「人はなぜ、隣人を『敵』に変えてしまうのか――戦争と非人間化、SNSがつなぐ個人の可能性」
世界各地で繰り返されてきた民間人の大量死
1945年3月10日の東京大空襲では、一晩で推計8万〜10万人の日本人民間人が死亡した。広島では原爆投下から1945年末までに約14万人、長崎でも約7万4千人が死亡したと推計されている。広島と長崎の数字は即死者だけでなく、その後の火傷や放射線障害による死者を含むため単純比較はできないが、いずれも短期間に膨大な市民が命を落としたことは確かである。
しかし視野を世界へ広げると、このような大量の市民殺害は日本に限らない。1994年のルワンダでは約100日間に推計80万〜100万人が殺害され、単純平均すれば一日8,000〜1万人規模となる。ナチス占領下のキーウ郊外バビ・ヤールでは、1941年9月末の2日間で33,771人のユダヤ人が射殺された。ホロコースト全体では約600万人が殺害されている。国や時代、方法は異なっても、一般市民が「集団」として扱われ、短期間で大量に命を奪われたという構造は共通している。
人間はなぜ、これほど大量に人間を殺せるのか
これらの数字を並べる目的は比較ではない。問うべきは、普通に生活していた人間が、なぜ社会的に“大量に殺せる存在”へと変換されてしまうのかという点である。
戦争やジェノサイドには領土、資源、安全保障、民族対立、政治権力、イデオロギーなど異なる背景がある。しかし共通して起きるのは、相手が「一人の人間」ではなく、「敵国民」「劣等民族」「危険な集団」といったカテゴリーへと変換される過程である。
大きな数字になるほど、一人ひとりの顔が見えなくなる
「10万人が死亡した」という表現は巨大な数字として理解される。しかし実際には、そこにあるのは10万人の“集団”ではなく、10万人の“個人”である。それぞれに名前があり、家族があり、その日まで続いていた生活があった。
ルワンダの80万人も、ホロコーストの600万人も同じである。人数が増えるほど人間は抽象化されるため、歴史を数字で記録することと同時に、その数字を一人ひとりの人間へ戻して考える視点が必要になる。
日本の戦争被害も同様である。東京大空襲や広島・長崎の記憶は、日本の被害としてだけでなく、「なぜ世界各地で市民が大量に殺されてきたのか」という人類史的な問いへと接続される。
相手を一人の人間として知ることが偏見を弱める
社会心理学の大規模メタ分析(515研究・713サンプル)では、異なる集団間の接触が偏見の低下と関連することが示されている。直接の交流が対立を完全に解消するわけではないが、「相手を知ること」が偏見を弱める傾向は一貫して確認されている。
「外国人」という抽象的なカテゴリーと、「昨日ギターの話をした韓国の友人」では認識が異なる。「イスラム教徒」という集団と、「子どもの教育について話すインドネシアの父親」も同様である。属性は消えないが、その奥に個人の顔が見えるかどうかが決定的に違う。
SNSは国境を越えて個人と個人をつなげられる
かつては、異なる国の一般市民同士が日常的に交流することはほぼ不可能だった。しかし現在は、音楽、ゲーム、スポーツ、教育、料理など非政治的な関心を通じて、国境を越えた個人間の関係が成立している。
国家間の関係が悪化しても、その下に個人同士の関係が存在することには意味がある。ある国の名前を聞いたときに、抽象的な敵ではなく、知人の顔が思い浮かぶようになるからである。こうした関係が広がれば、それは国家間外交とは別の層に存在する人間ネットワークとなる。
SNSは分断や敵意を増幅することもできる
SNSには、人間を再び「集団化」する力もある。「右翼」「左翼」「移民」「外国人」といったラベルだけで相手を認識するようになれば、個人の顔は再び消える。
重要なのはフォロワー数ではなく、どのような関係性が形成されているかである。同質的な意見だけが増幅されるネットワークと、異なる生活や文化が具体的に共有されるネットワークでは、社会への影響は大きく異なる。
平和を支えるのは、国家間外交だけではない
戦争は国家安全保障、資源、権力など巨大な構造によって生じるため、個人交流だけで解決できるものではない。その一方で、その巨大な構造の下に、もう一つの社会的な層を作ることはできる。
国家―国家、民族―民族、宗教―宗教という太い線の下に、
人―人―人―人
という無数の細い線を張り巡らせることである。
「敵が10万人いる」と考えることと、「10万人それぞれに生活がある」と考えることの間には大きな隔たりがある。SNSはその距離を縮めることも、広げることもできる。
世界平和は抽象的な理想だが、相手をカテゴリーではなく一人の人間として知る関係を増やすことは、個人にも可能である。本来出会うはずのなかった人とつながれる時代そのものが、人類にとって新しい平和の条件になり得る。
