言語化が上手いは過大評価され、形にする者たちの重さは過小評価される世界に思うこと
身勝手な想像を口にする者たちへ。
それを形にする者たちへの敬意は足りているか。
とあるディズニーヲタクのシオが営む、“機械設計屋”へようこそ。
さて、身勝手な想像を口にする者とは、前回の記事でもふれた、時にリベラルな設計要望を繰り出す者も該当する。
【機械設計はきつい?】保守的設計とリベラルな設計要望から生まれる資産
唐突に話を始めるが、皆さんは「家事のタスク数」を意識したことはあるだろうか。
どこかで聞いた話かもしれないが、家庭の中の作業を細分化すると、数百項目にも及ぶという。
たとえば「ゴミ捨て」。
ゴミ捨ては「ゴミ袋を持ってゴミ置き場に行くこと」だと思っていたら大きな間違いだ。
●ゴミを集める
●分別する
●専用の袋に入れる
●次回の袋をセットする
●玄関にまとめる
●そして、ようやく持っていく
つまり、“捨てに行く”までに、すでに複数の工程が存在している。
さらに言えば、袋のサイズ選定や、名前記入のタイミングなど、細かい判断が無数にある。
これらをすべて整えて、初めて「ゴミ捨て」は成立する。
もし、あなたがゴミ捨て担当で、ゴミ捨て場にゴミ袋を持って行く作業しかやっていないのなら、それはゴミ捨て担当とは言えない。
しかし、おそらくその程度で担当していると言っているケースが多い。
そして、ゴミ袋を持っていく時点で、あなたは真の担当者に失言をする。
「あっ、替えのネクタイ持ってくるの忘れた。持ってきて」
「ん?あれ?ゴミ袋に名前入ってないじゃないか。なんでこれくらいやってて忘れるかな?」
「俺、靴履いちゃったからさ、袋に名前だけ書いてきて。書くだけだろ」
これが夫なら、妻にとっては完全に顔面メリケンサックをお見舞いする事案だ。
それらは、担当であるあなたが、本来ならやっておくべきことである。
掃除、洗濯、料理。
どれも一言で片付けられるが、その中には膨大な工程が含まれている。
やりたくない、やろうとも思わないのは自由だが、やらないのなら、せめてやってくれている人への敬意は十分すぎるくらい示すべきだ。
なぜなら、あなたが自由にやりたいことをやれている環境は、あなた自身によって整えられているわけではないからだ。
にも関わらず
「なんでこれくらいできないの」
「これくらい普通でしょ」
しかし、その“普通”の裏にどれだけの作業があるのか。
少しくらいは想像してみたらいい。
*
機械設計屋の私の話をする。
ある製品、
例えば”注射器の試作設計”があるとする。
3Dモデルは完成し、あとは発注して組立に入る段階。オンスケジュールで進んでいるが、時間の余裕はない。
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