「バケツと水」という誤謬——なぜ自称保守リバタリアンは国家を「家計」と混同するのか?:MMT的視点から積極財政を再考する
先日、
「積極財政論は独善的である」
「バケツから水が溢れるようにインフレになる」
といった趣旨の論考を目にした。
保守を自称するその人物は、
政府の赤字を「将来世代への借金」と断じ、
耳障りの良い財政規律を説いている。
しかし、その主張は一見もっともらしく聞こえるが
、現代の不換紙幣制度(主権通貨)を
持つ国家の経済構造を完全に誤解している。
いわゆる「保守」が守ろうとしているのは、
経済の真実ではなく、
19世紀の金本位制時代の古い教条主義ではないだろうか。
本稿では、彼らが信じて疑わない「誤解」を解き、
なぜ積極財政こそが現在の日本に必要不可欠なのかを論じたい。
1. 「バケツ」は固定されていない:経済の器は拡張する
自称保守は「バケツと水の例え」でインフレを警告するが、
ここには致命的な前提の欠落がある。
それは「経済規模(供給能力)は固定されている」
という誤った前提だ。
経済活動において、通貨(水)は単なる循環媒体である。
需要が供給を上回ればインフレになるのは真実だが、
現在の日本は長引くデフレで「バケツ」が
空っぽに近い状態である。
遊休設備があり、失業者がおり、
賃金が停滞している状況で、
なぜ「溢れる」ことを恐れて水を注ぐのを止める必要があるのか。
MMTの視点から言えば、
財政支出は供給能力を拡大させるための投資である。
インフレのリスクがあるのは
「完全雇用に近い状態」になってからだ
。バケツが空の状態で水を注ぐことを恐れるのは、
喉が渇いている人間に
「水を飲むと溺れるから我慢しろ」と言うに等しい。
2. 「国民の黒字」は帳尻合わせではない、マクロ経済の真実だ
彼らは「政府の赤字は国民の黒字」という恒等式を、
「単なる帳尻合わせ」と一蹴する。
しかし、これは単なる会計処理ではなく、
マクロ経済における厳然たる事実だ。
民間部門と政府部門、
そして海外部門の収支を合わせればゼロになる。
政府が黒字化(緊縮)を目指せば、
必然的に民間部門が赤字になることを意味する。
つまり、「財政規律」を叫ぶことは、
民間企業の利益を削り、
家計の貯蓄を減少させることに他ならない。
自称保守は「将来世代の富を前借りしている」
と批判するが、
自国通貨を発行できる政府が負う負債は、
民間にとっては「資産」であり、
将来への投資だ。
税金で財源を賄っていると信じている限り、
彼らは国家を「巨大な家計」と勘違いし続けることになる。
3. 最も無責任なのは「緊縮」という名の破壊である
「成長しなかった場合のリスク管理はどうするのか」
という問いかけがあるが、答えは逆だ。
積極財政を行わずに、緊縮財政を続けて
経済成長を放棄することこそが、
最大の「無責任」ではないだろうか。
我々が現在直面しているのは、
失われた30年という名の「人為的な停滞」である。
緊縮によって成長の芽を摘み取り、
将来の税収基盤を破壊してきたのは、
誰の政策か。
成長を前提としない緊縮論こそが、
国民を貧困化させ、国家の自由と自立を奪う
「真の亡国論」であると私は考える。
教条主義を超えて、現実を見よ
「議論の前提を疑う勇気」という言葉には同意する。
しかし、疑うべきは積極財政の有効性ではなく、
自称保守の方が信じている「家計の論理」そのものである。
自由主義保守を自称するならば、
政府が過剰に介入して経済を壊すこと(緊縮)
こそ戒めるべきだ。
通貨発行権を正しく行使し、
国民の生活を豊かにし、
経済の供給能力を高めること。
それこそが、自由で強固な国家を維持するための
保守の道ではないだろうか。
私は、単なるイデオロギーの対立を望まない。
数字と経済の仕組みに基づいた、
実証的な議論を歓迎する。
もし「積極財政がインフレを招く」と警告するなら、
現在の「供給力に余裕がある日本」において、
具体的にどの指標が危険域に達していると判断しているのか
その論理的な根拠をぜひ示してほしい。
【追記】
この反論に対し、
「ハイパーインフレになったらどうするんだ」
という反論が予想される。
しかし、それは「需要」の問題ではなく、
「供給」が壊滅した時に起きる現象だ。
緊縮によって供給能力そのものを破壊し続ける日本において、
我々が真に恐れるべきは、
インフレではなく「終わりのない停滞」である。
