「Solaria 3rd Stage 第四話|重なる声、まだ見えない自分」
朝の校舎は、まだ静かだった。
窓の外では柔らかな朝日が新緑を照らし、校庭には早朝の風がゆっくりと吹き抜けていく。
その静けさの中で、ダンス練習室だけが小さなリズムを刻んでいた。
木目のフローリングを踏みしめる靴音。
鏡に映る一人の少女。
水瀬あゆみは、誰よりも早く部室へ来ていた。
右へ。
左へ。
ターン。
昨日と同じ振り付けを、何度も何度も繰り返す。
鏡の中の自分を見つめながら、小さく息を整えた。
(昨日より……)
(少しでも前へ。)
その想いだけを胸に、足を動かし続ける。
しかし、一歩踏み出した瞬間、動きがわずかに乱れた。
「あ……」
自然と足が止まる。
その静かな空気を破るように、後ろから穏やかな声が聞こえた。
「そこ、少し早い。」
振り返ると、姉のしおりが静かに立っていた。

いつもの落ち着いた表情。
厳しいというより、細かな変化を見逃さない瞳だった。
「……はい!」
あゆみはすぐに姿勢を正し、もう一度音楽を頭の中で鳴らす。
今度は、ほんの少しだけタイミングを遅らせてみる。
右。
左。
ターン。
動きが止まる。
しおりは小さく頷いた。
「……うん。」
その一言だけで、胸の鼓動が少し落ち着く。
「良くなってる。」
その短い言葉が、あゆみには何より嬉しかった。
思わず頬が緩む。
けれど、しおりは続ける。
「でも。」
一拍置いてから、鏡越しにあゆみを見る。
「まだ"合わせにいってる"動きね。」
笑顔は消え、あゆみは小さく頷いた。
「……はい。」
その意味は、まだ完全には分からない。
ただ、自分に足りない何かがあることだけは伝わってきた。
その時、練習室の扉が勢いよく開く。

「おっ、朝から頑張ってんじゃん!」
元気いっぱいの声。
天野ひなただった。
続いて橘あかり、小鳥遊さくら、白石ゆいが笑顔で入ってくる。
「もう特訓モード?」
「おはよう、あゆみちゃん。」
「いい空気だね。」
部屋の静けさが一気に温かく変わる。
「おはようございます!」
自然と大きな声が出た。
ひなたが手を叩く。
「よし、軽く一本通すぞ!」
音楽が流れ始めた。
六人の身体が同時に動き出す。
昨日まで必死に追いかけていたフォーメーション。
今日は少しだけ景色が違う。
(大丈夫。)
(昨日よりできてる。)
そう自分に言い聞かせながら、一歩ずつ動いていく。
移動。
ターン。
立ち位置。
ほんの一瞬だけ位置がずれる。
「あっ……!」
そう思った瞬間には、すぐに修正できていた。
鏡越しに、それを見ていたしおりが心の中で小さく頷く。
(……修正できてる。)
曲が止まる。
静寂。
「……いいじゃん。」
ひなたが満面の笑みを浮かべた。
「昨日よりずっといいよ。」
「うん。」
さくらも嬉しそうに笑う。
その言葉を聞いた瞬間、あゆみの胸の奥に、小さな光が灯った。
(できてる。)
(私……ちゃんと前に進めてる。)
まだ小さいけれど、確かな手応えだった。

昼休み。
高校棟のカフェテラスは、生徒たちの笑い声であふれていた。
いつものテーブルに六人が集まり、それぞれ昼食を広げる。
「いただきまーす!」
ひなたはトレーに乗ったプリンを見つめながら満面の笑みを浮かべた。
「今日のプリン、絶対おいしいやつ!」
「またプリン……。」
あかりが呆れたように笑う。
その時だった。
「す、すみません!」
振り向くと、制服姿の後輩たちが数人、緊張した表情で立っていた。
「Solariaの皆さんですよね?」
「東京大会、見ました!」
「あのステージ、本当に感動しました!」
次々と飛んでくる言葉。
「歌詞って誰が考えてるんですか?」
「どうやって思いつくんですか?」
ゆいは柔らかな笑顔で答える。
「その時感じたことを大事にしてるかな。」
しおりも静かに続けた。
「テーマを決めて構成から考えることも多いわね。」
「勢いで書く時もあるけどね!」
あかりが笑う。
「すごい……。」
後輩たちの目は、まるで憧れそのものだった。
すると、一人がひなたへ尋ねる。
「ひなた先輩は、何が一番好きですか?」
ひなたは迷うことなく答えた。

「プリン!」
一瞬。
時間が止まる。
「……え?」
沈黙。
「いや、流れ!」
あかりが思わずツッコミを入れる。
「質問の意味違うからね?」
ゆいも笑う。
さくらは吹き出し、後輩たちも一斉に笑い出した。
緊張していた空気は、一瞬で優しい笑顔に包まれる。
その様子を少し離れた場所から見つめるあゆみ。
(すごい……。)
(こんなふうに見られてるんだ。)
東京大会。
あの日のステージ。
もう、自分たちは"憧れられる存在"になっている。
(私も……この中にいる。)
胸の奥が少しだけ熱くなった。
午後。
さくらに誘われ、二人は大学棟のカフェへ向かった。
高校棟より少し落ち着いた空気。
そこでも、周囲の学生たちがこちらを見てざわめき始める。
「あれ……Solariaじゃない?」
「東京大会の。」
あゆみは戸惑う。
高校だけではない。
大学でも知られている。

そこへ私服姿のしおりとゆいが現れた。
「やっぱり来てたんだ。」
「えっ?」
周囲の学生たちが驚く。
「二人……大学生だったの!?」
ゆいが笑う。
「そうなんです。」
「部の所属は今でも高等部なんですけどね。」
「ちょっとややこしいけど。」
また周囲が感心する声で包まれる。
あゆみはその光景を静かに見つめていた。
同じSolaria。
同じステージに立つ仲間。
それなのに、二人はどこかずっと大人に見えた。
経験。
実力。
存在感。
すべてが、自分よりずっと先を歩いているように思えた。
(追いつきたい。)
その想いだけが、胸の中で静かに強くなっていく。
放課後。
再びダンス練習室。
朝とは違い、夕日が鏡いっぱいに差し込んでいた。
六人は最後の通し練習を終える。
「……今の。」
しおりが口を開く。
「揃ってた。」
「はい!」
あゆみは嬉しそうに顔を上げる。
しかし、その表情は次の言葉で止まった。
「でも。」
しおりは真っすぐ見つめる。
「私の動き、そのまま真似してるでしょ。」
「……え。」
部屋の空気が静かに変わる。
「悪くはないわ。」
「でも、それだと。」
しおりは優しく、それでいて迷いなく言った。
「あなたの動きにならない。」
言葉が出なかった。
ちゃんと踊れている。
褒められた。
揃っている。
なのに、それでは足りない。
(私の……動き。)
その言葉だけが何度も頭の中を巡る。
夕焼けに染まる帰り道。
あゆみは一人、ゆっくり歩いていた。
できるようになってきた。
昨日より前に進めた。
それでも、まだ足りない。
そんな思いを抱えたまま空を見上げる。
その時だった。

「おーい!」
振り返ると、朝に見かけた男子生徒たちがこちらへ手を振っている。
「今日もよかったよ!」
「応援してるからな!」
思わず笑みがこぼれる。
あゆみも小さく手を振り返した。
男子たちは満足そうに笑い、そのまま走り去っていく。
静けさが戻る。
夕焼けの風が、制服の裾をそっと揺らした。
(応援されてる。)
その事実は嬉しかった。
だけど、その嬉しさとは別に、胸の奥には答えのない問いが残り続けていた。

(私……。)
(どうすれば、自分だけの踊りになるんだろう。)
吹き抜ける夕風は優しく頬をなで、その答えをまだ誰も知らないまま、一日の終わりだけが静かに近づいていた。
第四話 重なる声、まだ見えない自分 (終)
▶ Solaria 3rd Stage 第五話|
― 海と、6人の距離(前編) ― へ続く
