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移住して1年半、新しい自分

みなさんこんにちはばんぺーゆです。

今回は生い立ちと現在の自分についてお話をします。
ちょっぴりお話をするつもりだったのですが、超長文になってしまいました。エッセイを書くとどうしても長くなってしまいます・・・
お時間のある方、ご興味のある方がおりましたらよろしければ最後までお付き合いください。

私は24年前、神奈川県のいわゆる湘南という地域に生まれました。
大学卒業までの22年間、太平洋のすぐそばで、潮風に揺られながら育っていきました。

通っていた小中学校のすぐそばには海があり、毎年、春の親睦イベントではビーチクリーンが行われます。夏は海の上で花火が上がり、秋は鎌倉に紅葉が色づき、冬は江の島にイルミネーションが灯ります。都内へも電車で行ける距離で、決して大都会ではないけれど過ごしやすい町でした。

大学卒業後は新卒で入社した全国転勤の配属先が新潟県のある地域で、結果的に現在その地域に移住を決め、地場の産業にかかわる会社に転職をし、新潟で生活をしています。


〇過保護・過干渉な日々

学生時代どう過ごしていたかというと、私が人生で転ばないように母はきれいなレールを引いてくれて、それに沿って、道から外れないように歩いていました。転ばないように、傷つかないように気を付けられながら育っていきました。

いつどこで誰と何をしているのかを毎日報告していました。LINEもすべて見られていました。
パートナーができれば報告をし、母親にそのパートナーのSNSを教えていなくても見つけ出し、隅から隅まで欠点がないかを探し、パートナーと”どこまでしたのか”を聞かれ、女性としてのアドバイスをされます。

好きな服を着ようとすると「センスが悪い」と否定されて、母好みの母が買ってきた服を着て、母の指示で写真を撮り、載せて、SNSで自分が”おしゃれ”であるとアピールをしました。
好みでもない服を着てSNSにUPはしたくなかったのですが拒否できませんでした。

母の意見を拒否すると機嫌が悪くなり、無視をされたり冷たくされることに耐えられませんでした。

もちろん母の行動すべてが間違っているとは思いません。

ただ理不尽な世の中から娘を守るためだとしても、意見を否定され、こうした方が上手くいくからこうしなさいと親に言われ従い続けると、だんだん自分の意見がなくなっていき、
他者から見るとごく簡単な判断や決断も、自分でする勇気がなくなります。常に周りの反応や顔色を窺うようになります。

そうすると、たとえ友人から服が似合っていると褒められても「母が選んだしな」と自分が褒められた気になれず、
自分がした行動をほめられても「母がこうしなさいと言いそうな行動をしただけだしな」と自分が褒められた気になれず、
逆に何か間違ったことをして怒られたとしても「母の言うとおりにしただけだしな」と、自分の言葉や行動にも責任が持てなくなっていきました

このままでは私は一生自立できないのではないか、と薄々感じていました。

〇過保護・過干渉に育てられたわたしが持つ、ひとつの夢

そんなわたしには小さな夢がありました。

それは過保護・過干渉に育てられた実家を出て、一人暮らしをして、私のことを誰も知らない街で1から生活をはじめ、楽しく暮らすことでした。

親の監視から離れ、私のことを誰も知らない街で1から生活を始めれば、
この街で起きた嬉しいことは「自分のおかげ」だと思えるし、
この街で起きたトラブルは「自分の責任」だと思えるのではないかと思ったからです。

他人に判断を委ねず、自分で当たり前に判断し、自分の行動に責任を持つことを目標にしていこうと思いました。

そう決めた私は、全国転勤の、必然的に入社してすぐ一人暮らしをできる会社を探しました。無事内定をいただいた後は、大学の授業を受けている時間以外はほとんど、一人暮らしのためのアルバイトに明け暮れていました。

全国転勤の配属希望を会社から聞かれましたが、希望が通らないことも多いと聞いていました。私は第一希望は「東海地方」、第二希望に「どこでもよい」を選択しました。
無事第二希望が通り(?)、新潟県に配属になりました。

「たぶん、めっちゃ雪降るよね」

太平洋側のぽかぽかと穏やかな晴れの多い気候で過ごしてきた私にとって
日本海側の荒波と雪がしんしんと降り続けるイメージだった新潟県への配属には不安がありました。

ですがそれよりも一人暮らしができることへの喜びが大きく、毎日胸を躍らせていました。

そして昨年の4月1日から新潟県での新生活がはじまりました。

〇行きつけのお店がほしい!目指すは”常連さん”

誰も「わたし」を知らない土地に来たはいいものの、
人とのつながりってどうやって作るんだっけ、と思っていました。
自分で当たり前に判断し、自分の行動に責任を持つという目標と達成するために、楽しく生活していくために、友達が欲しかったのです。

Google Mapでカウンターでお酒を呑める場所とかないかな、なんて近所を調べてみたはいいものの、あまりピンと来ず、しばらくは少し離れた新潟駅前によく出かけていました。
また車も持っていなかったので移動範囲も限界がありました。

そんなとき出会ったのはあるコーヒースタンドでした。
車を持っていない私にとっては決してアクセスの良い場所ではありませんでしたが、バスで行けそうな場所だったので、常連になれそうな雰囲気だといいなと、一か八かの希望をもってバスに乗り込みました。

無事到着し、一杯のコーヒーを頼み、席に着きました。

コーヒースタンドのお兄さんは丁寧にドリップし、温かいコーヒーを淹れてくれました。席でコーヒーを飲んでいると、そのお兄さんが話しかけてくれました。

「どこから来たんですか?たぶん初めてですよね?」

私は最近引っ越してきたばっかりで、「友達が欲しい」ということを伝えると、この街に住む人と繋がることができそうなお店を何軒も紹介してくれました。

紹介してくれたお店の一つに、
ゲストハウスと一体型になっているバーがあるというのを聞きました。
たまたまそのバーは家から歩ける距離だったため、
コーヒースタンドのお兄さんにお礼を言い、その日の夜、そのバーに向かいました。
(いまもコーヒースタンドのお兄さんとはボードゲームをみんなでしたりして仲良くしていただいています。新潟で出来た仲間の一人です。)

このコーヒースタンドに行かなければ、新潟県でこんなに仲間に恵まれ助けられ、この地の企業に転職をし、移住を決めることはなかったかもしれません。

〇バーで無事”常連さん”に!沢山の出会いに恵まれる

その日の夜そのバーに足を踏み入れると、一人でお店を営んでいるマスターが居ました。
マスターに最近引っ越してきたと話すと、同じ神奈川県出身だということがわかりました。
近くの席で呑んでいるお客さんも興味深く私とマスターの会話に耳を傾けてくれて、気づけば店内にいるみんなで話していました。
その日は数歳~数十歳まで私と年の離れたお客さんも多かったのですが、年齢を機にせず気さくに話しかけてくれる常連さんと話していると、このお店は、私がこの街で探していた常連になれる店かもしれない!そう思いました。新潟県に引っ越してきて3週間目のことでした。

気づけばよくそのバーに通うようになっていました。
最初は同年代ではないお客さんに出会うことが多かったのですが、いろいろな世代の友達ができるのは、それはそれでなんだかよい気持ちでした。
新潟で仲間ができたようで、とてもうれしかったです。

その後だんだん同世代のお客さんとも出会うようになり、ごはんを食べに行ったり遊びに行ったりできるような友達もどんどん増えていきました。
バーの外でも行きつけのお店が増えていき、仲間が増えていく感覚がありました。

親に指示されたわけでなく自分で行動したことで仲間ができたことが、わたしにとって大きな成功体験になりました。
日々こうやって成功体験を増やしていくことは、着実に自分への自信につながっていくと思いました。

〇プライベートは楽しいのに、仕事は不調・・・

無事、目指していた「常連さん」になり、カウンターで並んで気兼ねなく話せる飲み友達が増え、プライベートを楽しんでいた私ですが、仕事は正直全くうまくいっていませんでした。

仕事中はずっと怒られ、ミスをしてしまうし、何をしてもうまくいかなくて、自分のせいで職場の空気が悪くなっているような気がしました。

仕事に行くたびに毎日落ち込む日が続きましたが、そんな時は飲みに行き、新潟で出会った仲間に励まされることで、なんとか毎日を過ごしていました。結局耐え切れずそのお仕事はやめてしまいましたが、そのバーに出会わなければ知らない土地にひとりぼっちで病んでしまっていたかもしれません。いつも励ましてくれた仲間には感謝しかありません。

仕事を辞める際に3つの選択肢がありました。

  1. 新潟に残り、この地で転職をしてこの街に住み続ける

  2. 新潟を出てまた新しい町に引っ越す

  3. 実家に帰る

仕事を辞めてしまい金銭的に余裕がなかった私は実家に帰るのが一番楽だろうなとは思いました。しかし、自分で当たり前に判断し、自分の行動に責任を持つ。この目標はまだ完全に達成することができていないように感じていました。
新しい街で仲間を作ることができた私は、実家に戻らずこの街に住み続けて出会った仲間たちと成長していきたいと思いました。

〇そんなわたしの現在

仕事を辞めしばらくはアルバイトを掛け持ちして食いつないでいました。なにがなんでもこの街に残り続けたかったのです。
その間アルバイトだけでなく、お菓子作りの趣味が高じて間借りカフェをしお菓子を販売をすることもありました。
実家にいたときにはきっとできなかった経験がたくさんできました。

周囲に支えられながら、半年前にいまの転職先と出会いました。
ご縁があってか今も通い続けるバーのとても近所で、ちいさな雑貨屋さんの店長をすることになりました。

新潟に引っ越し、一人暮らしをはじめ、1から仲間ができ、仕事をやめ、アルバイトで食いつなぎ、転職し、今店長として働いています。
(そのバーには今も足繁く通っています。)

実家にいたときには想像できなかったことが日々起こり、この1年半を過ごしています。

仕事がうまくいかなかった時も、人間関係に悩んだ時も、アルバイト三昧の日々も、正直しんどくて何度も落ち込んでいました。
ですがそのたびに新潟で出会った仲間に支えられ、手を差し伸べてもらいました。本当に本当に感謝しかありません。

現在も悩みは尽きませんし、2年前こんな未来は想像していなかったように、2年後の自分はなにをしているのか正直わかりません。

ですが、自分で引っ越しを決め、そこで仲間と出会い、
自分で仕事を辞めることを決め、大好きなこの街でお店をしていることが本当に良かったと心から思います。日々成功体験が積まれ、自信に繋がっていっています。

また、自分で決めて行動したことで失敗し反省することも多いですが、それも母が決めたから、ではなく自分の責任だと心から言えることがなんだか嬉しいのです。

ちっぽけな私を受け容れてくれたこの街は、私にとって第二の地元だと思っています。いつかこの街に、ここで出会った仲間に恩返しをしていきたいです。そのためにひとつひとつ、私にできることが何か、今日も探しています。

ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。
新しい一歩を踏み出そうか悩んでいる方の目に留まればよいなと思い、私の経験談を書き起こしてみました。

みなさんお疲れ様です。
今日もあすも、あなたらしく、良い一日をお過ごしください!

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