたしは、この稼ぎにくいnoteで、お金が入る工夫をする遊びにハマってるので、まだ乗り換える気になりません。
そして、どこかで、まだいけると信じれているから、続けてるのだと思います。
*
さて、あなたにとって
“note”で文章を紡ぐこと。とは、
ほんとうは、なんですか?
もちろん、あなた自身の経済的余裕度にもよりますが、
「1行書くごとに5万円払ってください😄」
と言われたときに、
『5万円を払ってまでやることなのか』
と思う程度のことなのか。
それとも、
『5万円払って、お金が減ることよりも、書きたい』
と思うほどのことなのか。
どちらでしょうか。
前者は、
“お金が減らない範囲で”という条件つき。
一方で後者は、借金してでもやるくらい、ぶっ飛んでいて条件などなし。
後者を美化するつもりはないけど、ある意味noteに対して無条件の愛?が生まれていると捉えられるかもしれません。
“愛”と“経済合理性”は、すぐに衝突します。
そして多くの場合、勝つのは経済合理性です。
だから、“好き”という言葉だけでは分からない。
人は、失うものが発生した瞬間に本音が出ます。
冒頭にも触れたとおり、要は
死ぬかもしれないのを、忘れるくらいの熱量なのかどうかということです。
死ぬのは極端かもしれませんが
お金が減るくらいならやらないのか。
減ってでもやりたいのか。
その差は、熱量の差でもあり、
同時に、“お金との距離感”の差でもあります。
そして皮肉なことに、
お金を減らしてでもやりたい人ほど、
お金持ちにはなりにくい。
でも、そういう人間が生み出すものには、
時々、合理性だけでは辿り着けない熱が宿ります。
そして制限が、新たなクリエイティブを起こしたりするんですよね。
でも、そこに至れるのは、相当な熱狂者。
お金より、愛と言ってられる人は、たぶんそこまで狂ってない人だと思います。
*
◼️毎日、スタバでコーヒーは悪いのか?
急に、何の話だと思わせて申し訳ないです。
実は、
この記事で1番言いたかったのはここなんですが、
浪費=悪い、で片付ける人にむけて物申したい。
結果的に、お金のかかることに興味を持ってしまった人のことを揶揄したり軽蔑するの、どうなの?
あなたは、ただ書くことが、好き。ということで
ローコストなことに、”たまたま興味を持てて良かったね” というだけですよ。
私、シオはコーヒーが好きで、普段はいろんな所で豆を買い
自分で挽いて、ドリップコーヒーを愉しんでいます。
スタバもよく行くのですが、私の目的は
新鮮な味わいに出会うためです。
中には、スタバに行っている自分という状態を
ひとつのステータスとしている人もいるかもしれませんが
それは、単なる浪費だと思います。
コーヒーなんて、ただ毎日飲めることを求めるなら
わざわざ、値段のするものを買う必要はありません。
しかし、今まで味わったことのないものに
出会いたいのなら、値段が張ってしまうことは
仕方ありません。
美味しさと値段は、相関性がありません。
希少性と値段に、相関があるんです。
だから、普段、お目にかかれないものに
出会いたいのなら、値が張るのはしょうがない。
俺は、安定した美味しさを、安く手に入ればいい
という場合は、いつものやつを買えばいい訳です。
*
さらに、何もなくていいとか
無関心なまま生きてます、という人。
そう言ってる人が
誰かのお金がかかる興味に口出しするのは、何か違うと思います。
ぶっちゃけ、私利私欲にまみれても
誰かに払ったお金は、何かの意味を生み出します。
いい方向に意味をなすかどうかは、関係ありません。
立場が変われば、良くも悪くもなるんですから。
最もタチが悪いのは、良いも悪いも生み出さない状態です。
社会へ還元していくには、経験が必要です。
何も体験せず、いいも悪いも分からない状態で、社会へ還元することはできません。
真に社会貢献を思うのなら、極端な話
死んでもいいから経験を取りにいく。
でも「死んでもいいから」までは、、、
というのが普通ですよね。
だから、ほとんどの人は普通で落ち着く。
それも、ひとつの正しさです。
しかし、その立場から、
「死んでもいいから経験を取る」と決めた人に、口を出す理由はない。
「そんなこと、やらなくたっていい」
「必要ないことくらい分かるでしょ」
そうやって、知ったかぶりを擦りつける。
稀に、経験を取りにいかなかった人間が、やってもいないのに、リスクや経験の尊さを説くことがあります。
その人は嘘つきなので、無視しましょう。
しかし、残念なことに、その嘘つきによく同調が集まるんですよね。
これからの時代
説法をお求めなら、じぴお(ChatGPT)で十分です。
*
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