エキタグ!!神鉄・押部谷(おしべだに)と、ぬ〜べ〜
エキタグです。
エキタグとは、駅のデジタルスタンプのことです。
眺めておいてください。
長いので目次のまとめのみ、
もしくは写真のみを眺めるくらいが
丁度よいかと思われます。
また、行動日と投稿日にはタイムラグがございます。あしからず。
NOW This Here(押部谷/おしべだに)
今回は、神戸電鉄(略して神鉄)
粟生線の押部谷です。
路線図はこの辺です。

前回(別に前回のものを見ないと、今回の内容が分からないということはありません。)、
一駅隣の『緑が丘』編にて。
憶測で物を言いすぎたなあと反省をしまして。
今回も憶測でゆる〜く駄弁ります。
(⋯反省とは。)
緑が丘編にて、「(この辺りの土地はもしかしてだけど♪もしかしてだけど♪)渡来系の人がやって来て技術を教えたのでは」という憶測をしたのですが。
昔々の、渡来系の民族の呼び方なのか豪商なのか。忘れましたが。
【追記:古代の職業集団らしいよ。】
ぬ〜べ〜 みたいな音の。
バリバリ最強ナンバーワンな古代の人たちが
どうやら居たようです。
地政学的に(渡来系の人らが)居たのでは。
もしくはやって来たのではと思ったのですが。
地形から考えなくても賢い人なら地名で分かるようです。とんだ遠回りをしました。
それで、今回訪れた「押部谷(おしべだに)駅」も、ぬ〜べ〜の名残がある地名だそうです。
(推しぬみべみたいな。
推しぬ〜べ〜みたいな音です。)
(※まともに読むとつかれますので、緩く眺めることをおすすめします。)

(へぇ。ぬ〜べ〜ねぇ)と思い。
別のことをしていたある時。
我が国 最大の私鉄(JRではない路線のこと)、
近鉄沿線の路線図を眺めている時にふと思いました。
(⋯ん? ここにもぬ〜べ〜がいる。
あ。ここにも)と。
【一、ぬ〜べ〜と、飯豊まりえ女史】
―近鉄沿線に潜むまりえの母方の実家の太さ―
こちら近鉄の路線図です。
ぬ〜べ〜がいると、思いました。
基本的に感覚です。

布忍は、(ぬのせ)
と読みます。
ぬ〜べ〜のちゃんとした名前は、
忍海部(おしぬみべ)らしいです。
【追記:古代の職業集団らしいよ。(謎の2回目)】
今回訪れた押部谷と一見何の関係もなさそうですが、おそらく感覚的に(おし、おし、だな)と思ったのかもしれません。
ちなみに
押部谷(おしべだに)【今回のエキタグ】
忍海部(おしぬみべ)【命名:ぬ〜べ〜。】
縦読みすると、
バンカラ(番長)と柔道家の方のご挨拶、
『押忍(おす)』になります。
こんなあそびでよければいくらでも出来ます。
押忍。(・∀・)
どうやら、ぬ〜べ〜の本拠地が
近鉄の忍海で、
支店があちこちあるようです。
支店が同じく近鉄沿線の布忍、
そして今回訪れた押部谷。
あと、多分、売布もそうです。
売布は遠い昔にわたくしのnoteにて、『なんて読むか分からない駅で降りた』みたいな内容の記事を書いた場所です。( ※覚えていたらかつての記事を末尾に添えておきます。)
(絶対漢字的に布を売ってただろうなあ)と思いました。
この売布の近所の駅に、これまたわたくしが遠い昔に訪れた『池田』という駅と、『石橋』という駅があります。(こちらも覚えていたら記事を末尾に添えておきます。)
この池田と石橋という場所。
後々。追々。憶測を飛ばします。
ぬ〜べ〜が支えて、お仕えしていたのが、
飯豊まりえさんのようです。
(訳:ぬ〜べ〜が支えて、お仕えしていたのが、飯豊まりえさんみたいなお名前の。皇女の方のようです。飯豊まりえブルーアイズみたいなお名前です。
何だその永遠のティーン・エイジャーがきゃっきゃしそうな、絶妙にださくて素敵なネーミングセンスは。)
この飯豊まりえさん、エキタグ志染編にて『どちらがおけで、どちらがをけなのー日本最古のタッチー』こと兄弟皇子の伝承を徒然したときに少しだけ出て来た人物です。
この兄弟皇子は順番こっこで即位をするのですが、即位をするまでの間少し時間が掛かったようで。時間が掛かっている間にも追われる政務はあったようで。中継ぎというか。スーパークッション。素晴らしき調整役として、働いて働いて名前だけちょろっと残ったすごい人のようです。
ぬ〜べ〜は、まりえさんの下で働いています。
奈良の忍海は、飯豊まりえさんのお母さんの実家が太かったらしく。(なんだ。その表現)
元々この地にいたそうです。平安時代でもあるあるですね。(父方より母方の実家が太いと繁栄しがち。)まりえさんの場合は、お父さんの実家も太かったのかな。
おけとをけが譲り合う間、
お刺身みたいなニュアンスの所で政務をしており、現在でも近鉄忍海(ママ実家近辺)に神社があるそうです。
(角刺身みたいな。建物に鹿の角が刺さってたとか、刺さっていなかったとか。⋯せんとくんだ。かつて物議を醸したゆるキャラ。現在では近鉄奈良に鎮座するせんとくんではないか。遷都という概念がこの頃あったのかどうかは知らないけれど。しいて言うなら、飯豊まりえブルーアイズが政務をするお宮が、斬新な建築の。ウィリアム・メレル・ヴォーリズもびっくりな、時代の先を行き過ぎた『せんとくんの宮』だ。だれか。このわくわくを止めておくれよ⋯という心の声は、ここだけのお話にしておいてください。)
ぬ〜べ〜は、
時代の流れによって呼び方を変え
途中で『ぬりかべ(〜壁)』を経由し、現在の押部谷(おしべだに)と呼ばれるようになったそうです。
なぜ、そうなった。
英語の比較級ですら、単語の変換がなんでそうなるのか首を傾げたくなるのに。この国の言語を学ぼうとする人泣かせな、言葉の変換です。
押部谷周辺のエリアは、一部のぬ〜べ〜がユキメさんと暮らしていたのではと言われている場所です。(アニメの方のぬ〜べ〜の話を出してこないでください。ただでさえ、ややこしいので。)
布忍は、布を献上するぬ〜べ〜だったようです。
おそらくまともに調べちゃうと頭がヒーハーからのヒャッハーになっちゃうので。何某かの頭脳集団が勢力を拡大していった分布図かなあと思います。(⋯ヒャッハーてなに。)
【二、伊という文字と、イヨおだて。】
―地方公務員のたまたま本当偶然みーつけたな、大発見―
また飯豊まりえさんの部下には、
『イヨおだて』という人がいたらしく。
【※この子は一度知ったことを素晴らしく忘れて。雰囲気で徒然します。】
その部下のイヨさんが
『おけ皇子とをけ皇子』を迎えに行ったそうです。
『どちらがおけで、どちらがをけか』兄弟皇子伝承において、宴の席で皇子たちに話し掛けた人物がどうやらイヨさんらしいです。
漢字でまともに書くと、
『伊予来目部小楯:いよのくめべのおだて』さんらしいです。
この時代、伊予国・現在の愛媛が『伊予』と呼ばれていたかどうかは分かりませんが。
伊予(愛媛)からわざわざ、兵庫まで皇子たちを迎えに行くのは遠回りすぎないかと思ったのですが。せんとくんの宮(奈良・忍海)から迎えに行った方が早いのではと思ったのですが。
どうやらわざわざ迎えに行ったとするよりも、
「地方の役人がたまたま見つけました」という設定にする方が色々と都合が良かったそうです。
(れっつ・いつの世も ごたごた。(^o^) )
兄弟皇子は、イヨおだてさんに保護されてから、正式に飯豊まりえさんの領地である「せんとくんの宮」へ行ったそうです。
このイヨおだてさんの
この「伊」という文字にも
後々。追々。憶測を飛ばします。
【参、ファッション・テクノロジー・ロード?】
―池田のクレハアヤハ、石橋の街道、そして売布―
先ほど、何某かの頭脳集団が勢力を拡大していった分布図かなあと述べたのですが。
この忍ぶ気のなさそうな
頭脳派技術集団・大移動。
もしくは、時間差分散型移動の分布図は、現在でもよく分かっていないことの方が多いとは思いますが。
少し話は逸れまして。
全国どこにでも『人名のような地名』はあるものでして。ある所に池田という場所があります。
そのお隣に石橋(現駅名:石橋阪大前)という場所があります。
そして、この池田から5駅ほど離れた所に、
かつてわたくしが、なんて読むか分からなかった地名・売布という所があります。
池田、石橋、売布。
知らない固有名詞を2つ以上聞くと、
ヒャッハーするので。(ヒャッハーてなに)
ゆるく言うと、石橋はかつて二つの街道が交わる十字路のような場所でした。
(詳細 訳:石橋は、「西国街道」と「能勢街道」が交わる十字路のような場所だったと思うので。人や技術が混ざり合う拠点として賑わっていたと思います。)
そして池田は、
別名『呉服の里』とも呼ばれます。
呉服(ごふく)と書いて、『くれは』です。
これには伝承がありまして。
呉姫・漢姫という伝承があります。
ややこしいので、クレハとアヤハとしますが、
アヤハは綾羽など表記が三つくらいあります。穴織とか。
この二人は姉妹です。
クレハが姉です。二人で異国からやって来て、この地に定住し機織りの技術を伝えました。
因みにわたくしがかつて「健全な営業をしている江戸時代の昼キャバ(みたいな建物)」と言っていた池田にある大衆演劇の小屋は、呉服(ごふく)と書いて、多分「呉服座(くれはざ)」です。(あの時は分かりませんでした。ただ、何で「呉」という字があるのか?当時の近所の国の呼び方?呉から伝わった服だから呉服かなと思った程度です。こういうのは行くべき時に行き、知るべき時に知るように出来ていると思っております。ノリと雰囲気となんとなくです。)
【ご興味があればどうぞ。丁度よいものを見つけました。探せば何でもありますね。16:13】
姉妹が伝えた織物の技術により、見た目でその人の所属が分かるようになりました。現代でも制服とか、身分とか、そしてこの時たぶんくっきりされたのが性別による衣服の着用分けとかかなあと。憶測で思います。クレハアヤハ伝承に関しては、川の名前が残っていたり(絹⋯なんとかだった気がする)。あちこちに何某かの名残があり、池田市の市章も、クレハアヤハ伝承から機織りに使う糸巻きと井戸になっております。
二人がなくなると、
姉のクレハは呉服(くれは)神社。
妹のアヤハは伊居太(いけだ)神社に祀られます。
この伊居太という神社の音から転じて、池田とか。そこは諸説ありです。
(この神社の「伊」って、飯豊まりえブルーアイズの部下のイヨおだての「伊」と同じだなあ)と思いました。
一見関係ないようにみえるけれど、同じく渡来系の民族の人のようだしとか思ったりもしました。
また、売布には売布神社があり、「布を織って売り出す(あるいは献上する)」技術を持った一族(売布氏)が祀った神社らしいです。祀られているのは確か、大物主だったか、大黒天だったかの娘さん夫婦だったような気がしないでもないです。(何という素晴らしき憶測な文章、)
―布の技術で国を支えた人たちの足跡と分布図?―
売布、池田、石橋。
布忍、忍海、押部谷。
一見ばらばらのように見えて、実は織りなす布で国庫を温めてきたのかなあなんて思いました。(※布はお米の次くらいに献上されるというか納税される代物だったらしいので。)
そしてこれらは、古事記や日本書紀よりも前の時代です。大体、500〜600年代くらいかな。
それだけ素晴らしい発展を遂げた飯豊まりえネットワークだけど、それ等が現在あまり知られていないというのは、これもまた憶測ですが、当時の戦争特需に終わりがやって来て衰退したのかなとか思いました。確かこの頃、近所の国で揉めていて、三つの国が争っていて。こちらから一つの国に援助をしていて。その国が滅んだら絶対次はうちの所(国)ですやん状態を、阻止するために、何とかしようと。右往左往してた頃だった気がしないでもないです。
(※憶測で物を言う集団の末裔ですので、いつだって語尾は憶測です。)
その国から逃げてきた人や、呼んできた技術者によって、色々繁栄した気がしないでもないです。
それで結局その国が負けちゃって、だから戦争特需に終わりがやって来て衰退したのかなあと。何となく思ったような。気がしないでもないです。
【(疑問)「のぼうの城」の忍城と関係あるのかな】
―ゲルマン民族よりもお忍びだけど、たぶん忍ぶ気はない技術者たちの移動―
あと、「のぼうの城」の忍城と関係あるのかなと思ったのですが。関係あるという記述もあれば、全く関係ないという記述もあり、よく分かりませんでした。のぼう様の所の忍氏も湿地帯界隈にお強いので。ぬ〜べ〜が移動して、名前を変えて「忍」の文字だけ残ったのかなあと思っただけです。やがてそこを成田氏が治めたのかなあと。
押部谷の方も、地図で見るとダムやため池、湖に川と。(今の地形でもあるということは、)かつては大きな湖や湿地だった場所を開拓して作られたのではと。
どちらも「水が豊かな(あるいは厄介な)土地を、知恵と技術で攻略した場所」という点では、水攻めに難儀をしたし、豊臣には頭を抱えるし。
そんな、不思議な共通点があるのではと思っただけです。
鉄分はこちら。(写真です。)
わたくし、にわかですので
詳しいことは分かりかねますが。
こんな雰囲気でした。
鉄道に関しても、歴史に関しても
ゆるふわです。
「鉄分というらしい」ということだけ知ってます。








不思議な感覚でした。
ヽ(*´∀`)ノ



今回のエキタグについて
―描かれた人物の正体は。―
今回のエキタグに描かれている人物は、正直誰なのか分かりませんでした。ただいくつか絞れる事がありまして。

まず左上の背景にある建物は、近江寺と書いて(きんこうじ)と読むお寺なのではと思います。
何故、近江(おうみ)ではないんだという心の声はここだけのお話にしておいてください。
どうやらその近江寺で毎年行われるお祭りがあるようで。お寺の本堂を地元のお子達が鬼の面を着け、ぞろぞろと。
それでいて、ぐるぐると。
農具や松明を持って歩き回ります。
「鬼やらい」だったかな。「鬼祭り」だったかな。
鬼⋯フェスが、行われます。
派手なお祭りというよりもシンプルなもので、
何となく三谷幸喜映画『素敵な金縛り』に出て来た歴史学者を思い出しました。あまりにも古くて地元の方もよく分かっていない、だけど誰かが興味を持たなくなったらその歴史そのものが消えてしまうような。それくらい古くてよく分かっていない鬼の面ウォーキングでした。

当時のいくつかの村が合併して
小野市となっているようで。
合併前の村の名前を見るとまたしても
「伊⋯なんとか」という地名がありました。
伊藤⋯伊東⋯忘れましたが、「伊なんとか」です。
さて問題はここからで、左下のこけしのようなものは何なのか。こけしが名産なら分かりやすいのにそういうことでもなく。可能性のある人物を徒然しますので、あとはあなたの想像で補っておいてください。事実は分からないので。
可能性① 押部弥太郎(おしべ やたろう)
三木合戦で負けちゃったハムの人ではない方の別所さんの一族です。(はい?いや、この記事から読む人が殆どなのに、はい?)
(訳:近くに。いや近くと言っても現在の感覚では何駅先なんですかというくらい、距離のある先に。同路線図六駅先に、『三木』という場所がありまして。
そこでかつて『三木合戦』というものがありました。戦です。信長の代理として馳せ参じた秀吉VS ここの土地に居た、ハムの人ではない方の別所さんとの戦いです。
結果はどうであれ、この別所さんの一族に押部弥太郎という人物がいたようです。)
押部谷周辺を治めていたようなので、この人かなあと思いました。
可能性② 瓜生左近太夫(うりゅうさこんたゆう)
同じく三木合戦に参加した人らしいです。
神戸の民話に『どんとこい超常現象の池』みたいなタイトルで瓜生さんが出勤前に朝シャンをしているらしいです。
(※この子は寝かけで文章を書きます。訳します。
訳:神戸民話「どんべら淵」というのがあるらしく、淵というからには池です。
池で身を清めて三木合戦へ出陣したという言い伝えが残る人らしいです。)
可能性③ 赤松円心(あかまつ えんしん)
南北朝時代の武将で、
上記の2名よりも前の時代の人物です。
漫画『逃げ上手の若君』にもおそらく出てきます。
南北朝時代とは、かつて我らの国は60年間ほど
朝廷が北と南に分かれ。
都がふたつあった時代がありました。
北と南と言いますが、
現在の北海道と沖縄ではなく。
奈良の吉野と京都だったかな。うろ覚えです。
この時代、
負けた方の武将として有名なのが、
楠木正成です。
【エキタグ近鉄瓢簞山駅編にて、
―そこに私はいません。眠ってなんかいません
(駅のホームのアスファルトの下に人骨はありません)―で、
『楠木正行の墓』というのが
ありましたが、あれの父です。】
対する勝った方の武将として有名なのが、
この赤松円心です。
こういう言い方をすると
両者が直接対決したかのようになりますが、
そういうことではなく。
ざっくり。雰囲気で言うと。
もともとは同じ会社の
別部署で働く者同士(味方同士)でした。
(※本当はフリーランスですが割愛。)
しかし社長(後醍醐天皇)と
副社長(足利尊氏)が大揉めに揉めて、
会社が分立。副社長が起ち上げた新会社が『株式会社 室町幕府』となりました。
社長(後醍醐天皇) 共 楠木正成
副社長(足利尊氏) 共 赤松円心
⋯という雰囲気です。
赤松円心は新会社(室町幕府)設立の立役者です。
なんかね、新田くんを食い止めて
その間に「早くお逃げをー。そして養生して力を蓄えてー」と言ったか言っていないかは分かりませんが。
新田くんを食い止めて、
副社長(足利尊氏:現『株式会社 室町幕府』社長)を一旦、九州まで逃がしたというのが大きな功績らしいです。(急に出て来た、新田くんとは。)
地の利を活かした食い止め方に、新田くんも焦ったようです。(だから新田くんってだれよ。)
楠木正成も赤松円心も、
この時代の歴史に名を残す大悪党だと言われております。
悪党とは、鎌倉幕府に属さない武士のことであり、商業を生業とする文武両道のビジネスパーソン。
戦国や江戸の武士よりももっと合理的な感じを勝手に抱いております。個人的な見解です。
因みに、赤松円心が新田くん
(だから誰よ。もはや紹介する気もないの?
※仕方なしのご紹介⋯新田くん。楠木のマブダチ。尊氏のライバル)
を食い止め、時間を稼いだ結果。
九州で梅ヶ枝餅を食べ、防人の歌を歌い。思えば遠くへ来たもんだと。太宰府天満宮で炭治郎の石を見て鱗滝左近次に思いを馳せて英気を養ったのかもしれなくて。(生き残りをかけた戦いで、なんで観光してるの。じゃらんで予約した?旅割?)
とりあえず元気になった新社長 足利尊氏の
軍が強くなり(そりゃあ梅ヶ枝餅食べて太宰府天満宮行ったら元気になりますわ)
それらが巡り巡って、
楠木正成が敗れる原因(湊川の戦い)を作りました。湊川も神鉄路線図上にあります。
(こちらもこちらで旅割で予約してどこかへ行けば良かったのに。新田と楠木のマブで青春しておいでよ。⋯何の話ですか。)
赤松から瓜生、そして一柳。
赤松円心から時代は流れて、
赤松家の家臣に
「朝シャンをして出勤(出陣)をした瓜生さん所の息子さん(瓜生家)」がいます。
この瓜生家が近江寺の「鬼走り」のお祭りを守り続け、やがてこの一帯を『一柳家』が治めます。
あれ。一柳って、
もしかしてと思い軽く調べたらビンゴでした。
一柳家の最後の当主◯◯さん(名前忘れた)の娘さんは、一柳満喜子さん。建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズさんの奥さまです。
一柳満喜子さんのお兄様が婿養子として入った先が、広岡家(廣岡家)。そこでふたりは出会います。
(ひとつやなぎ。変わった名前だなあ)と思っていたのがまさかここで繋がるとは思いませんでした。
広岡家は、朝ドラ『あさが来た』の主人公のモデル・広岡浅子さんの嫁ぎ先。ドラマの後半で、主人公の娘(役・小芝風花さん)の結婚相手が、ここで言う一柳満喜子さんのお兄様です。ドラマでは工藤阿須加さんが演じられました。

メレルさんは、帰化しております。
「アメリカから来て、留まる」で、米来留です。
満喜子さんとメレルさんは当時では珍しい国際結婚ということで反対をされますが、朝子さんが応援をしてふたりは結婚することができました。
そして。
このウィリアム・メレル・ヴォーリズといえば。
建築家であり実業家でもあります。
彼は当時、アメリカに既にあったメンソレータムを『日本で販売する許可書』みたいなのを得た人で、彼がいなければ我々の唇はかさかさのままで、潤うということを知らず、メンソレータムの「メ」の字も知らなかったでしょう。
そして、メンソレータムを日本で販売する許可書を得た彼が起ち上げた会社の“場所”が滋賀県の近江です。
彼が初めてアメリカから英語の先生として日本に訪れたときに赴任した場所がここでした。
近江は古くから『三方良し』の言葉があるように、
『売り手よし。買い手よし。世間良し。』
商いは、自らの利益だけでなく、買い手の満足、そして社会の発展につながるものでなければならない。そんな近江商人の精神が長く根付くこの場所で、ブラザー。僕も君たちの兄弟になりたいよと思ったのかどうかは分かりませんが。会社の名前は、『近江兄弟社』となり現在も続いております。
因みにメンソレータムと、メンタームの2種類が流通し、一方は「ロート製薬」もう片方は「近江兄弟社」とややこしいのですがそれにも深い訳があります。(しかし今回は割愛。)
また、満喜子さんは学校を建てたりなど廣岡朝子さんの意思も引き継いでいるのかなあと思います。
そして
この御夫婦が活動の拠点として選んだのが
滋賀県の近江で、
満喜子さんのご実家(旧播磨国小野藩 一柳家)が、かつて治めていた押部谷にも読みは違えど近江という地名とお寺があるというのが、何だが不思議だなあと思いました。
きんこう。おうみ。近江商人。
何かがちょっとだけ引っかかるような。
そうでもないような。

【まとめ 布から透けて見えるのは、人肌ではなく国庫を温めえた「古代の国家プロジェクト」!?〜】
ざっくりまとめました。
つまり、ここまで
憶測で物を言う集団の末裔として。
ノリと雰囲気となんとなくで述べてきたことは、
どの駅も『かつての繊維産業の拠点(国家プロジェクトの拠点)』だったのではという共通点です。
忍海・布忍、押部谷(今回のエキタグ取得駅)、売布、池田、石橋。
これらは場所も、鉄道会社もバラバラですが、
『布の技術で国を支えた忍ぶ気などは毛頭、否、さらさらにない者たちの足跡』
(布の話をしているからつい。どうしても「さらさらに」を入れたかっただけです。)
という見えない糸で、実はつながっていたりするのでは。
⋯という憶測でございました。
それでは最後にこちらをどうぞ。
縦の糸は、まりえ
横の糸は、ぬ〜べ〜
織りなす布は
いつかではなく かつて
人肌と共に国庫を
温めえたかもしれない
おまけ「古代編」
ボス(CEO):飯豊皇女
奈良の「忍海」に本社を構え、天皇不在のピンチに国を回した凄腕の調整役。住処はせんとくんの宮。
実働部隊(エリート社員):忍海部(ぬ〜べ〜)
ボス直属の忍ぶ気など多摩川のさらす手作りよりさらさらにない頭脳派技術集団。
鉄を作ったり、布をプロデュースしたりするハイテク集団。きっとユキメさんがいる。そして多分、お素麺を食べている。
各支店(オフィス):
忍海: 本社。ボスの住処(せんとくんの宮)とメイン工場。
布忍: 営業所。布の加工や流通の拠点。
押部谷: 兵庫営業所。土地を開拓するために派遣された現場。今回のエキタグ取得駅。
売布: 織物専門の製作所。
池田: 「チーム・ぬ〜べ〜」が管理する、技術開発センター。現場責任者はクレハとアヤハ。
石橋: その製品を全国へ送り出すためのジャンクション(交差点)。
「なぜここに、わざわざ呉の先生(クレハアヤハ)たちを住まわせて技術センターを作ったのか?」という答えも、ここが「人・モノ・情報が必ず通る、最も効率的な場所だったから」とも言えます。
因みに池田・石橋は、戦国の頃になるとバトルフィールドと化すのですがそれはまた別のお話⋯。
おまけ「関連企業・未来の取引先」
社長(後醍醐天皇) 共 楠木正成 ←鎌倉
副社長(足利尊氏) 共 赤松円心 ←室町
「株式会社 鎌倉幕府」の面々(旧会社)
後醍醐天皇(社長):余計なことを言って会社を分立させた張本人。しぶとさだけは見習いたい南北朝時代随一のトラブルメーカー。
楠木正成(伝説の営業マン): 旧会社側で、社長(後醍醐天皇)の右腕。社長は彼におんぶにだっこ。息子は近鉄瓢簞山駅のホームに眠ってなんかいないが、泣かないでくださいと言わんばかりにお墓だけはある。
新田義貞(急に出て来たよ。新田くん):
正成のマブダチ。一応、足利尊氏のライバルにも関わらず。赤松円心に足止めを食らう。
「株式会社 室町幕府」の面々(新会社)
足利尊氏(副社長 → 新社長): 飯豊まりえネットワークとは別時代の、新しい時代を切り開いたカリスマということにしておこう。
赤松円心(播磨店勤務): 新社長(尊氏)を九州で養生させる。伝説のストッパー。新田を困らせる。
「未来の継承者(未来の取引先)」
広岡浅子(あさが来たモデル): 飯豊まりえやクレハたちの「自立して働く女性」のスピリットを数百年後に引き継いだ、実業界のレジェンド。
ヴォーリズ(一柳米来留): 満喜子さんと共に、近江の地で「三方良し」を体現した建築家。
⋯なんてな。
おわり(^o^)
前回のエキタグ
(緑が丘編〜ほぼ、うんちゃん(我慢対決)の話を力説してるよの巻)
次回のエキタグ つづきはこちら。↓
これまでのエキタグはこちら。
(今回の神鉄編含め、その他もあります。)
今回の関連(?)記事はこちら。
池田
売布 関連は薄めです。
石橋
瓢簞山
「そこに私はいません。眠ってなんかいません編」


