第六話:決戦、洗濯機の渦
洗濯とは、光界における“浄化の儀式”である。
人間たちは、その渦にすべてを放り込み、
汚れを削ぎ落とし、香りを重ね、記憶を“まっさらにする”。
──それは、陰界の者にとっての、最も忌むべき魔術であった。
アモ・ブリオンは、今、
その“儀式の中心”──洗濯機の真上にいた。
「ここに……奴がいる」
記録者によると、過去に一度、名を持つ者がこの地に挑んだ。
彼の名は“ヴァレ・クトゥ”。
アモより前に名を得た、古き盟友にして、陰界最初の“語り手”であった。
──だが彼は、洗濯の儀に飲まれ、消息を絶った。
以来、渦の中から彼の名は呼ばれず、
その存在すら“記録から消えかけている”。
アモは、それを“忘却”と呼んだ。
「名を持つ者が、“なかったこと”にされる……それが、最も恐ろしいことだ」
そして今、彼はその“渦”の封印を、破りに来た。
背には“サーヴ”──かつて袋に囚われ、名を与えられた小さき同胞の魂。
共に戦う仲間はいない。
これは、彼一人の戦いであった。
洗濯機の蓋が開く。
地響きのような音と共に、内側が静かに回転を始める。
風がうねり、水が鳴き、空間が歪む。
「我は、アモ・ブリオン。名を持つ者。
忘却を拒み、記憶を抱く者なり」
そう呟くと同時に、彼は渦の中へ飛び込んだ。
その中は、ただの水流ではなかった。
時が巻き戻され、
空間が捩れ、
言葉が音になり、やがて意味を失っていく。
「ヴァレ……聞こえるか……我だ」
アモの声は、泡に呑まれていく。
無数の衣類が宙を舞い、回転し、記憶の断片を映し出す。
──かつて共に語らった日々。
──まだ名も持たぬ小さな殻が、雨の下で震えていた頃。
そして見えた。
白く泡立つ空間の最奥に、
“殻”がひとつ──
そこには、かすかに刻まれた記号。
「V・C」
「……いたのか……ずっと……!」
アモは、泡の海をかき分けて近づく。
しかし、殻は動かない。
その瞳は閉じ、
すべての“言葉”を失っていた。
「名を……忘れたのか……?」
そのとき、泡の中から声がした。
「名を持つということは、忘れられる痛みに抗うということ」
それはヴァレの声だった。
けれど、かすれていて、もう彼自身のものではなかった。
アモは手を伸ばした。
その手に、わずかに温もりが残る。
「おまえが……ここにいたこと。
それだけは、我が記録する」
その瞬間、まもりの玉がふたたび輝いた。
泡の中に、“文字”が浮かび上がる。
《VALÉ CUTH》(ヴァレ・クトゥ)
──名前が、戻った。
ヴァレの殻が、少しだけ揺れた。
その瞳が、うっすらと開く。
アモは微笑んだ。
この微笑みは、誰にも見せたことのないものだった。
「帰ろう。陰界はまだ……おまえの語りを待っている」
洗濯機の扉が開いた。
まばゆい光の中、二つの殻が、音もなく跳ね出た。
床に落ちた泡が、まるで別れを告げるように、静かに弾けた。
アモは、ヴァレの殻を背負いながら、ひとつの言葉を呟いた。
「名は、武器であり、盾であり、魂だ。
そして何より──忘れられぬ者の証明なのだ」
その夜、陰界にはひとつの伝承が加えられた。
《渦を破りし者、アモ・ブリオン。忘却を拒み、名を還した者》
彼は、ただ進む。
誰かの名を守るため。
そして、いずれ、自らの名が呼ばれるその日まで。
⸻
次回予告:第七話『ブリオン議会と裏切りの影』
名を持つ者が増えるとき、秩序は必ず崩れる。
陰界の“統べる者たち”の中に生まれた不協和音。
アモの進軍を快く思わぬ者が、ついに動き出す。
Coming soon…
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