ひと回り上の友人からスーツを譲り受けた日
今日、ひと回りほど年上の友人、RYOJIさんと会った。
彼が着なくなったコートとスーツを譲ってくれるということで、急遽だったが会うことになったのだった。
大人になってから、誰かの服のおさがりをもらうという経験は、実はあまりない。
けれど今回、僕は不思議と「ただ服をもらう」という感覚ではなかった。
この服には、RYOJIさんが生きてきた時間が染み込んでいる。そんな気がした。
家に帰ってから、さっそく僕はそのスーツを着てみた。
鏡の前に立って、写真を撮って、RYOJIさんに送った。
我ながら、なかなか似合っていると思った。

落ち着いた色合いのスーツをまとって立っている自分の姿を見て、ふと、胸の奥から何かが込み上げてきた。
なぜだろう。
気がつくと、涙が出ていた。
少し、10代の頃を思い出していた。
僕が小学校に上がるくらいの頃、両親は離婚した。それからは母子家庭で育った。
中学生の頃、塾に通うようになり、そこに、僕と顔や雰囲気が少し似ている先生がいた。塾の同じクラスの子たちからは「似てるよね」とからかわれることもあったけれど、僕はそれが少し嬉しかった。授業が終わってからも先生と話し込んで、家まで車で送ってもらったこともあった。

たぶん僕は、どこかでその先生に父親像を重ねていたのだと思う。
高校に進学してからも、時々塾を訪ねては、その先生とたわいのない話をした。
あるとき、僕はその先生にお願いをして、着ていた背広を羽織らせてもらったことがある。
少しタバコの匂いが染みついた背広だった。
あのときのことを、なぜかはっきり覚えている。
照れくささと嬉しさが混ざった、なんとも言えない気持ちだった。
そして今日。
RYOJIさんからスーツを譲り受けて、それを自分で着てみたとき、その記憶が思い起こされて、ふっとつながり、重なった。
あの頃の自分は、まだ中学生で、背広というものは、ずいぶん遠い「大人の世界」のものだった。
それが今は、自分が着ている。
もちろん、まだ未熟なところも多い。
それでも、なんとかこのスーツを着こなせるくらいには、僕も歳を重ねてきたのだなぁと思う。
そう思ったとき、なぜだか涙が止まらなくなった。
RYOJIさんとは、会うと気づけば数時間話し込むことが多い。
彼はどこか飄々としていて、軽やかに言葉を投げる人だ。
ユーモアもあり、物事を少し斜めから見つめる視点を持っている。一方で、僕が大事にしていることや拙くまとまりのない言葉を、きちんと受け止めてくれる人でもある。そして有難いことに、厳しいことも言ってくれる。
RYOJIさんは、社会の構造や歴史の流れ、運動の広がりなどを、少し引いた場所から語ることが多い。いわば、マクロな視点から物事を見つめる人なのだと思う。
それに比べると僕は、目の前の人との対話の中で生まれる言葉や感情の揺らぎに、つい意識が向く。
誰かが言葉を選びながら語るときの迷いや、そこにある葛藤やためらい、そしてそれでも何かを伝えようとする瞬間に、強く心を動かされる。
どちらかといえば、ミクロな視点で人の経験に向き合うことが多い。
そんなふうに、関心の向かう先や物事の見つめ方には違いがある。
けれど不思議と、話していると会話が途切れない。むしろ違いがあるからこそ、お互いに新しい視点を受け取っているのかもしれない。
だからなのか、気づけばいつも時間を忘れて話し込んでしまう。
実は僕にとって、RYOJIさんとの出会いには、もう一つ小さな物語がある。
RYOJIさんが編者の一人である『カミングアウト・レターズ』という本に、僕が出会ったのは、新社会人になって間もない頃だった。
まだ周囲にカミングアウトすることを試行錯誤していた時期。
誰にどう伝えるのか、どんな言葉で伝えたらいいのか、手探りの日々だった。
そんなときに、この本に出会えたことは、僕にとってお守りのような存在だった。
親や周囲へのカミングアウトに悩んでいるのは、自分一人ではない。
そう思わせてくれる一冊だった。
そして時が流れて、noteがきっかけでこうしてRYOJIさん本人に出会えた。
人生って、不思議な巡り合わせがあると、本当にしみじみ思う。
生きながらえて会えてよかった。
ありがとうございます。
親や恋人、パートナーのような、最も近い関係ではなくても、友人や仲間という関係の中にも、深く言葉を交わせる相手がいる。
そんな人に出会えることが、大人になってから自分の人生にも起こるとは思っていなかった。
だからこそ、ただただありがたい。
RYOJIさんから譲り受けたコートとスーツ。
これから僕は、この服を大切に着ていく。そのたびに思い出す。
彼との語らいのひととき。
中学生の頃、塾の先生の背広を羽織ったこと。
そして、いろんな人に支えられながらここまで生きてこられたことを。

服はただの布かもしれない。
けれど、ときどきそこには、人の時間や想いが、そっと託されている気がする。
今日、僕はそれを、少し背筋を伸ばしながら受け取った気がした。
そうして僕もまた、いつか誰かに、何かをそっと託していきたい。
