年間読書人さんからの反論(1)
No.1//わたしの批判に対する、年間読書人さんの反論(第1回目)
年間読書人さんから、わたしの批判に対する、年間読書人さんの反論(第1回目)を本アカウントの記事「〈第4号〉年間読書人さんの記事「千葉雅也 『センスの哲学』:「見る前に跳べ」と言われても…。」(2024年4月10日)に対するわたしの批判(本論):///[セクション:後半の]への批判」のコメント欄にて受け取りました。それをコピー・アンド・ペーストして記事として掲載致します。
尚、後日、年間読書人さんの反論のコメントと、反論に対するわたしの応答を記事にして、本アカウントに、わたしの記事として、「〈第5号〉:年間読書人さんの記事「千葉雅也 『センスの哲学』:「見る前に跳べ」と言われても…。」の〈わたしの批判に対する年間読書人さんの反論(第1回目)〉への応答」を投稿する予定です。
※2025年1月の中旬頃、投稿の予定です。
(注:本記事は、年間読書人さんとわたしの合意に基づいて、作成されたものです。)
年間読書人
2024年12月27日 13:03
> スロウ・ボートさま
まず最初に、貴兄からいただいたご批判の「形式的な問題点」について指摘します。
これは、貴兄のご批判の「本質」に関わる問題だと考えます。
それは、貴兄が、私の原論文について、逐一的に「要約」した上で、その末尾に「と私(年間読書人)は思う。」とつけ足したものを、読者向けに示している点であり、この部分だけでも、私の原文に倍する文章量になっているでしょう。
しかし、私が「個人的な解釈を、事実であるかのように、断言的に語っている」と、批判的に強調するためになされた、この手法は、結局のところ、読者に対する、印象操作の「刷り込み」にしかなっていないと思います。
というのも「と私(年間読書人)は思う。」というのは、当たり前な話だからです。
「第4回」後半では、貴兄は「こうして年間読書人は、事実ではないことを書いているから、その主張は間違っている。」というふうに「断言」されていますが、それ自体、結局は、
「と私(スロウ・ボート)は思う。」
ということにすぎないのではないでしょうか?
「事実の摘示」と言っても、そこには必ず解釈や理解があってのことで、「事実そのもの」は存在しないし、指摘もできない。
にも、かかわらず、私だけが「出来ないことをやっている」とするのは、貴兄ご自身の、自覚不足の錯誤なのではないでしょうか。
したがって以降は、貴兄のご文章については、文末に、必ず「と私は思う(思った、そう理解した、解釈した)」等と書いていただきたいと要望いたします。
それだけで、貴兄のご批判文は、その説得力を大きく減ずることになると思うからです。
No.2//年間読書人さんの記事「千葉雅也 『センスの哲学』:「見る前に跳べ」と言われても…。」
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