営業課長が残業をやめた先に見えた世界
「あのー、みんなちょっといいかな?」
「・・・俺、今日から毎日定時で帰るから」
部下たち「・・・はぁ…」
令和元年9月30日(月)仕事を「定時で帰る」宣言。 業務上どうしても対応できない日があるかもしれませんが、可能な限り継続することをここに高らかに誓ったのでした。
当時の僕は、常に数字のプレッシャーに追われる営業課長。毎日20時くらいまで残業していた僕が、「定時で帰る」を継続すると、一体どうなるのか? 会社は回るのか? 自分の評価はどうなるのか? 身をもって実践し、レポートします。
まず残業をやめる
「これは営業戦略上の壮大な実験だ!」 あるいは、 「早く帰って自分や家族のために時間を使いたいから」
そんなかっこいい理由を並べたいところですが、実際には色んなことが重なって、そうせざるを得ない「のっぴきならない事情」があったに過ぎません。
話せば非常に長くなるので要約すると、「離婚危機でシングルファザーになるかもしれず、早く帰るしかなかった」というのが正解です。
前日の9月29日(日)、妻と重く、そして激しい喧嘩をしました。 原因の多くは、仕事にかまけて家庭を顧みなかった僕にあります。追い詰められた僕は「育児と家事は全て俺がやる。明日からは毎日定時で帰る!」と、後先考えずに宣言してしまいました。
とりあえず妻は実家には帰らないものの、「もう家事は一切しない」というギリギリの決着点で、波乱の月曜日が始まることになったのです。
当時の生活は、20時まで残業し、帰宅は21時。そこから夕食、犬の散歩、風呂、少しばかりの自分の時間を過ごして深夜1時に就寝。朝は6時半に起きて出勤、というサイクルでした。
しかし、これを1人でこなすとなると、21時帰宅では完全にアウトです。子どもは当時まだ小学5年の息子と小学2年の娘。
18時の定時で帰った場合をシミュレーションしてみました。 19時過ぎに帰宅し、ご飯を作って食べさせ、20時過ぎに風呂。宿題を見て、明日の準備をさせ、犬の散歩、食器洗い、子どもを寝かせ、洗濯物をたたみ……。 「定時で帰れば、なんとか回るか」
しかし、定時に帰れなかったら即崩壊です。 残務を家に持ち帰っても、やる時間などありません。 そこで導入したのが「朝活」でした。定時で帰る代わりに、早朝4時に起きて、誰にも邪魔されない静かな時間に仕事の残務や家事、そして自分の時間を作る。定時退社と朝活は、この危機を乗り越えるためのセットでした。
そして迎えた月曜の夕方。部下6人が揃っているのを確認し、高らかに宣言しました。 「ちょっとみんないいかな? 俺、今日から毎日定時に帰るから」
「シーン……はぁ」 当然のリアクションです。毎日20時過ぎまで残業していた上司が、突然何を言い出すのか。
しかし、僕は「代わりに早朝に起きて対応するから、急ぎの確認事項はメールに入れておいて」と一方的に告げ、周囲の困惑と「自分だけ先に帰る」という猛烈な罪悪感を背負いながら、会社を後にしました。
どうやったら回るか考えるようになる
定時で帰る生活を始めて数週間。最初に直面したのは「圧倒的な時間の不足」でした。
今までは「終わるまでやる」という時間無制限の戦い方をしていましたが、18時という明確なタイムリミットが設定されたことで、働き方を根本から変えざるを得なくなりました。
そもそも、家族が誕生日で「何時までに帰る」と決めていたら、大抵の場合はどうにか切り上げて帰るんですよ。だから、大事なことは時間になったら帰る設計をすることです。
そして、一人の時間を作ること。その最大効果があるのが朝活です。朝活で4~5時に起きれば、一人の自由な時間を2~3時間作ることができます。
朝活の効果は絶大でした。 4時に起きるためには、逆算して22時〜23時には寝なければなりません。最初の数日は長年の夜更かし習慣が抜けず、昼間に強烈な眠気に襲われましたが、慣れてくると朝の静寂がいかに集中力をもたらすかに気づきました。
誰からも電話がかかってこない、メールの通知も鳴らない早朝の2時間は、日中の4時間分に匹敵する生産性がありました。
しかし、自分の処理能力を上げるだけでは限界があります。 「どうやったら定時内にチームが回るか?」 僕は、日中の時間の使い方を徹底的に見直すようになりました。
今日中に絶対に終わらせるべきタスクと、明日でも良いタスクの選別。朝の犬の散歩中には、頭の中で1日のスケジューリングを完璧に組み上げるようになりました。
無駄をとにかく削る
時間が限られている以上、無駄なことは一切できなくなります。 僕は部下たちに「夕方以降のイレギュラーは原則翌日回しにする」と伝え、遅い時間にアポイントを入れることをやめました。
また、自分でなくてもできる仕事は営業事務にやらせることにしました。パートで1名だった営業事務を2名体制にして、誰でもできることを徹底的に営業事務にお願いするフローを構築しました。(現在は正社員化)
それまでは、自分自身で納品用の梱包や請求書の作成などをしていましたが、全営業社員含め誰でもできることは「営業事務に任せる」として、教育と仕組化をしていきました。
また、厄介だったのは「会議」です。 特に他部署の長を集めた月1回の会議は16時から始まり、終わるのが19時を過ぎることもしばしば。僕は思い切って「会議の開始時間を早めるか、終了時間を17時半に厳守しましょう」と打診しました。
最初は嫌な顔をされましたが、事前にアジェンダを絞り、根回しを終わらせておくことで、会議そのものの時間を半分に短縮することに成功しました。
無駄を削ることは、単にサボることではなく、仕事の本質を抽出する作業なのだと気づいたのです。
家族の関係でいえば、本当に定時に仕事を終えて、家のことや家族時間を優先している僕を見て、妻は本当に感謝していました。
「家族のためにいつもありがとう。」「無理しないで仕事優先の時があってもいいからね」「お父さんがいるから安心」
そんな言葉にがんばっているつもりだった僕も報われる気持ちでした。それと同時に、「この生活を絶対に守る」という決意も改めてしたのでした。
より結果にこだわる
定時で帰るようになると、社内から様々な声が聞こえてくるようになりました。『定時帰りの営業課長』として、完全にキャラクターが定着していました。
「課長、毎日早いですね。うちは全然終わりませんよ」 他部署からの、少し棘のある言葉。中には「早く帰って暇なのか」と陰口を叩く人もいたでしょう。
日本にはまだ「遅くまで残っている=頑張っている」という残業の美学が根強く残っています。その中で定時で帰る以上、もし営業成績が落ちれば「ほら見ろ、早く帰るからだ」とすぐに叩かれます。 だからこそ、僕はかつてないほど「結果」に執着するようになりました。
「定時で帰っても、絶対に予算は達成させてやる」
時間ではなく、数字で黙らせるしかない。
プロセスでのアピールを捨てた僕は、売上に直結するアクションにのみリソースを集中させました。
部下への指示も「遅くまで残らなくていい。ただ、この数字だけは意地でも獲ってこい」という、極めてシンプルかつ合理的なものに変わっていきました。
周りも残業をやめだす
僕が定時で帰り始めて数ヶ月。チームに不思議な変化が起き始めました。
最初は僕の早帰りに戸惑い、18時以降に報告に来ていた部下たちが、徐々に僕のペースに合わせて定時前に「報連相」を済ませるようになったのです。
さらには、「課長が帰るなら……」と、定時になったら自分の仕事に見切りをつけて帰る部下がポツポツと現れ始めました。
最も驚いたのは、部下から有給休暇の申請が相次いだことです。 これまで、盆や正月以外で有給を取る雰囲気は皆無でした。しかし「上司が誰よりも早く帰る」という事実が、部下たちの心理的ハードルを大きく下げたのです。
早く帰るために、部下たち自身が自分の無駄を削り、効率を考え始めました。結果として、チーム全体の残業時間が激減したにもかかわらず、営業成績は落ちるどころか、むしろ右肩上がりに伸びていったのです。
リモートワークをするようになる
そんな折、世の中の働き方を一変させる出来事が起きました。新型コロナウイルスの流行、そしてそれに伴う働き方改革の波です。 会社からも出社制限が言い渡され、我々営業チームも急遽リモートワークを導入することになりました。
かつての僕であれば「営業が現場に行かず、顔も合わせずにどうやって数字を作るんだ」と大反対していたでしょう。
しかし、すでに「定時退社」という時間的制約の中で効率化のノウハウを蓄積していた僕にとって、リモートワークはむしろ「究極の効率化ツール」に映りました。
通勤時間がゼロになり、移動の無駄が省ける。 妻との約束である「家事・育児」も、家にいながら隙間時間でこなすことができる。
リモートワークは、僕が掲げた「定時で帰る(=短い時間で成果を出す)」というコンセプトと完璧に合致していたのです。
会社もクラウドシステムを導入し、どこからでも会社のデータにアクセスできるようになりました。これはかなりの追い風になりましたね。
周りもリモートワークするようになる
僕が率先してリモートでのオンライン商談や、チャットツールのコミュニケーションを実践すると、部下たちも瞬く間にそれに適応していきました。
わざわざ会社に来ないとできないタスクを、みんなでつぶすようになっていきました。押印・紙による書類管理・対面会議・郵送、梱包などなど、営業事務に任せる仕組化や、ペーパーレス化を推進。
彼らもまた、リモートワークの恩恵に気づき始めました。 チームの定例会議もすべてオンラインに切り替え、週1回だけしっかりと情報共有と必要な指示。
その分、自分たちで考えて、自由に営業するようにしました。結果が出ていればあとは何も言わない。営業は細かく管理されるより、結果で評価されるほうがやる気になるもんですからね。
仕事量があることも週1の会議でわかっていますから、細かく監視する必要もありません。そもそも簡単にサボれないくらいの顧客をみんな持ってますので、仕事量で管理することで問題なしです。
世間ではオフィス回帰の動きもありますが、僕らはまだリモートワークを続けています。
リモートワークだとサボっちゃう社員もいるからでしょうけど、効率的に働ける社員はリモートワークのほうが間違いなく効率的です。
プロセス評価から結果主義へ
リモートワークが浸透したことで、マネジメントのあり方は根本から変わりました。 部下が今、机に向かっているのか、サボって寝ているのか、物理的に監視することは不可能です。つまり、「プロセス」や「態度」で評価することが完全にできなくなりました。
ここで問われるのはさらに純粋な「結果」です。「どこで、いつ働いてもいい。極端な話、昼間に映画を見ていてもいい。その代わり、与えられたミッションと数字は必ずクリアするぞ」
僕はチームの評価基準を、労働時間や過程から、完全な成果主義へとシフトさせました。
プロセスが見えないからこそ、目標設定をより精緻に行い、結果に対するコミットメントを部下と強固に握る必要がありました。
皮肉なことに、物理的な距離が離れたことで、目標に対するチームの結束はかつてないほど強固になっていったのです。
営業予算も僕が課長になってから9年ほど右肩上がりで成長させてきましたが、残業をやめてもリモートワークにしても、売上は右肩上がりを継続して会社を成長させることができました。
課長→部長に昇進する
「残業ゼロ」と「リモートワークのフル活用」。 この2つを武器にした僕らのチームは、社内でも大躍進をしていました。
他部署は離職率が高く、残業続きの中「営業はリモートであまり会社に来ない」と皮肉られながらも、数字としては最高記録を更新し続けていました。
その圧倒的な成果から、会社からも僕の評価が上がっていたようです。課長として10年働いてきて、部長職は組織になかったのですが、新しく「部」として東京・北陸を統括する「東日本営業部」を設立。
そして、僕は部長という立場に昇格することになりました。
かつて「早く帰って暇なのか」と陰口を叩いていた人たちは、もう何も言わなくなりました。残業を捨て、純粋に結果だけで勝負し続けたことが、最大の評価に繋がった瞬間でした。
お金に余裕ができる
部長に昇進したことで、役職手当がつき、給与ベースが跳ね上がりました。 もちろん管理職なので残業代は最初からありませんが、それ以上のリターンを得ることができたのです。
しかし、お金の余裕をもたらしたのは昇給だけではありませんでした。朝活をしていたときに、自分一人の時間を作ることができたので、投資や副業(ブログなど)による収入も作れてたんですね。
ブログも残業をやめたころから朝活で書き続けたので、今でこそAIで厳しくなりましたがそこそこに。投資は個別株投資では失敗もしましたが、「つみたてNISA」から「新NISA」で含み益的にも大きなものになってきました。
離婚危機で「もう何もしない」と言っていた妻も、毎日定時で(あるいは家で)家事と育児を分担し、さらに昇進まで果たした僕を見て、喧嘩することもめっきりと減りました。
今では家事もちゃんとしてくれてますし、僕も可能な限りご飯を作ったり、洗い物をしたりして、早く家の仕事を終わらせるように協力しています。
残業をやめたことで生まれた時間を有効に使うことで、自己投資に使う時間がたくさん生まれました。ブログを書くことでついた文章力も仕事で活きている気がしますしね。
副業もガンガンしよう!というフェーズから、投資と給料アップで回るようになってきたので、「お金にならなくても自分の好きなことを始めよう」と、バンド活動も再開しました。
大学生時代バンドを組んでいた仲間と2023年から、DTM(パソコン等を使った音楽制作)による曲作りを行っています。
このバンド活動も単なる趣味にとどまらず、作詞作曲・ベースの演奏・ミュージックビデオ制作・YouTubeや音楽ブログなど、結構本気でやってたりします。これも、お金の余裕による恩恵かもしれません。
リモートワークで家族時間を確保しているからこそ、お金の面で安心感を与えられているからこそ、休みの日に出かけても理解を得られているのだろうと思います。
今では、お金の余裕は自由を生んでくれるんだなと実感しています。
周りを幸せにしたくなる
自分自身の生活が満たされ、チームの業績も絶好調。 そんな状態が続くと、人間の意識は不思議な方向へと向かい始めます。
「自分に関わる人を幸せにしたい」と考えるようになってくるんですね。
僕自身が仕事も楽しいし、やりたいことをやっているからかもしれません。
これは、当然家族や友人に対してもそうですが、会社の同僚にも同じ気持ちを持つようになるんですね。
「僕のノウハウを、もっと他の人にも伝えられないか」 「部下たちにも、もっと家族との時間を大切にしてほしい」
自分の保身やチームの数字だけを考えていたかつての僕はいなくなり、純粋に「周りを幸せにしたい」という感情が芽生え始めました。
評価者である僕には部下の人生に関わる一定の責任があるわけで、部下のキャリアステップにも真剣に向き合うようになりました。
5年後どうなっていたいか?会社としてやってほしいこととすり合わせて、面談の場でも一人一人の目標を設定しています。
もっと良い会社にしようと高い理想を描く
視座はさらに上がっていきます。 部長という立場になり、経営層と関わる機会が増えた僕は、自分のチームだけでなく「会社全体の風土を変えたい」と強く思うようになりました。
僕の会社には、まだまだ昔ながらの精神論や、無駄な長時間労働で消耗している部署がたくさんありました。
「もし全社員が、無駄を削ぎ落とし、定時で帰り、自分の人生を豊かにしながら結果を出せるようになったら、この会社はどれほど強くなるだろうか」
僕は、自分のチームで実践してきた「残業削減」「リモートワーク最適化」「成果主義のマネジメント」のノウハウを体系化し、会議で提案するようになりました。
かつては自分の家庭崩壊を防ぐための「のっぴきならない事情」で始めたことが、いつの間にか会社をより良くするための「高い理想」へと変化していたのです。
会社の大プロジェクトに参画する
そして現在。僕は「人事評価システムの刷新プロジェクト」「会社のMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)策定プロジェクト」「顧客管理システムの導入プロジェクト」「全社的な採用基準策定プロジェクト」など、大プロジェクトに参画するようになりました。
これらのうちのいくつかは、僕が起案したものです。「会社をよりよくしよう」という気持ちから動いていると、必要なことが見えてくるし、どんどんやりたいことが生まれてきます。
経営層と関わる機会もものすごく増えました。課長の頃は自分の限界が見えそうだったのですが、今は逆に会社でもいろいろな可能性が見えてきています。
それもこれも、スタートは「残業をやめる」と決心したことから始まっていると今では思っています。
さいごに
毎晩遅くまで会社に残り、家族を犠牲にして、ただ目の前の数字を追いかけていた一人の営業課長。
あのままの働き方を続けていたら、家庭は崩壊し、僕自身も心身を壊して潰れていたでしょう。
「育児家事は全て俺がやる。明日からは定時で帰る!」 あの日、半ばヤケクソで放った宣言が、僕の人生のターニングポイントでした。
残業をやめることは、単に労働時間を減らすことではありません。
自分の人生の主導権を取り戻し、本当に大切なものに目を向け、覚悟を持って結果にコミットすることです。
営業課長が残業をやめた先に見えた世界。
そこにあったのは、自身の成長と自由の獲得、家族の笑顔、自立した強いチーム、そして、会社全体を変えていくという想像もしていなかった大きな未来でした。
僕の実験は、まだ終わっていません。 これからも、この新しい世界を楽しみながら、挑戦を続けていこうと思います。
みなさんも「まずは残業をやめる」と決心し、周りに宣言することから始めてみませんか?
