雲の先、見える山並みを見て書ける気がした
帰り道せっかく始めたnote。なにか書きたいけど疲弊してなにも考える気力なくうとうとして一駅寝過ごして通り過ぎる。
最寄駅に着いてワインでも買って帰ろうと思って家とは反対口を降りる。
天気はあいにくの曇り空の向こうに山並みが見えた。
あっこれで書けるって思った。
具体的になにってわけじゃない。
今も書いていてなにが書きたいのわかっていない。
ただその感触だけを頼り書き始めた。
雲の向こうに見える山並みを見てとても視界が開けた気がしたのだ。
その心はなんだろう。
仕事に疲弊し、このままでいいのかとか会社がどうとか。そんな小さなことに振り回されて大切なことを忘れていた。
山並みのことを歌った和歌も具体的には一例も思い浮かばないけど、たしかにあったと記憶していてその広い日本の心の風景。
都会のビルや都市や気候変動で至る所から見えた富士山や遠くの山、地平線を見れる場所は少なくなっている。
よくあるどこにでもあるありきたりな感情かもしれない。
都会に疲れて見えなくなっていたものをふとした自然によって気づきを得るという体験。よく聞く話だ。
私の中でふと思うことは確かに自然とつながっているということ。山並みを見て和歌について思い日本人の心、歌について思う。
書くということと仕事との断絶。
なんてことないことかもしれない。
人はそうして山に登るのかもしれない。
たった一つの小石がその人にとっては大きな意味を持つのかもしれないと三島由紀夫が生前のインタビューで語っていたことを思い出す。
作家を作家たらしめる何か。
具体的になにとはわからない。私は狭くフォーカスしていた視野から抜けてもっと大きな視点からの物の見方を思い出した。
それは昔から続く日本人の心に似ている物なのかなんなのか。
山並みはただそこに存在していた。
ただ遠くから私はそれを見ていた。
この間に私はひどく安心したのだ。
ただ心がそう感じた。
私はただそこに存在していた。
一瞬心が移り変わった時、直感書けると思った。
和歌の世界。歌っていることは仕事の忙しさとは混ざり合わない物だった。ただうちの会社の目指している理念の先には究極その日本の心というはあるのだろうとは思う。
その理念とやらが周りをうろうろしながらも私を含め気付かない人が迷える子羊のようにわかったような顔して働いている。
やめようかやめまいか。
ただ私はそんなことは大事なことではないと気付かせてくれた。
そんなことよりも生活に常に和歌の歌う心があるように。
そんな営みの中にいつも生きていけたら思う。
夕日が畑をオレンジ色に染めながら、ススキを風が揺らす横を我が家のわんこと歩いた日々のこと。とても体がきつくてしんどかった時期でなんでこんななにきついんだと思ってた日々だったが今振り返ると私はとても幸せだったと思う。
健気に一生懸命に歩くわんこたちに心が胸を温める。
風が通り抜ける。
田畑はこれから眠りにつくのだろう。
家の明かりがつき夕食やお風呂の時間が始まる。
それでいいのだ。それで。
なによりも美しい時間を私は生きていた。
たとえ世間からはそうは思えなくても。
これからも私を肯定してくれるわんこ。家族。ただそこにある山並みと共に生きていこうと思う。
いいなと思ったら応援しよう!
最後まで読んでいただきありがとうございます。チップをくださりとても励みになります。
心よりお礼申し上げます。
ありがとうございます。