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「正しい褒め方」が増えた社会――子どもを育てる言葉をマニュアル化する危うさ

「この一言で子どもが変わる」という情報

最近、SNSでは「子どものやる気を奪う褒め方」「自己肯定感を下げる言葉」「挑戦する脳を育てる声かけ」といった情報を頻繁に目にする。「頭がいいね」と言えば失敗を避けるようになる。「100点すごいね」と言えば結果だけを重視するようになる。そこで、「20分集中していたね」「昨日とは違う方法を試したね」と、行動の事実を伝えることが推奨される。

こうした考え方には、能力そのものより努力や戦略に注意を向ける方が、その後の挑戦や粘り強さにつながる場合があるという教育心理学の知見が背景にある。ただし、研究が示すのは一定条件下での傾向であり、「この一言を使えば、このような子どもになる」という単純な因果関係ではない。

SNSでは、その条件や限界が削られ、複雑な人間の発達が「言ってよい言葉、悪い言葉」というマニュアルへ変換されやすい。私はそこに大きな違和感を覚える。

問題は、何を褒めるかだけではない

「頭がいいね」という評価を避け、「頑張ったね」と努力を褒めれば解決するとも限らない。努力を褒め続ければ、今度は「努力している自分を大人に評価してもらうこと」が目的になる場合もある。

結果から努力へ評価対象を変えても、「大人が自分をどう評価するか」が行動の基準であり続ければ、構造そのものは大きく変わらない。

教育で重要なのは、褒める対象を細かく選別すること以上に、子どもが自分の学習を自分で振り返れるようになることだと思う。

たとえば100点を取ったなら、「100点すごいやん」で終わってもよい。そこから「今回は何がうまくいったん?」と続ければ、成果を喜びながら、その過程を本人が振り返ることができる。

評価の主導権を本人へ渡していく

私が教育現場で大切だと感じるのは、「自分ではどうだった?」と尋ねることである。

すると子どもは、「最初は分からなかったけれど途中で気づいた」「この方法では時間がかかった」「前の問題と似ていたから解けた」と、自分の思考について語り始めることがある。

これは、自分が何を理解し、どこでつまずき、どの方法が有効だったのかを把握するメタ認知につながる。

学習が高度になるほど必要になるのは、「先生に褒められたからうまくできた」という感覚より、「今回はここができた。この部分は弱かった。次はこうしよう」と自分で判断する力である。教育における評価の主導権は、成長とともに少しずつ大人から本人へ渡されていく必要がある。

同じ言葉でも、意味は変わる

声かけは、年齢や性格、本人の状態によって意味が変わる。幼児が初めて自転車に乗れたときに「できた!すごい!」と一緒に喜ぶことには大きな意味がある。一方、高校生が30分勉強するたびに「今日は30分集中できたね」と言われれば、監視されているように感じることもあるだろう。

自信を失っている子には「できたやん」という言葉が力になることもある。自信のある子には、少し難しい課題を示す方が成長につながる場合もある。

だから教育には観察が必要になる。幼児から高校生まで共通する「正しい褒め方5選」のような形で、人間の成長を整理することには無理がある。

挑戦する力は、言葉だけでは育たない

さらに重要なのは、子どもを取り巻く環境である。「挑戦できる子に育ってほしい」と言いながら、忘れ物をしそうなら先に確認し、困ればすぐに教え、失敗しそうなら大人が修正してしまえば、本人が困難に向き合う機会は少なくなる。

挑戦する力は、難しいことに出会い、分からない時間を過ごし、失敗し、原因を考え、方法を変え、再び試すという経験の中で育っていく。

大人に必要なのは、適切な言葉を選ぶ力だけではない。子どもが考えている時間を奪わず、必要なところまで待つ力もまた重要である。

「どう声をかけるか」と同じくらい、「いつ黙って見守るか」が教育では問われている。

「正しい子育て」を求めすぎる社会

「この言葉で自己肯定感が下がる」「この褒め方では挑戦できない子になる」といった情報を毎日目にすれば、親は自分の一言一言まで監視するようになる。

SNSでは、「場合によって影響する可能性があります」より、「この言葉が子どものやる気を奪います」と言い切る方が注目を集めやすい。複雑な教育問題が短いチェックリストへ変換されることで、条件や個人差は見えにくくなる。

そして親は、新しい「正しい声かけ」を追い続けることになる。

子育ては、本来もっと長い時間の中で築かれる人間関係である。一度の褒め方、一度の失敗、一度の叱り方だけで、子どもの人格が決まるわけではない。

「正しい言葉」より、目の前の子どもを見る

「100点すごいやん」と喜ぶ日があっていい。「今日は随分粘ったな」と伝えることもある。「自分ではどうだった?」と問いかける場面もあるだろう。

大切なのは、正しい言葉を先に決めることではなく、その子が今どのような状態にあり、どこまで自分ででき、どこから支援が必要なのかを見ることである。

子どもはいずれ、親や教師の評価が届かない場所へ出ていく。

そのとき必要になるのは、誰かに褒めてもらうことで自分を確認する力ではなく、できたことも失敗したことも材料にして、自分で次の一歩を決める力である。

「どう褒めれば子どもが伸びるのか」という問いの先には、「大人の評価がなくなった後にも、自分で歩いていける人間をどう育てるのか」という、より本質的な教育の問いがあることを忘れてはならない。

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