映画エイリアンシリーズ全部観た
締め切り少し前にかぎって、かえって別のことが面白くなったり、捗ったりするというのは、コツコツ積み重ねることを知らず徹夜パワーばかりを頼っている僕のような人間によくあることだと思います。昨日と今日はまさにそんな日で、明後日提出のエッセイを投げ出し、映画エイリアンシリーズ全7作品を一気観してしまいました。
僕は読んだ本でも観た映画でも、内容はほとんど覚えていません。かといって、マメさも皆無のため、読書ノートや鑑賞ノートも一切つけていません。しかし、すべてが無のように流れて行っているわけではないような気もします。僕はジャンルを問わず批評というのがかなり好きなのですが、批評には、批評家の一次的生産物という側面と、作品・作家の二次的生産物という側面の両方があると思います。そのため批評を読むと、(当たり前ですが)さまざまな引用を目にすることになります。そんなときに、タイトルだけ言われてもほとんど何も思い出せなかった作品についての記憶や印象が、じつは脳の奥底できちんと保管されていたかのように突然蘇ってくることがあるのです。
まあしかし、それにしたっていろいろ忘れすぎている気もするので、今回は、エイリアンシリーズ(ドラマおよびプレデター関連は除く)全7作品の初鑑賞の印象をメモしておこうという試みです。もうすでに、それぞれの記憶がバラバラになって混ざりはじめているので、いつにも増してざーっと書きます。
1. 『エイリアン』(1979) 監督:リドリー・スコット

現段階で、7作品のなかで最も好み。というか、今まで観た全映画のなかでも相当上位に入る気がする。このソリッド感!この緊張感!このエログロ感!すべてが天才的だと感じる。僕は「ソリッド」を単なるミニマルと履き違えているような作品は苦手(というか、眠くなってしまう)だが、この『エイリアン』はSF作品を観る以上、どうしても期待してしまう演出や展開の興奮を期待を上回るレベルで与えつつ、同時に驚くほど洗練されている。
まず登場人物の人数とキャラクターの描写がシリーズ屈指である。僕は外国人の顔と名前を覚えるのがとても不得意なので、あんまり大人数出てくると困ってしまう。とくに誰に感情移入することもなく、全体としてぼんやりした印象の映画で終わってしまう(映画をもっとたくさん観て、俳優の名前をしっかり覚えれば、もう少し改善されるでしょうが)。
しかし、この『エイリアン』は人数を適切に絞ったうえで、それぞれの人物像をしっかり描いてくれている。というか、これ以降のシリーズでは、エイリアン関連のさまざまなギミックや世界像が広がっていったため、相対的に人物描写が減っているのかもしれない。この第一作目ではエイリアンは基本的に「現れない」が故に恐怖なのである(このあたりのホラー描写は最高)。だからこの映画は徹頭徹尾「人間」の話なのだ。それがすごく好みだった。
おそらく、主要メンバーを全員記憶しているのは、前8作品のなかで、この第一作と最新作ロムルスの二つだけだ。

ちなみに僕のリドリー・スコット歴はとても浅い。僕が鑑賞した順に、『ハンニバル』(2001)、『悪の法則』(2013)、『ブレードランナー』(1982)、『テルマ&ルイーズ』(1991)、『最後の決闘裁判』(2021)、あと『オデッセイ』(2015) を観たよな観てないような…このくらいである。彼の膨大なフィルモグラフィーのほんの一部でしかない。
よく女性描写について言及されることが多いように感じるリドスコだが、今回の『エイリアン』も、一度そういう目で見始めるとそうとしか見れなくなってしまうところがあった。実際この映画のWikipediaに、「エイリアンフェミニズム」という項目があるくらいだし。
一番好きな登場人物はブレット(ハリー・ディーン・スタントン)、一番印象に残っているシーンはアッシュ(イアン・ホルム)の暴走および撃退。
2. 『エイリアン2』(1986) 監督:ジェームズ・キャメロン

食わず嫌いは良くないと決心して先日アバター1, 2を鑑賞し、晴れて正式にあまり好きではないことがわかったジェームズ・キャメロンだったが、この『エイリアン2』は面白かった。1の世界観自体はそれなりに引き継ぎながらも戦闘映画へと大きく舵を切った本作は、1のファンのなかでも好き嫌いが分かれそうだし、実際僕も1の方が良かったな~など考えたが、まあ同じことを繰り返しても仕方がないわけだし、キャメロンはアクション得意みたいだし、これはこれで楽しくていっかと思い直した。
Game Over, Man! Game Over! は小学生のとき好きだったYouTuberがよくミームとして使っていたセリフで、僕は以来元ネタを知らなかったから、まさかの十年越しの答え合わせだった。
目の前の人は見殺しにして、会社の利益や今後の開発を優先するカーター・バーク(ポール・ライザー)には観ていて相当腹が立ったが、メタに考えれば彼がこの映画を成り立たせているところが大いにあるのだろう。素晴らしいキャラクターだ。
あと、リプリーの奮闘ぶりには今回も感服するわけだが、一応あんなに助けてくれたんだから、ビショップに最後ひと言くらい「最初あんなひどい対応して悪かったわね」くらい言ったらどうだと思った。
一番好きな登場人物はビショップ(ランス・ヘンリクセン)、一番印象に残っているシーンはやはりママエイリアンとリプリーの母親対決だろうか。
3. 『エイリアン3』(1992) 監督:デヴィッド・フィンチャー

今となっては大監督のフィンチャーがかわいそうな目にあっていたことで有名な『エイリアン3』だが、僕はそれなりに楽しめた。おそらく、今後シリーズ7作品の記憶がいろいろと混ざってくるはずだが、この3だけは他とはごっちゃにならない気がする。まあリプリーもろとも登場人物全員坊主で、宇宙船やメカメカした建物ではなく、(地球ではないにせよ)わりに地に足ついた建物が舞台なのは後にも先にもこれだけだし。
1よりも2よりも、面白くはないのだが、他シリーズにはない独特の空気感があった。妙な緊張感と微笑ましさの同居する、リプリーとクレメンス(チャールズ・ダンス)のやり取り、レオナルド・ディロン(チャールズ・S・ダットン)の精いっぱいのいい人感、偏差値85と馬鹿にされながらも最後にはリプリーサイドとして組織側に抵抗を試みたフランシス・アーロン(ラルフ・ブラウン)などなど、よかったなあと思い出すところがたくさんある。
犬に寄生した四足のエイリアンというのも面白いし、天井を這うエイリアン側の視点で人間を追いかけていくという映像も他シリーズにはなく印象に残っている。まあまともな武器装備無しでよくあそこまで戦えたと思いました。
あ、もう好きなキャラもシーンもすでに書きましたね。そういえばフィンチャーで個人的に一番好きなのは『ゾディアック』です。
4. 『エイリアン4』(1998) 監督:ジャン=ピエール・ジュネ

リプリーも死んだし結構きれいに前3作品で終わったから、どうやって続けるのだろうかと思っていたら、まさかのクローンリプリー。1がホラー、2がアクション、3が謎脱出映画だとしたら、4はバラエティー枠なのかもしれない。なんだかとにかくいろんな御馳走を食べさせてもらった感がある。いろいろ食べたから一個一個はそこまでちゃんと覚えていないのだが、それはそうと面白かった。
とくに印象に残っているのは、人間の目の前にエイリアン卵を置いてふ化させるシーンや、敬礼しながら自分の脳みそを眺めて死んでいく軍曹のシーン、クローンリプリーが自らの失敗作を発見して放火するシーン、ニューボーンが驚異の吸引力によって散り散りになっていくシーンなどである。こうやって並べてみてもわかるように、なんというか、悪趣味というべきか容赦がないというべきか、観る人によっては目を覆いたくなるような描写を遠慮せずガンガンやっていく感じがあった。
シリーズ唯一の女性アンドロイドだし可愛かったし、一番好きな登場人物はアナリー・コール(ウィノナ・ライダー)にしておきます。
5. 『プロメテウス』(2012) 監督:リドリー・スコット

帰ってきたリドリー・スコット。時系列的にエイリアン1以前を語る。この『プロメテウス』と次作『エイリアン:コヴェナント』はセットになっている(本当は三部作、四部作になる予定だった?)のだが、こうやって全部並べてみると個人的にはあまり好きではないのかもしれない、この二作…
面白いし、うおーってなるところもいっぱいあったけど、4でいろいろとショッキングなものを見せられて麻痺してしまったのか、強く印象に残っているシーンが少ない。というか次作コヴェナントとすでにごっちゃになっている。登場人物が多すぎるのも僕にはよくなかったのかもしれない。
デイヴィッド(マイケル・ファスベンダー)というキャラクターの発明は素晴らしいし、エンジニアの要塞のプラネタリウム的なシーン、エリザベス・ショウ(ノミオ・ラパス)の気合の帝王切開シーン、エンジニアとタコもどきの異種格闘シーン等々、こうやって考えたらあるにはあるんだけどなー。まあ毛色が違ったとはいえなんだかんだで4まで引きずってきたものたちから自由になって、新しいエイリアンシリーズを打ち立ててる感じがあるのかな。そして僕は前の方がよかったとなってしまったということかな。
6. 『エイリアン:コヴェナント』(2017) 監督:リドリー・スコット

まあこれは完全にデイヴィッド回ですよね。おそらくシリーズ初めてまともな緑(木々)が出てきたし、前半もそれなりに楽しんでたとは思うんだけど、やはり後半デイヴィッドが激ヤバアンドロイドだったことが明らかになってからが面白い。
エンジニアたちの街に黒い毒物質を降り注ぐデイヴィッド、あれほど一緒に頑張っていたはずのエリザベス・ショウを実験台にしてエイリアンを創造していたデイヴィッド、片手切り落としてまでウォルターになりすましてダニエルズ(キャサリン・ウォーターストーン)を生き埋めにした挙句、船を乗っ取るデイヴィッド、そういえばネタバレ全開だが、とにかくデイヴィッドのヤバさを楽しむ映画であることには間違いないだろう。
このリドスコが復帰した二作は、エイリアンの映画というより、人間という生物の創造主エンジニア、アンドロイドという無生物の創造主人間、人間は創造主を永遠に探究する、アンドロイドは目の前に創造主がいる、こういう二層の創造がテーマとして描かれている映画である。そして、創造を描くということは同時に「母」を描くことを伴うのであって、そのあたりがリドスコ個人のフェティッシュというか、関心ポイントなのかもしれない。
それにしても、やはりこの時代、AIと人間については何かしら自分なりの立場を持っておいた方が良い気がするから近々考えてみようと思う。取り急ぎ、そのテーマにおけるエイリアンシリーズのキーワード、そして僕自身も重要に思うのは、「信じる」ということだろう。僕たち人間の「不完全な過剰さ」には、信じるという行為がどうしようもなく必要なのかもしれない。
7. 『エイリアン:ロムルス』(2024) 監督:フェデ・アルバレス

前2作でかなりいろいろやってたけど、そういえばエイリアンって密室劇だったな、と思い出させてくれた最新作(時系列では1の後)。過去作へのオマージュ/引用が多く含まれていることからも手堅くいった感はある。うーーん、もしかするとこれといって書くことがないのかもしれない。面白かったんだけどね。
フェイスハガーから逃げ惑う感じは、小学校で幾度となく観た(担任のDVDコレクションから選んで放課後に鑑賞会が行われることがしばしばあった。今思うとあのときの応援上映会的な雰囲気は楽しかったな~。)B級映画『スパイダー・パニック』を思い出した。あとこのエイリアンシリーズ、宇宙の話なのに一度も無重力の描写がなかったところを、今回はしっかりと、終盤では重要な役割を担うギミックとして登場させていたのもよかった。
登場人物も少なくて、お話としてまとまっているのだが、1のようなソリッドさにはやっぱり及ばないし、4みたいな変なのいろいろやりますというわけでもないし、何だろう、アルバムでいえばB面3曲目くらいの、まあ悪くないし全然好きだけど、他にもっとすごい曲あるよねってなる感じかな。
・個人的番付
一応決めておこうと思います。暫定です。
『エイリアン』 あまりにも圧倒的。
『エイリアン2』 なんだかんだ良い。
『エイリアン4』 いろいろ見せてくれたけど個人的にはちょいキツいシーンも多い。
『プロメテウス』+『エイリアン:コヴェナント』 ショウ博士の帝王切開とデイヴィッドの力。ここはセットで。
『エイリアン3』『エイリアン:ロムルス』 面白かったけど見返す度でいったら一枚落ちるかな。
・通して
観ていて思ったのは、基本的にこのシリーズ、全然話が進まないとうこと。地球から遠く離れた場所でさまざま格闘するわけだが、それを知ってるのは組織の連中だけで、彼らはそれを良いように利用したいから大体が秘密裏に行われる。市井の人々には知れ渡らない。だから、一部の人間が大変な思いをして死んでいって、また一部の人間が大変な思いをして死んでいくというのをずっと繰り返す。
それから、地球がほとんど描かれない(『プロメテウス』の冒頭、遺跡調査シーンくらいか)。遠くから惑星としての地球はときどきみえるが、実際に地球がどうなっているのかはわからない。そもそもどうして宇宙船飛ばして別の星に植民なんてしなくちゃならなかったのか。地球がよほど大変なことになっているのか。キャパオーバーになってしまったのか。
地球が描かれないことで、シリーズ全体を通して妙な浮遊感というか欠如感がある。何か空洞があるような気がするというか、僕たちが足をつけるべき地球はどうなっているのかという本来なら最も重要な問いがある種意図的に回避されているというか。宇宙SFっていうのはそういうもんだと言われたらそれまでだけど、これだけ長いシリーズなら地球軍vsエイリアン軍の全面戦争的な展開がどこかであるのかなと思っていた。しかし、実際はそんな気配すらない。宇宙船内部で順々に殺されていくだけ。シリーズをよく知る人にとっては当たり前のことだろうが、初見の僕にとっては地球外生命体が出てきて、それと人間の全面戦争にならない映画というのはかなり意外だった。
まあでもとにかく面白かった。つぎは何のシリーズをコンプリートしようか。いや、まずはエッセイを書かないといけない…
