月に一度ディズニーへ行けることに意味はない
どうも、毎月ディズニーに訪れる夫婦の夫、シオです。
私はフリーランスをしていて、妻も自由人なので、時間の融通が効くこともあり、よくディズニーに訪れています。
でね、、、
たまに、「ディズニーへ訪れる頻度の高さ」を、自慢している方がいらっしゃいますよね。
その高さで、ディズニーオタクなのか、そうでないのかみたいな論争もありますし、どれくらい昔から、パークに訪れているのかで量っている方もいるようです。
まぁ、要はオタクマウントを取りたいのでしょうが、、、
ごくろうさまです、、、
私も、「ディズニーつぶやきnote」を運営するにあたり、自分は何者かをおわかりやすく知らせするために、{毎月ディズニーに訪れる夫婦の夫、シオ}を名乗っておりますが、その意味においては、それ以上でも以下でもありません。
高い頻度で、ディズニーに行くこと、行けることに、たいした意味や価値はありません。
ディズニーパークの世界に浸ることに興味があるから、必然と行く頻度が高くなっている。
ただそれだけです。
ディズニーパークに興味がなければ、チケット代が高いなどの適当な理由をつけて、行かなければいいわけです。
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人それぞれ、興味の指向性は違うので、何に価値を置くかは変わります。
住宅街の公園で、立派な遊具は揃っていないけれど、真ん中に立派な桜の木が一本立っている。穏やかな風が吹いて、木の葉がゆらゆらとなびくしずかな世界に浸れる場所があり、その場所に価値を置くということも、素晴らしいと思います。
(阪急岡本駅のすぐ近くにある公園です。今もあるかな)
我が家は、という、異常なまでにウォルトディズニーの世界観を実現しようと、多くのイマジニアによって創造された、あの場所の世界観に浸りたい欲が強いです。
もちろん、海外旅行に行けば、ディズニーよりも本物の世界に浸れる場所はあります。その場所には、それぞれの歴史があって、物語があって、その世界観を作っている。
一方で、ディズニーパークには、そのような歴史や物語があるのか。
単なる虚構に過ぎないのではないかということですが...
擬似的な歴史的背景や物語を想像し、それをアトラクションや、ショーパレ、建物、地面、植栽にまで、可能な限り具現化することに成功した、ある意味で本物を超える唯一無二の場所だと思っています。
しかも、人が想像し続ける限り永遠に進化し続ける場所であるわけです。
こんなに、素晴らしい場所へ月に一度浸りに行けるのは幸せだなと感じます。
ただ、毎月ディズニーに行けないことが不幸というわけでもありません。
そんなの、言うまでもないですよね、、、
行きたい時に行けばいいだけです。
お金がない、チケット代が高い。飲食代が高い。
関係ありません、行きたければ、どうやってでも行きます。
おそらく今後は、更に値上げされる可能性もあるでしょう。
ですので、我が家もその分稼ぎます。
繰り返しますが、高い頻度でディズニーに行けるということに、たいした意味はありません。
行きたいと思える場所がある。
これだけで十分ですよね。
🐭 ディズニーのこともっと深く知りたい方へ
より実践的な内容は、こちらにまとめています。
