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人は、なぜ転落した者を叩き続けるのか

人間の恐ろしさは、嫌っていた相手を攻撃することではない。

昨日まで拍手を送っていた相手を、今日になれば平然と踏み潰せることだ。

しかもその多くは、自分を「正義の側」だと信じている。

芸能界だけの話ではない。

会社でもある。
組織でもある。
友人関係でもある。

人は、失敗した者より、“落ちた者”を許さない。

なぜならそこには、群集心理特有の快感があるからだ。

自分は安全圏にいる。
自分は正しい側にいる。
自分はまだ落ちていない。

その確認作業として、人は集団で誰かを叩く。

そして恐ろしいのは、昨日までその人物を称賛していた者ほど、反転した時に残酷になることだ。

人間は、思っている以上に脆く、そして残酷である。

だが、本当に恐ろしいのは、「叩く人間」が特別な悪人ではないということだ。

普段は優しい人もいる。
真面目な人もいる。
常識的に見える人もいる。

それでも、一度「叩いていい空気」が生まれると、人は驚くほど簡単に集団の側へ流される。

なぜなら、人間は孤立を恐れる生き物だからだ。

多数派の側にいることは安心につながる。
正義の側に立っていると思えることは、自分を守ってくれる。

だから人は、ときに“真実”より、“空気”を選ぶ。

だが、本来、人はそこで立ち止まらなければならない。

本当に自分は、その人のすべてを知っているのか。
本当に自分の言葉は、誰かを追い詰めていないのか。
本当にその怒りは、自分自身の不安や鬱屈をぶつけているだけではないのか。

そう考える想像力を失った瞬間、人は簡単に残酷になる。

人は誰でも、落ちる。

失敗もする。
誤解もされる。
時には、事実とは違う形で語られることもある。

だからこそ、人の転落に熱狂するのではなく、“明日は自分かもしれない”という感覚を持てるかどうかが大切なのだと思う。

私は、人間は美しい存在だとは思っていない。

だが、それでも。

誰かが落ちた瞬間に石を投げる人間より、
黙って立ち尽くせる人間でありたい。

そしてできるなら、
もう一度立ち上がろうとしている人間に、静かに手を差し伸べられる側でありたいと思う。

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