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社会主義時代の街並み|父が恋しくてホームシックと闘った夜【ブルガリア4日間🇧🇬⑩】

友人に会うため訪れたブルガリア旅行最終日の夜。

私には、首都ソフィア市内で夕食を済ませた後ソフィア空港へ向かい、一晩空港泊して早朝便を乗り継ぎ留学先のフランスまで帰るというミッションが残っていた。

しかし様々な要因が重なった結果、精神的にも体力的にもかなり限界が近づいていた。もう泣いてしまいたいくらいの気持ちだった。


その要因は主に3つ。


1つ目は、体調不良である。

実は、この旅行の4日前に胃腸炎にかかっていた。高熱や吐き気に苦しんだ後、出発日になっても全快せず、傷ついた胃腸と不安な気持ちを抱えてこの旅行に臨んでいたのだった。

車移動が7時間にもなるツアーに参加した2日目は、いつ胃腸が爆発するかと気が気でなかった。


2つ目は、ソフィアの街並みである。

ソフィアという街には、社会主義時代の巨大建築や維持管理のされていない建物が作り出す独特の空気感があった。

街を歩いているだけで、これまでのブルガリアの政治的・経済的な苦労を窺い知ることができた。

加えて、私は夜が苦手だった。

夜のソフィアを歩いているとどんどん心細く不安になってきて、恐ろしいとさえ感じるのだった。

ソフィア市内の街並み
ブルガリア共和国閣僚評議会(奥)、国民議会(右)


3つ目は、友人がお父さんと一緒に来ていたことである。

元々この旅行は、私のフランス留学中に友人が日本からお父さんと一緒にブルガリアに来るというので、せっかくなら友人に会ってついでに観光もしよう!と思い立って計画したものだった。

旅行の1日目と2日目夜は、友人とお父さんと過ごした。友人のことは大好きだし、お父さんもすごく良くしてくれて、本当に楽しかった。

友人がお父さんと楽しそうに過ごしている様子を見て、自分の父親を思い出した。仲良く観光する2人が羨ましかった。


旅行中毎晩心細さと闘っていた私は、異国の緊張感や旅の疲れも相まって、あまり一人になりたくなかったが、互いの都合上、3日目以降はやむなく一人で観光することになった。まあ、元々その予定だったのだが。

父とはかなり仲が良い方なので、父が恋しくて仕方がなかった。

肌寒い夜のソフィアを歩いていて、やっぱり泣きたかった。


日本が恋しすぎて、はるばるブルガリアまで旅行に来ていながらラーメン屋に入った。

メニュー表
遠い異国の地で出会う日本語は例外なくうれしい

一番気合いが入ってそうだったので、RAMEN OF THE CHEF(シェフの特製ラーメン)を注文した。

RAMEN OF THE CHEF

日本のラーメンではなかったが、美味しかった。生のもやしが入っているところになんだか東南アジアを感じる。


ラーメン屋に続いて、せっかく旅行に来たからどんな体験でもしておきたいと思ったのか、単純に甘いものが食べたかったのか、寂しさを紛らわせるためだったのか、はたまた空港泊の前にソフィア市内で時間を潰しておきたかったのか、なんとなしにイタリアンのカフェに入り、ヘーゼルナッツのパフェを注文した。

見てわかるとおりの巨大パフェ。食べ切るのに一苦労だった。食べ切れなかったかもしれない。

余談だが、ヨーロッパにはイタリア人が経営していないイタリアンレストランが多い。中国人経営の日本レストランみたいなものである。


カフェをあとにして、憂鬱な気分で空港へ向かう。時刻は既に21時。

地下鉄4番線に乗ってソフィア空港へ。

地下鉄車内
路線図を見るとまだ4本しか地下鉄が通っていないことがわかる


地下鉄に乗ること30分強、予定通り無事にソフィア空港に到着した。

次回、空港泊を乗り越えてついにフランスに帰国。

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