嫌いなお金をキャンセルする話|対価は、なにではらうのがよいか🐭
お金を嫌う人、多いですよね。
どうも、シオです🐭
「金の話ばかりするな」 すっ、すいません!
「資本主義は醜い」 そっ、そんな。
「本当に大事なのは愛や思いやりだ」 ですよね〜
そう語る人もいます。
だったら、無くしますかということで
もし本当に、
“お金の存在をキャンセルした世界”
を作ったら、そこでは何が起きるのでしょうか。
*
まず考えなければならないのは、
お金そのものではありません。
お金が担っている“役割”です。
あたりまえですがお金とは、
単なる紙切れではありません。
「あの人の労働」と
「この人の願望」を、
効率的に接続するための共通規格です。
例えば、ディズニーランド。
「リバ鉄に乗りたい」人が、
「リバ鉄を安全に運行する」人へ
お金を払う。
それだけで、
“願望” と “労働” が即座に繋がる。
つまりお金とは、
他人の時間・技術・生産物を、
自分の欲求実現へ接続するための装置です。
*
人は、一人では何も始められません。
例えば、
「ミニーちゃんの絵を描きたい」
と思ったとします🐭
するとまず、
画材が必要になります。
では、その画材は誰が作るのか。
自然の顔料を使って描くとしても、
顔料そのものは必要です。
しかし、自分は“顔料を作りたい”わけではない。
“今すぐミニーちゃんを描きたい”んです。
すると、
誰かに顔料を作ってもらう必要が出てくる。
では、
その相手に何を差し出すのか。
もし対価が存在しないなら、
「顔料づくりを趣味にしている人」
を探し回り、余っていたら譲ってもらうしかない。
しかも、
それが毎回必要になる。
とてつもなく “非効率” です。
つまり、
「お金のない世界」とは、
“対価交換を極端に不便化した世界”
とも言えます。
*
もちろん、
こういう反論はあるでしょう。
「人は善意で助け合える」
「感謝があれば成立する」
確かに、
小規模な共同体なら成立します。
家族。
友人。
村社会。
ファンコミュニティ。
人は、
愛情、承認、誇り、所属感といった、
“非貨幣的対価”でも動くからです。
しかし、
それだけでは巨大社会は回りづらい。
なぜなら、
それらは関係性依存だからです。
近しい関係では機能する。
しかし、
遠距離・大量・匿名社会には向かない。
例えば、
見知らぬ誰かが作った顔料を、
世界中の誰かが受け取る。
そこに、
家族愛や仲間意識は成立しづらい。
だから人類は、
巨大社会を成立させるため、
“誰にでも通じる共通価値”
として、お金を発明したわけです。
つまりお金とは、
資本主義の象徴というより、
“人間活動の圧縮装置”
なのかもしれません。
*
では、お金を消した世界で、
例えばディズニーランドを作ろうとしてみる🐭
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
