見送ってくれる人がいる家に、私は帰りたい
ー 家族との思い出が染みついた、あの家、あの車、あの喫茶店 ー
「おかえり」と迎えてくれる声。
あたたかい灯りと、人の気配。
私が思い出す「帰りたい場所」は、どれもそこに家族がいたという共通点があります。
誰かが待っている、という安心
私の家は、いつ帰っても必ず家族の誰かがいてくれる家でした。
夕暮れどき、玄関の明かりがついていて、中からテレビの音や笑い声が聞こえる。
ドアを開けた瞬間、ふわっと広がるごはんの匂いにホッとする。
そんな日常が、どれほど心を支えてくれていたのか、大人になった今、ようやく気づきました。
思い返せば、出かけるときも家族は必ず「いってらっしゃい」と見送ってくれました。
小さいころは何気ないやりとりでしたが、
“見送ってくれる人がいること”の尊さが、今では心に深く残っています。
それはきっと、「私の帰る場所がここにある」と感じさせてくれる瞬間だったのだと思います。
父の車の中で、まどろむ夜
もう一つ、忘れられない「帰り道」があります。
出かけ先から夜遅く帰るとき、父が運転する車の中で、私はよく眠っていました。
窓の外には、流れる街の光。車内にはラジオの音と、心地いい振動。
あの時間は、何にも代えがたい安心感に包まれていました。
今では、私も大人になり、眠ってしまうことはもうありません。
でも、あのまどろみの記憶は、今でもふとした瞬間に心を温めてくれます。
誰かに守られていた頃の帰り道。
そんな場所に、また戻ってみたいと思うのです。
喫茶店にあった、やさしい時間
小さい頃、母とよく通っていた近所の喫茶店があります。
決まって頼むのは、甘めのアイスティーと、辛子ぬきのハムサンド。
店内は落ち着いた雰囲気で、常連のおじさんたちがのんびり過ごすような空間でした。
子どもながらに、そのお店が「なんか、落ち着くなあ」と思っていたのを覚えています。
派手さも映えもない、でも居心地のよさがある場所。
母と過ごした、あの何気ないひとときが、今では宝物のような記憶です。
今はもう、その喫茶店はなくなってしまいました。
でも、跡地の前を通るたびに、「あの頃に戻りたいな」と胸がきゅっとなる。
それくらい、あの場所にはあたたかい時間が流れていたのです。
「帰りたい場所」には、人のぬくもりがある
あらためて思い返してみると、私の「帰りたい場所」は、どれも家族との思い出が残る場所でした。
家の中で、車の中で、喫茶店で。
その場所に「誰かがいてくれたこと」が、私の記憶をやさしく照らしてくれています。
「家」とは、単に住む場所ではなく、
人との思い出を重ねる場所なのだと、今は実感しています。
そして、きっとこれからも、私はそんな場所に帰りたいと思い続けるのだと思います。
いいなと思ったら応援しよう!
「記事が参考になった!」「これからも応援したい!」と思っていただけましたらサポートお願いします^^いただいたサポートで、他の方のnote購入をしさらに良い記事の作成に励みたいと思います✨