覚醒の話104 経験こそが宝もの 晩年に悔いを感じないために(726文字)
前回は、ものを成就するためには浮気心を失くして、一心にその目標に向かって努力すべき、という文章を投稿しましたが、今回はそれとは趣を異にします。
何でも、興味のある事柄に対しては、実際にどんどんやってみるべきで、結果は、その経験したあとからわかるもの、という話しです。
次々に目標を変えていくのは、一般的にはあまり好ましくないとされていますが、興味があるものであるなら、やってみたいという気持ちが起きてくるのは自然な感情です。
「あれもやりたい、これもやってみたい」と思うのは、心の中に夢や純粋な思いがあるからで、それを無理に抑えることは、自らを苦しめるような行為にも等しいもの。
実際に興味があるものをやってみて、その体験を以て「これは自分には向いている、あるいはこれは向いていない」という判断もできようというものです。
そうやって未熟ながらも経験を重ね、体験を増やしていく中で、消去法のような感じで、自分の進むべき道が絞られていく、ということもあり得ることです。
よく聞く話しですが、晩年になり死期が近い人が後悔するのは、「若いころ、やってみたいことがあったが、勇気が出ずにやらなかったこと」というもので、そういう悔いを感じる人が多いようです。
ちょっとの勇気と根性を持ったならできたであろうことを、その勇気や根性がなかったため、晩年に至ってからそれを悔やむというのは、とても悲しいことですね。
だから皆さん、何でも、自分が興味を持っていてやってみたいと思うことがあるなら、挑戦をすべきです。年齢もこれまでの経緯もなんら関係がないのです。
どんな事柄でも、経験こそが宝ものなのですから。
死の間際になってから、やらなかったことを悔やむような人生とは、おさらば、おさらば。

