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海で拾った神様 I

2024年12月1日の朝9時にこれを書いている。
青岸という巨大なゴミ処理場の隣で、数キロ並ぶテトラポッドの先の海を望みながら。
朝6時半からここにいる。
ゴミだらけの海岸でこんなものを書いているのは、感傷などではなく、車の運転が出来ないからだ。
運転席でこの海から来た神様が眠っているから。
今日のうちにどこか遠くに行ってしまう、小さくなったこの海の神様が、気持ちよさそうに目を閉じているので起こせないのである。




2021年10月9日、私はこの海で夜釣りをしていた。
この場所で何度か会い、顔見知りになった数人と一緒に。

この海には街灯も常夜灯もない。
いつもは暗くなる前に帰るが、この日はなんだか楽しくて夜になってしまった。

半年前に病気で獅子頭という猫を身罷った。
「獅子が無事に亡くなるまで殺生をするな」
確か母が言ったのだと思う。

趣味の釣りを再開したところで喪失感が消える訳ではないが、このテトラポッドの逆側の海は石畳が張ってあり、その隙間に針を垂らすと訳のわからない魚が色々と釣れて面白かった。

顔見知りの1人が「太郎」と呼ばれていた。
その人の苗字からくるありがちなあだ名で、毎日この海に来ていて、このあたりの事は何でも知っていた。

太郎にいつもくっついている雌の野良猫は「次郎」と呼ばれていて、小さくて鋭い顔をしていた。
ゴミと石しかないこの過酷な環境で、毎日来る太郎に釣れた魚を貰って生き延びていた。
いつも太郎の車の下に居て、魚が釣れない日は太郎の焼きそば弁当を貰っていて、「もう連れて帰ってやれよ」と何度か言った。

次郎は賢くて警戒心が強い。
次郎ちゃんは誰も触れないんやで、と太郎が言った。
全く強そうに見えない次郎だが、この辺りの猫の中で1番優遇されているように見えた。


後ろでにゃあ、と別の猫が鳴いた。
振り返ってみると何も居ない。
目を凝らしても見えない。
この海には常夜灯も何もない。

「うわお前、生きてたんや」と太郎が言い、
「ターボくんや」と別の釣り人が言った。

真後ろに真っ黒の猫がうずくまっていた。
夜釣りライトで照らされたターボくんの顔は目やにと膿とウジ虫だらけで、額に大きな穴が空いていた。
ぶしゅ、ぶしゅ、と穴から音が出ていて、その度にウジと膿が動いて噴火していた。
「だからターボくんっていうんやで」とまた別の釣り人が言った。
「喧嘩?事故?何をしたら頭にこんな大きな穴が開くん」と聞いた。
「知らんよ。でもターボくん、強いんやで」

俺、こいつの顔怖くてよう見いへんねん。

と1番優しい釣り人が車から餌を取ってきて、ターボくんの顔を見ないように顔を背けながらあげていた。

次郎はじっとその様子を見ていた。


ターボくんは餌を少しだけ食べた後、狂ったように私に甘えてきた。
頭や尻尾をこすりつけて、初対面の野良とは思えない甘えぶりだった。
頭をごつんごつんするので、ぶしゅ、ぶしゅ、と飛び散った血や膿が服についた。
撫でながら、こんなえげつない怪我をしていて、こいつは近いうちに死ぬやろうな、と思った。

一旦帰るわ、と自宅に帰り、何を思ったのか半年前に死んでしまった獅子頭が飲めずに残っていた抗生剤やらおやつやらを持って、また家を出た。

車を走らせている途中「自分は一体何をしてるのか」と思った。
薬をやり、おやつをやり、太郎のように明日も明後日もあの海に行くつもりか。
車に轢かれて死んでいるあの猫を見たとき、どうせきっと、「可哀想な事をした」とか思うのだろう。


私が黒猫に呪われたのは、15年も前になる。


2月の深夜だった。
今はなき難波の歌舞伎座前の道路で、黒猫が車に轢かれて倒れているのを見た。
深夜だったが御堂筋は車の数も多く、しばらく迷ったが、私は自転車で通り過ぎた。

内臓とか出ていたら怖くて触れない、こんなに寒いし、そもそもいつ轢かれたのかも分からない。
きっともう死んでる、とか思いながら。
そうあって欲しい、私が轢いたわけではない、自責の念など持たなくていい、と言い聞かせながら。

日本橋まで進んだものの、やっぱり気になり、引き返して黒猫に触ると、死んでいたがまだ少し温かかった。

道路の端に寄せ、横腹を撫でた。
最初に見たとき、まだ生きていたかもしれないと思った。

最後の瞬間まで、真冬の冷たいアスファルトの上で、動けないのに真横を車がびゅんびゅん走り、さぞかし孤独で怖かっただろうと思った。

強そうな大きな黒猫だった。


あの黒猫の呪いにかかり、急に猫と暮らしたくなり、日本橋で鰻を拾い、門真で獅子を貰い、和歌山で看取りの辛さを知った。


もう一度家に戻った。
「何をそんなに慌てているのだ」と訝しげな鰻に、「忘れ物をしました。これから許し難い事をしますが、堪えて下さい」と伝えて、かつて獅子が使っていたキャリーバッグを取ってまた海に向かった。

ターボくんは警戒心のカケラもなく、私の手からおやつやら薬やらを食べた。


「こいつはいつも、毒針のついたゴンズイとか、釣り人が捨てる変な魚ばかり食べているんやで」と誰かが笑いながら言った。

何だか腹が立ち、
「毒針なんか取ってやれよ」と言うと
「だって一瞬で奪い去るんやもん」
「怒るなよ。こいつ、ゴンズイ好きなんやで」と言い返された。


次郎の顔は可愛いけど、こいつはこんなやろ。
自分たちはターボくんを蹴っ飛ばしたり殴ったりしてないで。
そんな奴も中にはいるんやで。
猫が嫌いな奴にも、こいつは寄っていくから。
毒をわざと食べさせる奴もいるんやで。

誰が言っていたのか、もう覚えていない。


キャリーにもすんなりと入り、
君はそんな事でいいのか、と思うほどあっさり保護できた。

自宅に帰り、あまりにも汚いので風呂に入れると、身体中から色んなゴミが出てきた。
額の穴を触っても薄目でゴロゴロ言っていて、逃げようとしないので、額の穴に湧いた膿とウジ虫は素人の私でもピンセットで除去できた。

内容物が無くなった穴は奥が見えない位に深く、ライトで照らしてみると肉は腐って無くなっていて、頭蓋骨と細い網状の血管が見えた。
中でT字に分かれていて、一方は鼻に、もう一方は脳天に繋がっていて、この状態でよく生きてたなと驚いた。


「何を持っているのだね」と細目で近づいてきた鰻に「誠に申し訳ありません」と黒い塊を見せると、暫くフリーズしたのちに、「なんだ、臭いゴミか」とフンフン匂いを嗅ぎ出した。

ターボくんはゆっくり顔をあげ、鰻に向かって小さな可愛い声で鳴いた。
「こんばんは」と言ったのだと思う。
人間でも分かるほど申し訳なさそうな顔をしていた。

鰻は激怒した。
「妻が居なくなった途端に、なんという勝手な事をするのだ」と、「あと、その猫の顔はなんかおかしいぞ」と物凄い速さで後退りしながらぶにゅにゅ、と吠えた。

何の病気を持っているか分からないのと、鰻も猫エイズキャリアなので、別室で暮らしてもらう事にした。

生まれて初めて人間の部屋で眠るターボくんは、12時間泥のように眠り続けた。


翌日、獣医師のご主人先生はしばらく首を捻り「腫瘍だと思う」と言った。
腫瘍が大きくなり爆ぜたのだと。
「副鼻腔炎かもしれない」と隣で奥さん先生が言った。
炎症が肉を腐らせ額に穴を開けたのだと。
レントゲンで見ると頭骸骨まで一部欠損していた。

野良猫で主要器官にここまで大きな穴を開けて生きている猫を初めて見たと言っていた。
「まだ若い?」と聞くと、猫の歯の色を見て「いや、結構長生きしてるよ。6歳は超えてる」とご主人先生は言った。
「苦労した子だと思う。拾ってあげてくれてありがとう」と何故かお礼を言われ、治療費は普段の3分の1程だった。
野良の子を拾ってくれた初診代は皆半額にしていると言っていたが、半額よりも更に安かった。


カルテを作るのに名前が必要だと言われた。
名前を考えてなかったな、と思い、診察台を見た。
ターボくんは額の穴の消毒と検査の為、顔の毛を剃られて、子連れ狼の大五郎みたいになって鎮静剤で半目になって眠っていた。

身体はあちこち禿げていて、耳も喧嘩で噛みちぎられたのかギザギザ、穴の開いた顔は向こう傷だらけ、爪は指が変形しているのか四方八方を向いていて、身体は角ばっていて、昨日あんなに洗ったのに毛はバサバサだった。

鰻や獅子頭のような、丸くて艶々の可愛い猫の姿とはあまりにも違った。

身体はともかく、見れば見るほど変な顔だと思った。
野良でもこんな顔のやつは見たことがない。

鰻は太っちょだけど大福みたいで可愛いし、半年前に身罷った獅子頭はとても美形な猫だった。

なにもかも可哀想なやつだ。
あんな場所で生まれて、ゴミや毒や変な魚を食べて、こんな大きな穴まで開いて、ガリガリに痩せて。


あまりにも可哀想だから、神様の名前をつけてやろうと思った。
海で拾ったから、海の神様の名前がいいなと思った。

近所の漁港で「金毘羅丸」という船があったのを思い出したので、「こんぴら君で」と伝えて帰った。

検査はエイズだけが陽性、白血病は陰性、腎臓はそこそこの数値で、酷い歯周病だった。
額の穴は肉がなく縫う事も出来ないので、消毒と塗り薬、暫く抗生物質の処方となった。
あと、虫下しや水分補給の点滴、インターフェロンも入れた。

よく鳴いて甘えてきて可愛いが、鳴くたびにとんでもない口臭がした。

口の痛みで首を振りながらご飯を食べていた。
鰻と同じ猫エイズで少しホッとしたが、拾う直前に感染した別の病気があるかもしれない。
2ヶ月間はべつの部屋で隔離して、2ヶ月後に再検査の指示。

黒猫の名前はこんぴら君に決まりました、呼びにくいけど。と母に電話で伝えると、

「海から来て身体が欠けてる神様はえびす様やろ。その猫の名前はえびす君や」 

と言われた。

急に随分と格上の神様になってしまった。
どんぐり頭の大五郎もといターボくん及びこんぴら君は、「えびす君」と呼ぶとにゃーと鳴いた。







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