変化せざるおえないメディアの宿命と人間の内面で発露する傲慢さとの兼ね合い
※この記事は、生成AIツールを一切使用していません。筆者の脳内記憶と一部のYouTube動画ソースの引用により、人間が思考し文章を創作し執筆したオリジナル記事コンテンツです。(執筆校正時間:180分/3686文字)
ポッドキャストなど音声配信メディアが増えている本当の理由と巨大メディアにおける倫理観欠如の実相/人間の欲望とテクノロジーがメディアの存在意義を再定義させようとしている社会の到来
■音声配信メディアがなぜ増えているのか?
結論を言ってしまえば「人間臭さ」を感じることのできるメディアだからです。視覚情報がない分、人の心に直接訴えかける音声メディアやポッドキャストを多くの人が利用しています。海外では富裕層ほどポッドキャストに時間を費やしているというデータもあります。

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■動画メディア短縮化の背景と視聴者行動の変化
動画メディアがどんどん短縮化していく傾向の背景には、動画視聴の時間をこれ以上使うことができない、という視聴者の無意識の行動が、ショート動画の普及が促進されていった 背景にあります。
視覚情報全盛の時代、まさに「YouTube時代」は映像・動画鑑賞という選択肢が急激に増えたため、多くの人々が地上波テレビからYouTube・Netflixなどのストリーミングサービスに時間をシフトしています。テレビ離れが進んだとしても、「視覚による情報収集」離れは起こっていません。
しかし、ショート動画の普及の背景には、この「YouTube時代」における動画鑑賞時間の短縮という視聴者自身のタイパ意識が招いているともいえます。
■視覚メディアと音声メディアの決定的な違い
動画や映像を観るという行動は、視覚を使わざるおえないため、時間拘束が発生します。最近の音声配信プラットフォームの広がりは、視覚を使わなくても、ほかのことをしながらの「ながら視聴」ができるという大きなメリットに人々が気づきはじめたことと、もうひとつ「音声メディア」のもつ人間的な温かみに気づく人たちが増えてきたという分析もあります。
ビジネスマンも含め、多くの人が多忙なこの時代において、人々は効率を求め、動画視聴を短時間ですませたいという欲求が、ショート動画というメディアの広がりの根底にあります。
■ショート動画の一時的ブームの背景とノイズの増幅
しかし、昨今のショート動画におけるノイズ的コンテンツが人間本来の生存欲求とはかなり異なるものであることにも、気づく視聴者が増えてきました。わたし自身、ショート動画は今後もある一定の層には支持されつづけ、広告媒体としての訴求価値が理解されつつも、今後はより本格的なコンテンツを求めようとする動きにシフトしていく気配を感じています。それが長時間視聴される音声配信であり、長尺の動画コンテンツであると予想しています。
TikTokショートを最初の3秒で観るかどうか判断するという行動は、タイパ意識という効率最優先主義の若年層世代において多く見られる傾向であり、そもそもTikTokで情報を入手しようとする世代は圧倒的に10代から20代が中心であるという背景もあります。
30代以上の人々は、わざわざTikTokで情報を入手しなくても、他のメディアを使いこなすことができるため、ニュースなどをTikTokで入手しようとはしません。
10代から20代のTikTokユーザは、情報を入手するための選択肢が少ないため、日頃よく使っているTikTokですべての情報を得ようとします。その結果、入手された情報には偏りが生じ、その行動自体にも影響を与えます。
■ネットリテラシーの欠如が生み出す社会の歪み
インターネットが商用利用されはじめたのは、1995年あたりからだと思いますが、その後、学校教育の中でもインターネットに関する授業はある程度おこなわれていると推測されます。しかし実際問題として、教育を行なう現場の教師自身がそもそもネットリテラシーなどの基本的知識の欠如から、多くの生徒に正しいインターネット活用の方法はほぼ伝わっていません。
そうした背景がネット上で引き起こされている多くの事件や事故につながっているであろうと推測されます。ネットリテラシーはそもそも、大人自体も理解できていないヒトが多く存在しているため、当然、その子供たちにも伝達されることはありません。
社会に興味をもつ子どもたちは、世界を知るため、インターネットをのぞき込もうとします。これは新しいことを知りたいという人間としての当然の欲求であり、インターネットの実像を大人が隠すことは不可能です。
街のいたるところにインターネットにアクセスできる場所が存在する限り、子供にみせたくないコンテンツを大人が隠そうとする行動はもはや無意味ともいえます。さらにデジタルネイティブな子供たちは勝手にどんどんインターネットの底の底まで探しあてようとします。小学生でもハッキングできるような時代というのは、Googleという検索システムがもたらした功罪でもあります。
なぜ子供にみせたくないのか、なぜ見せてはいけないのか、その理由を考えたとき、我々大人がやってきた過去の行動を振り返ってみてください。不適切なコンテンツとは、はたしてどんなものなのか?
この質問に対して、明確に回答ができる人って、果たしているのかなと思います。
人が死ぬような残酷なシーンは、多くの映画やドラマで毎日放送されており誰でも見ることができます。ところが実際にリアルに人が死ぬシーンはニュースでは報道できません。多分、ここに不適切なコンテンツと適切なコンテンツの境界線があるような気がします。
映画やドラマはあくまでフェイクなコンテンツであり、現実世界において殺人事件はほぼ毎日のように世界中で起きてますし、それをニュースメディアは多くの時間を使って放送します。
なぜかというと、こうした人間の残虐性が現実化したニュースコンテンツが多くの人の心を惹きつけ視聴率が稼げるからです。これは広告収入というビジネスモデルをもつ巨大メディアの宿命であり、すべては組織を安定的に維持するための企業判断でもあります。
わたし個人としては、人が人を殺したり、人が犯罪を犯したりすることをわざわざ時間をさいてニュースにする必要があるのかな?という疑問を昔からもっていました。その理由がようやく最近理解できましたが、逆に報道メディア自体の倫理的判断というものが欠如していたということも浮き彫りになってきたようにも思えます。
■巨大メディアにおける倫理観の欠如と傲慢さとの関係性
フジテレビをはじめとして、一連の巨大メディア対応、ジャニーズ問題や吉本芸人のオンラインカジノ問題など、巨大メディアに関わる人々の倫理観は他の業界の人に比べて著しく欠如したことが露呈しています。
これは大企業からの莫大な広告収入という安定財源をベースにしたビジネスモデルにおいて、そこで働く人々の自分たちの収入が他の業界よりも多いというメディア全体にはびこっていた傲慢さが露呈したともいえます。
何かをなしとげ、ある程度、知名度があがり有名になれば、多くの仕事のアファーがくるようになります。その結果として、多くの収入というメリットを享受した人々の次の段階は「おごり」という形で人間の内面に存在する「傲慢さ」というダークサイドを表面化させます。
有名人のスキャンダルの多くはこの「傲慢さ」という心の闇が引き起こしているものだと推測できます。
この問題は何も有名人ばかりの話ではありません。
インターネットメディア、ソーシャルメディアの拡大から生まれた新しい職種においても同様の事件は発生しています。
ふわちゃんの不適切発言問題やインフルエンサーが引き起こす小さな事件もほぼこの人間の心の闇の部分である「傲慢さ」が根底に存在しているよう筆者は感じています。実際、わたし自身がこの「傲慢さ」という悪魔のような存在に感染した結果、多くのものを失うという当然の末路を経験しているからです。
■成功体験による人間の自信が生み出すダークサイドな一面
さまざまなプロセスにおいて「成功体験」というものは、人間に大きな「自信」を与えます。その「自信」というエンジンを回転させることによって、多くの人々は成長し、進化します。しかし、同時に発露す心のダークサイドにおける「傲慢さ」の存在にも気がつかなければなりません。
「成功体験」がもたらす「自信」というものは、とてつもなく強力なエネルギーとなり、その人の成長を促進します。しかしそのプロセスにおいて「傲慢さ」という悪魔をいかに最小限に抑えるかということが、単なる成長だけではない「人間の進化」を促し、本当の意味での「人間の深化」が次の段階へのステップにつながっていくことは、多くの偉人たちが経験し言葉として残されています。(2025.05.03 オサキヒデアキ)(転載自由)
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