見出し画像

フレキシタリアンになった食生活。

ここ1年半くらい、私の食生活は少し変化した。
こういう話をするのは、きっかけが難しいけど、
私としてはこの変化が、
そんなに悪いものじゃないと思うのでシェアしたい。

クライストチャーチへ引っ越してきてしばらくした去年の6月ころから、私はお肉を買わなくなった。
もともとそんなに肉食ではないけれど、(食べることは大好きでかなりの食いしん坊!)それまでは鶏肉やミンチを料理することはよくあった。
きっかけは、クライストチャーチの街中の大きいスーパーにドーンと並ぶパッケージ化されたお肉コーナーになんとなく買う気がしなくなったことと、
住んでいたゲストハウスの冷蔵庫の締まりが悪かったので、そこにお肉を入れておくのが不安だったから。

クライストチャーチで新鮮な魚を見つけるのはなかなか難しくって、たまに買っていたのは冷凍の海老くらい。
自然と野菜中心の自炊になっていった。

たまに外食する時はバーガーや魚介類も食べていたし、肉を買わなくなっただけで特に何かが変わったわけではなかった。


暮らしていたゲストハウスでヴィーガンやベジタリアンの友達に出会ったのも大きかったと思う。
彼らから何かを話されたとか、説かれたとかそーゆうことはまったくないのだけども、
彼らが丁寧につくる野菜や豆中心の料理は単純に美味しそうで、美味しかった。

そこで、ヴィーガンって今までも聞いたことあるけど何なの?って思って調べたりしたのが、自分の食べるものについて少し考えるようになったきっかけ。

ヴィーガン、ベジタリアン、ペスカタリアン、フレキシタリアン、他にも◯◯ペスカトレアンとか、食べる許容別に色んな名前がついていて、、
名前は人を表すのに便利かもしれないけども、なんかその私たちの生活には馴染みにそうにない言葉のパワーが強過ぎわたしは難しいもののようにに感じてた。

昨年、私はオーガニック農業を営利目的ではなく、自分たちのためにするお家に2件、どちらも2週間づつお世話になった。
ニュージーランドランドに来て、周りからの情報や、見るものに、自然環境と自分の生活との関係について考える機会が増えていて、自分の生活の中で何ができるのか、アイディアや教えがほしいと思って滞在させてもらった。

学校の先生として忙しく働く女性が犬と一緒に暮らしていたお家に滞在した時は、冬の時期ということもありたくさんではないが庭でとれるハーブや野菜を日々の食生活にとりいれていた。
ヘーゼルナッツの身を収穫して、ヘーゼルナッツバターを作ったり。
牛と鶏の世話もさせていただいた。
印象に残っているのは、もう毛が薄くなってきただいぶお年寄りの鶏も穏やかにそこで暮らしていたこと。
20匹ほどはいたであろう鶏たちが産む卵は3日に2つとか3つほどだったけど、オーナーの女性はそんなもんでいいんだよ、と言っていた。

フランスから移住してきたカップルの家では、その地域の温暖な気候もあってか真冬でも庭でたくさんの野菜やフルーツを育てていた。
たくさんダックを飼っていて、敷地内を散歩してダックの卵を夕方に探すのか私の日課だった。
たくさん増えたダックを絞めるお手伝いもさせていただいた。
まだあたたかいダックの体から羽根をむしる時の感覚はいまでも忘れられない。
そのダックは、胃の中に入っていた砂利以外はご主人がすべて捌いて、余すことなく保存食となった。

今、私はいうならばフレキシタリアンだ。
っというのも、パートナーが動物性のものを食べないヴィーガンの食生活をしていて家での自炊は90%プラントベースで、たまに1人での自炊の時に卵をいただく。

オムレツや卵がけご飯をひさしぶりに食べると卵の美味しさに感動する。


外食の時も美味しそうなサンドイッチやバーガーがあれば私はベジタリアンオプション(肉や魚は使ってないけど、卵や牛乳は入っているかも)を選ぶことが多い。
外食の時に魚介類やお肉を食べることもたまにある。
でも確実にその頻度は減ってきているし、
感動できるくらい心から欲した時以外は
菜食で十分と思うようになってきた。

きっと特別な機会に食べる特別な料理だと、また感じるところも違うのだろう。


ニュージーランドでヴィーガンやベジタリアンの人がどのくらいの割合いるのかは知らないけれど、
そういう個人の食の規定や摂食を人に話しにくいという風潮はあまりないと思う。
住んでいる人種が多様なこともあるのかな。
宗教上の理由や文化の違いもあるから、何が正しくて何が間違ってるとか、簡単に言えないよね。

日本の食文化ってみんなで食卓を囲んで同じものを食べる機会がよくある。
居酒屋へ行っても何品か頼んでみんなでシェアしたり、会社の食事会でみんなで同じものを食べたり、家族や友人との鍋パーティーとか。
美味しくって、楽しくって、私の大好きな食文化です。

でも、その中で多少の好き嫌いは許されても、肉も魚も乳製品も食べれません。ってなるとなかなか受け入れずらいところがある。

でも、そこが変わればいいのになって私は思う。


好き嫌いは損だからっていう親の考えのもと、私は小さい頃から何でも食べて育ってきた。うちは父親が魚好きだったから、どちらかというと魚が多い食卓だった。

食べることが大好きな私は、大人になってからは偏食がある人のことをもったいないなぁーって目でみていたし、アレルギーのある人はかわいそうだなぁと思っていた。

ヴィーガンっていう言葉はほとんど聞いたことがなかったけれど、ヴィーガンやりたいけど日本だと難しいよね〜って話を聞いた時も、そーだろうねー、ってくらいでなぜその人がヴィーガンになろうと思ったのかとか、そういうことを聞こうともしなかったし、そのひとの気持ちに寄り添うことなんて、なかった。

友人2人とニュージーランドで2カ月トレッキングのためのロードトリップをした時はおおよそベジタリアン+海の近くの街に行って新鮮な魚介がある時は、ムール貝を酒蒸しにして食べたりしていた。
白ワインで蒸したムール貝のあの美味しさはまだ記憶に残ってる。

トレッキング中はよくソイシート(なんか湯葉みたいな感じ。簡単にお湯で戻して食べれる)をラーメンや味噌汁に入れて食べていて、軽いし腐らないしとても良かった。


ニューイヤーの時に1週間ほど小さなコミュニティーパーティーに参加した。ヴィーガン、ベジタリアンの人が多かったから用意される食事はだいたい肉入りのメインと肉なしのメインが用意されていて、それ以外はヴィーガン、ベジタリアンでも食べれる副菜がいくつかあって、みんな自分の食習慣に合わせて食べたい物を食べれるようになっていた。

人を傷つける意外は全ての意見が尊重される、そんなミックスな場所がわたしはすごく素敵だと思った。

とても長くなってしまったし、
まとまりのない文書なのだけども、
これはただの私の食に対する変化について書いてみました。
文化と同じように、食についても
多様が認められ、
考え方や食べたいものが違うのは当たり前、
そのことがもっとオープンに受け入れられたり、
選択肢が増えていくことが
進めばいいなと思う。


いいなと思ったら応援しよう!